連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 83

海洋センターに通って記録に挑むスイマーたち Part 2


2012.12.27 UP

全国JOCジュニアオリンピックカップで初優勝した阪本祐也選手
~大紀町大内山B&G海洋センター(三重県)で練習に励む中学生~

全国各地で、たくさんの人が海洋センターのプールに通って練習しています。今年のB&G全国ジュニア水泳競技大会では25道県から508人の選手が集まって賑わい、インターネット水泳記録会には5,000人を超えるスイマーの皆さんが参加しています。
今月の注目の人では、そんな皆さんの励みになる活躍を続けている2人のスイマーを、Part 1、2(それぞれ2話の連載)に分けて紹介しています。今回から始まるPart2では、今年の全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会50mバタフライ11-12歳の部で、見事に初優勝を飾った阪本祐也選手(中学1年生)に注目していきます。

プロフィール
●阪本祐也選手
平成12年生まれ、三重県大紀町出身。小学2年生のときに海洋センターを拠点に活動している町のスポーツ少年団で水泳を始め、4年生でB&G全国ジュニア水泳競技大会2種目(自由形・バタフライ)を制覇。中学1年生になった今年8月の全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会では、50mバタフライ11-12歳の部で優勝を獲得した。
●大紀町大内山B&G海洋センター(三重県)
昭和56年(1981年)年開設(体育館・上屋付き温水プール)。紀伊半島東部に位置し、近隣には日本屈指の清流として知られる宮川の支流、大内山川が流れている。春にはあまご、夏にはあゆ釣りが楽しめることから、季節ごとに多くの太公望が町を訪れる。
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第2話抱きしめて喜ぶのは、まだ早い!

リベンジに向けた努力

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海洋センターのプールで練習前のストレッチに励む阪本君。中学生になったいまは、後輩の面倒もよく見ています


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今年のB&G全国ジュニア水泳競技大会で男子最優秀選手に輝いた阪本君。昨年に続いての受賞となりました(隣は女子最優秀選手の日高雅子さん:石川県/中1)

 全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会(以下、ジュニアオリンピック)の出場を逃したことをきっかけに、次回への挑戦に向けて毎朝ランニングを始めた阪本祐也君。中井コーチの仕事の関係上、毎日、夕方6時から9時頃まで水泳の練習をしていたので、朝早く起きるのは大変でしたが、1人で黙々と走り込んでいきました。

 「最初のうちは朝が眠かったですが、自分で決めたことだから辛くはありませんでした。ただ、お腹がすいて給食だけでは物足りないので、学校が終わって夜の練習が始まる前に何か食べ、練習が終わって家に帰ってから夕食を取るようになったので、1日4食の生活になりました」。

 中井コーチは栄養の指導も行い、その助言に沿って阪本君のご両親が食事を作ってくれました。「祐也は大人以上によく食べる」と語る中井コーチ。そんな旺盛な食欲で早朝のランニングや夜の練習を乗り越えていきました。

 また、阪本君が所属する大紀スイミングクラブは広い畑で野菜作りに励んでおり、阪本君も土日になれば草取りや、収穫した野菜をの運搬を手伝っています。

 「子どもたちは、皆、水泳の練習と同じぐらい熱心に畑仕事を手伝ってくれます。おかげで野菜の売り上げは年間80万円ほどを数えており、その利益は皆の遠征代になっています」

 日曜日は自主練習になっており、収穫のある日は野菜を売りに出る阪本君。そんな日々の努力は、しだいに成果となって表れるようになっていきました。

 「祐也は、6年生に進級してから目に見えて力がついていき、夏休みに出た静岡県の大会『とびうお杯』で4位に入ったことが大きな自信となりました。また、同じ夏休みに開催されたB&G全国ジュニア水泳競技大会では50mバタフライで大会新記録を出し、最優秀選手賞をいただくことができました」

 早朝ランニングを始めて1年余、阪本君は確実に体力をつけてたくましい選手に成長。今年3月に開催された小学生最後のジュニアオリンピックでは、前回のリベンジを果たして出場がかない、決勝に進出して大いに気を吐きました。

さらなる高みを目指して

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阪本君の活躍は、弟の航也君とともに地元大紀町の広報誌によく紹介されています。写真は阪本君が三重県ジュニアオリンピックで2種目を制覇したときの記事です


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二人三脚で次々と大きな大会に挑み続ける中井コーチと阪本君。取材当日も夕方6時から練習に励んでいました

 ジュニアオリンピックで決勝に進めたことで、中井コーチは「次の夏大会ではぜったいに勝とう!」と阪本君を激励。その前哨戦ともいえるB&G全国ジュニア水泳競技大会では、バタフライ50mで大会新記録を出して優勝し、前年に続いて大会最優秀選手に選ばれました。

 2年続けて大会最優秀選手に選ばれたことに、「とてもうれしかった」と振り返る阪本君。その1週間後に開催されたジュニアオリンピック夏季大会には、大きな自信をもって臨むことができました。

 「1週間前に同じ辰巳のプールで勝っていたことで、気持ちよく出場することができたと思います。祐也は50mより100mが得意だったのですが、最初に行われた50mでいきなり優勝して私たちを喜ばせてくれました」

 100mに的を絞っていたという中井コーチでしたが、阪本君は早々と50mで頂点に立って周囲を沸かせました。

 「50mは得意ではありませんでしたが、スタートで飛び込んで浮上したとき隣の選手が前に出ていたので、なんとか抜こうと全力でゴールを目指したら勝つことができました。最初に自分が前に出ていたら、どうなっていたのか分かりません。ただ、とにかく優勝することができて、とてもうれしかったです」

 そう振り返る阪本君。翌日に行われた100mは大激戦となり、先頭集団の5人が横一線に並んでゴールし、阪本君はわずか0.2秒の差で優勝を逃しました。

 「ラスト5mまで祐也がトップだったので行けるかなと思いましたが、最後のタッチが合いませんでした。ジュニアオリンピックのような大舞台になると、選手の力はほぼ同じです。 ですから、今後はゴールのタッチをいかに上手く合わせるかといった細かいテクニックも必要になっていきます」

 02秒の悔しさを糧に、さらなる高みを目指す阪本君。中学生になったいまは、全国中学校水泳競技大会で勝つという目標も生まれました。

 「冬場は海洋センターのプールが使えなくなるので、毎晩、クルマを走らせて尾鷲市の施設まで練習に通わなければなりませんが、祐也が成長していく姿を見ることができれば少しも苦にはなりません」

 最終的にはオリンピックを目指したいので、中学~高校のこれから数年が勝負だと意気込む中井コーチ。中井コーチは、もともと泳ぎが得意ではなかったものの、海洋センター勤務になってセンター育成士(現:アドバンスト・インストラクター)の養成研修で、猛練習をして水泳が好きになったそうです。

 「いまの私があるのは、育成士を目指して沖縄で練習に励んだ日々があるからです。満足に泳げなかった私を指導してくださった教官や、一緒に汗を流した同期の仲間の思い出は忘れることができません。また、町役場に勤めながら祐也のような才能のある子を指導できるのも、ひとえに海洋センターのプールがあるからで、とても感謝しています」

 泳ぎが得意ではなかった中井さんが海洋センター勤務を契機に子どもたちの水泳を指導するようになり、やがて阪本君のような有能な選手を世に送るようになった経緯は、多くの指導者や子どもたちの励みになるのではないでしょうか。

 ジュニアオリンピックで阪本君が日本一になれたことはうれしいと語りながらも、「抱きしめて喜ぶのはまだ早い」と先を見据える中井コーチ。その日が来るのは、遠い話ではなさそうです。