連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 83

海洋センターに通って記録に挑むスイマーたち Part 2


2012.12.19 UP

全国JOCジュニアオリンピックカップで初優勝した阪本祐也選手
~大紀町大内山B&G海洋センター(三重県)で練習に励む中学生~

全国各地で、たくさんの人が海洋センターのプールに通って練習しています。今年のB&G全国ジュニア水泳競技大会では25道県から508人の選手が集まって賑わい、インターネット水泳記録会には5,000人を超えるスイマーの皆さんが参加しています。
今月の注目の人では、そんな皆さんの励みになる活躍を続けている2人のスイマーを、Part 1、2(それぞれ2話の連載)に分けて紹介しています。今回から始まるPart2では、今年の全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会50mバタフライ11-12歳の部で、見事に初優勝を飾った阪本祐也選手(中学1年生)に注目していきます。

プロフィール
●阪本祐也選手
平成12年生まれ、三重県大紀町出身。小学2年生のときに海洋センターを拠点に活動している町のスポーツ少年団で水泳を始め、4年生でB&G全国ジュニア水泳競技大会2種目(自由形・バタフライ)を制覇。中学1年生になった今年8月の全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会では、50mバタフライ11-12歳の部で優勝を獲得した。
●大紀町大内山B&G海洋センター(三重県)
昭和56年(1981年)年開設(体育館・上屋付き温水プール)。紀伊半島東部に位置し、近隣には日本屈指の清流として知られる宮川の支流、大内山川が流れている。春にはあまご、夏にはあゆ釣りが楽しめることから、季節ごとに多くの太公望が町を訪れる。
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第1話直感で分かった大きな可能性

驚きのニューフェイス

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スポーツ少年団の大紀スイミングクラブの仲間たち。阪本君は、毎日夕方6時から2時間ほど練習に励んでいます

 小学1年生の夏休みに、海洋センター主催の短期水泳教室に参加した阪本祐也君。プールに通うたびに泳ぎがどんどん上達したので、2年生になると海洋センターで活動しているスポーツ少年団の大紀スイミングクラブに入って練習に励むようになりました。そのときの様子を、当時の海洋センター職員で現在もクラブのコーチを務めている中井 求さんは、次のように振り返ります。

 「当時、私は選手コースの指導をしており、祐也が最初に入った初心者コースの子どもたちは家内が面倒をみていました。するとある日、『すごい子がクラブに入った』と家内が言うので初心者コースの練習を見にいくと、祐也が他の子どもたちと一緒に泳いでいました」

 ひと目で、「すごい子」が誰なのか分かったという中井さん。阪本君の泳ぐ姿を見て大きな可能性を直感したそうです。

 「クロールで泳いでいましたが、キック力がはるかに年齢を超えていました。キックだけで泳がせれば、同年齢の子が25m進むうちに彼は50m進んでしまう勢いがありました」

 小学校に上がった直後は地域の仲間とサッカーなどをして遊んでいた阪本君でしたが、特に足を鍛えていたわけではありませんでした。夏休みに入って水泳教室に通ったのは、軽い喘息のある阪本君を気遣ったご両親が、体力づくりのために勧めてくれたのでした。ですから、このキック力は持って生まれたものとしか考えられませんでした。

最初の挫折

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小学3年生のときに、初めて出場したB&G全国ジュニア水泳競技大会では決勝に進めませんでしたが\、4年生のときには見事に2種目で優勝することができました


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取材時に中井コーチと談笑する阪本君。常に二人三脚で練習に励んでいます

 コーチの中井さんを驚かせるほど抜群のキック力を持っていた阪本君。3年生になると選手コースに入って本格的な練習を始め、夏休みになるとB&G全国ジュニア水泳競技大会に出場しました。

 「祐也は、自由形と背泳の2種目で力を試しましたが、残念ながら決勝に進むことはできませんでした。しかし、この年から会場が辰己の国際水泳場に移っていたことが彼にとっては幸運でした。全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会(以下、ジュニアオリンピック)も同じ辰己のプールで開催されているからです。祐也は、翌年の4年生からジュニアオリンピックに出るようになりましたが、すでに会場の雰囲気を知っていたので最初から緊張もあまりなく競技に臨むことができました」

 大舞台でも物怖じせずに泳ぐことができた阪本君。しかし、5年生になって臨んだジュニアオリンピックの春大会では出場資格の標準タイムを切ることができませんでした。

 「標準タイムを切れなかったことで、祐也はずいぶんとふてくされてしまいました。そこで私は、一緒にクラブに通っていた弟の航也の肩に手を添えながら、祐也を叱咤激励するつもりで、『いつまでもふてくされているのなら、次の県大会には航也を強化する』と言いました。

 すると祐也は、『よかったな、航也。がんばれよ』と言いながら、さらに投げやりな態度を見せたので、『ちょっとしくじっただけで、なにをそんなにふてくされるんだ。阪本祐也は、その程度の選手だったのか。それなら、もう二度とプールに来るな!』と怒鳴りつけました」

 その翌日の夜、中井さんに泣きながら電話をする阪本君の姿がありました。涙をこぼしながら「心を入れ替えるので、練習を見てください」とお願いした阪本君。このとき、阪本君は「弟もがんばって練習しているのだから、自分もふてくされないでがんばらなければいけない」と思ったそうです。

 その思いを受け入れた中井さんのもとで、次の日からプールに戻った阪本君。この日を境に、「祐也は目つきが変わって、"やらされる練習"から"自分からやる練習"に意識が移っていきました」と中井さんは振り返ります。

 そこで中井さんは、毎朝、学校に行く前に下半身強化のためのランニングをするように指示。阪本君は朝6時に起きて平日は1キロ、土日は5キロのコースを走るようになりました。

 「朝は眠いですが、いまは平日2キロに距離を伸ばしています」と語る阪本君。いつも1人で黙々と走るそうですが、ランニングを始めて数ヵ月後が過ぎる頃から、中井さんが狙った効果が徐々に表れていきました。※続きます。