連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 83

海洋センターに通って記録に挑むスイマーたち Part 1


2012.12.05 UP

日本マスターズ水泳選手権大会で3種目を制覇した81歳の現役選手
~甲州市塩山B&G海洋センター(山梨県)で練習に励む、鈴木 桂さん~

全国各地で、たくさんの人が海洋センターのプールに通って練習に励んでいます。今年のB&G全国ジュニア水泳競技大会では、25道県から508人の選手が参加して賑わいました。また、インターネット水泳記録会では、5000人を超えるスイマーの皆さんが利用しています。今回は、そんな皆さんの励みになる活躍を続けている2人のスイマーを、Part 1、2(それぞれ2話の連載)に分けて紹介します。

Part 1に登場いただくのは、今年の日本マスターズ水泳選手権大会に出場して3種目で優勝を飾った山梨県甲州市の鈴木 桂さんです。地元の塩山B&G海洋センターが設立されて以来、20年間にわたってプールに通い続けている鈴木さん。現在も、週3~4日ほどの練習を欠かさないという81歳の現役選手に、水泳の魅力について語っていただきました。

※続くPart 2では、今年の全国JOCジュニアオリンピック50mバタフライ11-12歳の部で優勝した阪本祐也君(三重県大紀町大内山B&G海洋センター)を紹介します。

プロフィール
●鈴木 桂さん
昭和6年生まれ、山梨県出身。幼い頃から水泳に親しみ、山梨県立日川高校および日本大学で水泳部に在籍。卒業後は、母校日川高校や甲府第一高校などで教鞭を執りながら水泳部顧問として後輩を指導し、自らも社会人選手として国体などで活躍。平成4年に教職を退いた後も選手活動を続け、今年の日本マスターズ水泳選手権大会では3種目を制覇した。表彰:山梨県体育協会功労表彰(昭和61年)、日本マスターズ水泳大会20回出場表彰(平成21年)など。
●甲州市塩山B&G海洋センター(山梨県)
平成4年開設(屋内温水プール)。フルーツラインと呼ばれる美しい果樹園地域に建設され、年間を通じて利用できる屋内温水プールのメリットを活かして多くの人に利用されている。なお、甲州市は平成17年に周辺市町村が合併して誕生した。
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第1話夢を運んだ母校のプール

貯水池で育った河童の子

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甲府盆地の東側に位置する甲州市。周辺の山々から流れ出る川の水が、豊かな自然を育んでいます

 甲府盆地を流れる笛吹川流域の八代町(現:笛吹市)で生まれ育った鈴木 桂さん。小学生の頃は、近所の仲間と一緒に川や貯水池で水遊びを楽しみました。

 「私は戦前の昭和6年生まれで、子どもの頃、学校にプールなんてありませんでした。ですから、夏になると皆で石を積んで川の水を堰き止めては水遊びをしたものです。また、泳ぎそのものは、田に水を引くために作った長さ20m幅15mほどの貯水池で覚えました」

 貯水池の深さは2mもありましたが、泳げる仲間が飛び込んで楽しそうに遊ぶので、つられて飛び込んで、ごく自然に泳げるようになったそうです。

 「貯水池は足がつかない深さでしたが、皆が楽しそうに泳ぐので怖い感覚はありませんでしたね。溺れることの意味を知る前に泳げるようになっていた感じです」

 まさに河童の子のように育った鈴木さん。貯水池では仲間と水泳で競争もするようになっていき、やがて地元の日川高校に進学すると大きな転機が待っていました。

皆で作った長水路

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甲州市塩山B&G海洋センターのプールで練習に励む鈴木さん。冬場でも泳ぐことができる屋内温水プールは夢のような施設だと語っていました

 鈴木さんが入学した当時、日川高校にはプールがありませんでしたが、2年生になった昭和24年、創立50周年を記念してプールを作ることになりました。

 「そのとき、水泳に熱心だった先生が中心になって、『作るのなら、思い切って公認の長水路(50mプール)にしよう』という声を高めていきました。それまでは学校で泳ぐことができなかったのですから、私は本当にいいタイミングで入学したことになりました」

 鈴木さんが通った山梨県立日川高校は、全国大会の常連であるラグビー部を筆頭に体育活動が熱心なことで知られています。プールを作ることになった際も多くの教職員が理解を示し、公立高校においては現在でさえも珍しい長水路のプールが実現したのでした。

 「学校は、笛吹川の支流である日川の近くに位置しており、その川原の石をプールの土台に使うことになりました。そこで、全生徒が川原から学校まで並び、採取した石をリレーで運びました」

 こうして皆が力を合わせ、昭和25年に念願のプールが完成。鈴木さんは、できたばかりの水泳部で練習に励み、競技に出るようになっていきました。

退職しても水泳を続けたい

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プールでフレッシュウォーキングに励む利用者の皆さん。海洋センターは地域の健康づくりに利用されています


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海洋センターで練習に励んでいる現在の子どもたち。県内の競技に出たときのスナップです。海洋センターができた当初は、鈴木さんも小学生を指導していました

 完成したばかりのプールで力をつけていった鈴木さん。卒業を迎えると、さらに水泳に打ち込みたいと考えて日本大学に進学し、トップレベルの選手がひしめく水泳部の門を叩きました。

 「私が入部した頃といえば、フジヤマのトビウオで知られた古橋廣之進さんや橋爪四郎さん(ヘルシンキオリンピック1500m自由形銀メダリスト)などがちょうど卒業した後で、おそらく日大水泳部が一番強かった時代だったと思います。

 ですから、はりきって入部したものの周囲をみれば日本を代表するような先輩がたくさんいて、私のように高校でちょっと腕を上げた程度の新人なんて掃いて捨てるほどいました」

 井の中の蛙だったと振り返る鈴木さんですが、静岡県三島市にある分校で教養課程を過ごしたときは、日大三島水泳部のレギュラーとして全国学生選手権大会などで活躍。2年生のときに出場した中部日本選手権大会では、200m自由形で優勝を遂げました。

 その後、大学を出て郷里に戻り、県立高校の教諭になってからも水泳を続けた鈴木さん。母校の日川高校や身延高校、甲府第一高校などの赴任先で水泳部顧問として後輩を指導する傍ら、自らも国体や実業団の大会に出て活躍しました。

 「平成4年に教職を退いてからもマスターズ水泳大会などに出場していこうと思いましたが、一般の人が練習できる勤労センターのプールは家から少し離れたところにありました」

 もう少し通いやすいところで泳ぎたいと思った鈴木さん。すると、教師を辞めたその年のうちに、家から近い場所に理想的な練習場所ができました。

 「それが、いまも通っている塩山B&G海洋センターです。屋内温水プールなので年間を通じて泳ぐことができますから、これはもう願ってもないことでした。また、地元の教育委員会から委嘱され、海洋センターの水泳教室で小学生を指導することにもなりました」

 仕事を引退した後も、海洋センターができたことで水泳との縁が深まった鈴木さん。子どもたちを指導しながら、自らもマスターズ水泳大会に標準を絞って練習に励んでいきました。※続きます。