連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 71

海が教えてくれた自然の大切さと、仲間への思いやり

No.71 海が大好きで、週末のたびにモーターボートを操るアナウンサー 秋沢淳子さん

海が大好きで、週末のたびにモーターボートを操るアナウンサー
秋沢淳子さん

テレビアナウンサーとして、活躍している秋沢淳子さん。普段は時間に追われる忙しい日々を送っていますが、休日には必ずといっていいほど、ご主人や仲間のモーターボートに乗って海に出ています。 「海に触れることで環境意識が高まり、一緒に沖に出る仲間同士の信頼関係も深まりました」と語る秋沢さん。海への関心を増すなかで、一昨年には沖縄のB&G体験セミナーをご夫婦で視察に訪れ、体験クルーズ小笠原の出航も見送ってくださいました。 今回は、そんな活動派アナウンサー秋沢さんにマイクを委ね、大いに海の魅力を語っていただきました。

プロフィール
TBSテレビ・アナウンサー。子どもの頃から外国に関心を寄せ、中学2年生のときにアメリカを旅し、高校時代にはニュージーランドに留学。慶応大学法学部に進学後は、将来、国際機関で働くことを考えていたが、友人の誘いで参加したテレビ局のセミナーが縁でアナウンサーとして就職。その後、モーターボートを趣味とする夫の影響を受けて海が好きになり、休日のたびに東京湾や相模湾に出航。その様子は、「東京湾だぁ訪ぉー」(http://www.tbs.co.jp/anatsu/tw/)というブログに詳しい。2009年には沖縄のB&G体験セミナーを視察し、同年の体験クルーズも見送りに訪れるなど、子どもたちの自然体験事業にも関心を寄せている。
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第1話世界を知りたい!

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高校時代、ニュージーランドに留学したときの秋沢さん(中央)。外国に行くことで、お互いを分かり合うことの大切さを学んでいきました

外国への憧れ

 秋沢さんが子どもの頃、家のなかでは夏休みのたびに日本語、英語、そしてドイツ語が飛び交っていました。ドイツ人の大学教授と結婚した叔母の一家が、日本に里帰りしては秋沢さん宅に滞在していたからでした。

 「叔父の専攻が日本学だったので、夏休みを利用して私の実家に来ては資料集めをしていたのです。家族みんなで来るので、いとこたちと遊ぶにしても自然に3カ国語を織り交ぜた会話になっていました」

 そんな環境が毎年続いたため、しだいに外国への関心を高めていった秋沢さん。中学2年生の夏休みには、当時通っていた英会話スクールの先生に招かれ、アメリカ・カリフォルニア州の自宅に1ヵ月間滞在。ディズニーランドの賑わいや大きなハンバーガーなどアメリカの生活文化に直接触れて、ますます外国への興味を深めていきました。

 「この頃から、将来は国連のような国際機関で働きたいと思うようになり、高校2年のときにニュージーランドへ留学してから、さらにその希望が高まりました。外国に行って異なる文化に触れたことで、お互いの文化を分かり合うことの大切さを知るようになったのです」

 そのため、大学に進学してからは国際問題を研究するサークルに所属。夏休みになると、バックパッカーになって外国を1人で旅して歩きました。

世界を知るタイミング

 お金はないものの時間はたっぷりある旅で、おもに列車を使って国から国へ渡り歩いたという秋沢さん。ローマで夜行列車に乗って、翌朝、フランスのニースに到着。そこで1日待って翌日の夜行列車でスペインのマドリードをめざすといった体験を重ねていきました。

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アフリカ最高峰のキリマンジャロに立つ秋沢さん。大学時代は1人旅で世界を歩き回っていました

 「おもしろいもので、このような列車の旅では国境を越えるたびに食べ物も変わっていきます。アジアなどではマレーシアではイスラム文化、タイに入ると仏教というように宗教も変わりましたね」

 列車を待って夜を明かすときや、興味のある町で下車したときは、安宿を探して泊まったという秋沢さん。女学生の1人旅でしたが、臆することなく実にいろいろな人と語り合い、見知らぬ町でいろいろな驚きや、発見を体験したそうです。

 「いま思えば、けっこう度胸があったんだなって思います」と語る秋沢さん。こうした経験を通じ、世の中にはいろいろな考え方があって、価値観や生活習慣などの違いが生きている人の数だけあるものだと思うようになっていったそうです。

 「違いを認識して尊重する以外に、世界の平和は望めないと思います。だから、お互いを深く知るべきで、またそのことを学ぶ年齢の時期も大切です。小中学生の頃は、自分の価値観が固まっていないので、体験したすべてを吸収して受け入れてしまいがちです。

 また、大人になると世の中を見る物差しができているので、『手でカレーを食べるなんて品がない』などと、物事の良し悪しを勝手に決めてしまうようなことも出てきます。

 その点、私は高校時代に留学することができてラッキーだったと思います。小中学生のように何でも吸収してしまうような年齢でもなければ、自分の価値観もはっきり固まっていない年頃だったので、体験の1つ1つをいろいろな角度で見ながら、自分なりに答えを探すことができました」

大切にしたいボランティア活動

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好奇心が旺盛で、珍しい船が停泊していると見学したくなる秋沢さん。東京港にニュージーランドの軍艦が停泊したときも表敬訪問して船内の見学を楽しみました

 外国に目を向けながら国際機関で働くことをめざした秋沢さんでしたが、大学4年生になったときに思わぬ転機が訪れました。

 「4年生になって間もなくのとき、友人に誘われてテレビ局の就職セミナーに参加したんです。仕事を探すのは秋以降だと考えていたので、これも経験だと思って興味津々、友人について行ったのですが、面接などを受けた後に内定の知らせが届いてしまいました」

 意外な顛末に驚いた秋沢さんでしたが、よく考えてみればテレビの仕事でも海外とのやり取りはたくさんあるし、国際的な番組もいろいろあります。

 「いろいろ勉強することは好きでしたがテストは嫌いだったので、この内定を受ければ早々に就職試験から開放されるという魅力がありました。また、テレビ局ならニュースなどで最新の世界情勢に触れることもできますから、これはこれで面白そうな仕事だと思いました」

 秋を待たずに仕事を決めた秋沢さん。入局してからはアナウンサーとして第一線で活躍を続けて、現在に至っています。

 しかも、その傍ら2000年には「SPUTNIK JAPN」というNGOの国際交流団体を自ら立ち上げ、スリランカとガーナの子どもたちを経済的に支援する活動を展開。アナウンサーという仕事に就いたものの、国際的な仕事をしたいという最初に描いた志は、しっかりとボランティアで実現した秋沢さんでした。(※続きます)

Photos by Junko Akisawa