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No.005:熊本県湯前町 鶴田 正已 町長 海洋センターを「多機能化」!インドアの人も集まる町のシンボルに!
2017.07.11 UP

プロフィール 鶴田 正已(つるだ まさみ)町長
昭和33年湯前町生まれ。
県立球磨農業高校(現南稜高校)卒。
昭和60年から5期20年、松村昭熊本県議秘書を務める。
平成19 年4月、湯前町長初当選。
平成23年4月に2期目の再選を果たし、平成27 年4月、同職へ再選(3期目)。
町の紹介  湯前町は、町制80年を迎え、熊本県の南部の球磨盆地に位置し、田園の中をローカル線がゆっくりと走るのどかな町です。湯前町には町出身の風刺漫画家、故那須良輔氏の偉業が保存された展示館、「湯前まんが美術館」(那須良輔記念館)や、おっぱいをかたどった飾り物を奉納しお参りをすれば、お乳の出が良くなると言われている「潮(うしお)神社」もあります。
 町のB&G海洋センターは、2015(平成27)年9月から地域コミュニティ再生モデル事業で改修され、多機能化し、スポーツ以外でも人が集まることができる新しい空間へと生まれ変わりました。また今年2月には体育館がリニューアルし、地域の健康づくり体制も整っています。今回は湯前町長の鶴田正已氏に町の状況や魅力についてお話を伺いました。

後編:BGで繋がる(きっかけはB&G)

各地域と広がる交流

- 町を巡るこれまでの状況は、いかがですか -

 湯前町は、B&Gが所在する自治体の中でも特に2市町(北海道芦別市、北海道積丹町)と、「森づくりの活動」で、交流をしています。積丹町とは森づくりの活動以外でも、B&Gのコミュニティーモデル事業としても関りを持っています。その他、北海道では芦別市と林業(木質バイオマス)やイベントの際の物産交流などで交流を広げています。

 以前、財団のコミュニティーモデル事業として北海道の積丹町を訪問し、森づくりの活動と併せて町の視察をしてきました。その時は、森だけでなく、積丹ブルーの海や、海洋センター施設などあらゆるところを訪れ、町議(の方々)とも交流をしました。

 また森づくりという点では、東日本大震災が発生した際に、湯前町にある森林資源を活用して、何か支援できないかと考えました。仙台市の仮設住宅の一角に誰もが集える「みんなの家」の木材を提供したり、シイタケの原木(クヌギ)5000本をトレーラー3台で運び、約1700キロ離れたを宮城県の仙台市と登米市に届けたりしました。また今年の2月にはシイタケ生産再開の記念式典が仙台で開催され、私も出席させていただきましたが、現地の皆様に大変な歓迎をいただきました。

 そのように湯前町の活動が評価され、去年は京都で開かれた全国育樹祭において、国土緑化推進機構会長賞を受賞いたしました。

 宮城県仙台市の地元住民の住宅を熊本県が建設した時の材料を当町でお送りしましたが、その際にはぶら下がりの記者会見まで受けてしまいました。(笑)

 現在、「地域おこし協力隊」として、町外出身者4名が活動しています。そのうちの一人は4年間通っていた龍谷大学女子柔道部の合宿がきっかけで、協力隊になりました。合宿が始まり12年になりますが、最近は、日本代表クラスの選手も在籍する日本屈指の強豪校となられています。

 地域おこし協力隊の隊員は、兼務で海洋センターのお手伝いをし、併せて海洋クラブの活動にも協力してもらっています。今後も大学生の協力を得ながら一緒に活動していこうとしています。

 大学生が湯前町を分かりやすく、表現してくれたアニメポスターがあります。若い方々の感性が非常に表れている作品に仕上がっています。

物の豊かさ追求より人への投資を

- どのような町を目指していますか -

 学校や病院、また働く場所があるなど、住民のすべての要求を地域で完結できたら、それはそれで良いことであると思います。東京にあってわが町にないものを求めたら多々ありますが、逆に東京にはなく、湯前町にしかないものもあると思います。幸福は物の量ではなく、「そこにある物に感謝し、地域に感謝できる、またそこにいる人々に感謝ができる」ことなのではないか、と思います。私は人口の大小に関係はなく、地域完結型の町ができたら、と考えています。

 そのためには戦後、やや希薄になってきた人間関係についての教育を、根底からやり直さないといけないと思います。今を生きるわれわれは何を次世代に残してあげられるのか。それは資源とか物質ではなく、どのような考え方を次の世代に残してあげられるのかが一番大きな課題だと思います。親が育てたように子供は育ちます。その子供たちの成長の姿は、すなわち親の責任でもあるのです。ものの見方、考え方も含めてもう一回きちんとした教育をする以外に、日本が今後生きていく術はないなという気がします。欲望にはきりがないもので、「何が満足か」という個々の基準はさまざまです。私は今ある物や事に対して、満足と感謝ができれば「幸せ」と呼べるのではないかなという気がします。物に投資をすればもっと良い物が欲しくなる。だから、私はまず、より良い物を手に入れるためには、基本的に「人的投資」を行うべきだと思います。物の豊かさを追求する時、まず人を育てるほうが、遠回りのようで実は早いのかもしれません。

 また私は、新しい事に取り組む以外にもこれまでの歴史の中に、ヒントがあると思います。日本が戦後、相応の国になれたのは先輩方の功績のお陰です。そのことに敬意を表せば、私は、概ねのことが実施できるのではないかと思います。ただ、実施・行動することを人に求めてばかりでは、いずれ不満が生じてきます。地域に対し私が何を果たすべきか、また役割は何かについて(皆さんに)考えていただける地域をつくることが一番ではないか思います。

海洋センターを通じ新たな交流で「負けられんな」の思い

 不足していることに言及するばかりでなく、ある事には感謝をすることも必要だと思います。湯前町の環境整備はこれまで先輩方に構築していただいており、600~800年前の建物が今もしっかり残っているのは、どれだけ幸せなことでしょうか。しかも昔から焼酎の材料を米にするなど贅沢な製造を行なってきました。ある時代には、米は食用ではなく、販売目的だった時代もあると思いますが、その時代でさえ米で焼酎を製造できたことは、この地域がいかに豊かであったかということの証明だと思います。

 通常、国や県の様々な情報は回覧板では回らず、全部役所に届きます。そうした情報を町民のために生かさなければなりません。仕事の幅が広いとか狭い、浅い深い、ということではなく、それぞれの行った仕事で、誰かが幸せになってもらえる、誰かが喜んでもらえればと考えます。役場には、様々な部署がありますが、どの所属においても仕事の成果を突き詰めると「貢献」になると思います。これはどの業種でも同じではないでしょうか。

 また私は「いろいろな方々と交流を深めてほしい」と職員によく言います。交流で繋がった方たちが、いつか必ず自分の力になっていただける、という思いがあるからです。以前、積丹町の方々が湯前町を視察されました。これまでは、関係性が少なかったのですが、B&Gの海洋センターを通じて繋がり、新たな交流が生まれたのです。自治体間の交流が進むと、お互い刺激を受け、「このままではいけない、もう少し頑張らないといけない」という思いを皆が持てるようになるので、大変ありがたいです。人が別の事をやっているのを見ると、こちらも「負けられんな」という思いが強くなります。

明るい町を目指します

 湯前町内には小学校と中学校が一校ずつあります。学校には役所と駅から、それぞれ車で5分程度で行くことができ、住宅区域も含めて町内を自由に行き来できる規模の町です。こうしたスモールタウンの利点を今後どのように生かしていくか、というのが町の課題です。地形も活かしつつ、明るい町を目指していきます。

 最近は、東京に一生暮らしても手にすることのできない物が、この地であれば手にすることができる、と希望を持つ若者たちも出てきた気がしています。それは「時間の軸」だったり、先ほどの「物質の面」もです。今はインターネットやSNSを通じ東京の都心と同様に情報も瞬時に入ってきます。精神的かつ時間的な豊かさを求めるのであれば、田舎で過ごしていただくことが大変喜ばしいことですね。本当にやりたいことを見つけたいとか、やりたいことがあるという人は、田舎のほうが今は時間と空間を有効に使えると思います

 弊町の情景は、今は少し、木々の色が少なく墨絵みたいになっていますが、それはそれで長く見ていると落ち着きますよ。いろんな色や建物があるよりも自然に囲まれた景色のほうが良いかもしれませんね。


※完

(文:宮嵜 秀一

湯前町B&G海洋センター周辺には、「ゆのまえ温泉 湯楽里」を中心として、コテージ群やキャンプ場、ゴーカート場等レジャー施設が密集しています。どの施設も徒歩圏内にあるため、とても利便性の高い施設です。