連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 99

B&G指導員親子が獲得した、OP級世界選手権大会へのチケット


2014.04.02 UP

二人三脚でヨットの頂点をめざす、B&G時津海洋クラブの尾道さん親子

OP級ヨットの日本代表チームに入るためには、数々の国内大会で上位の成績を収めたうえ、全日本選手権大会や最終選考会レースを勝ち抜かねばなりません。
2014年度の日本代表チームを決める最終選考会レースは昨年12月に別府市で実施され、幼い頃からアドバンスト・インストラクターの父、輝寿さんの指導を受けながら二人三脚で練習に励んできたB&G時津海洋クラブの尾道佳諭君(中2)が準優勝を獲得。4位に入ったB&G兵庫ジュニア海洋クラブの藤原達人君(中2)とともに、今年10月にアルゼンチンで開催される2014年度 OP級ヨット世界選手権大会に出場する日本代表チームに選抜されました。
今回は、頂点の舞台に立ったら「少しでも上位をめざしたい!」と意欲を語る尾道佳諭君と、その活躍をサポートし続けるB&G指導員、輝寿さん親子の活動に注目しました。

プロフィール
● 尾道輝寿(おのみち てるひさ)さん

昭和50年(1975年)生まれ。長崎県時津町出身。中学1年生のときからB&G時津海洋クラブでヨットを始め、大学を出ると町役場に就職。アドバンスト・インストラクター資格を取得して海洋センターに5年間勤務し、以後、別の部署に異動してからも海洋クラブで子供たちのヨット活動を指導し続けている。

● 尾道佳諭(おのみち けいと)くん

平成11年(1999年)生まれ。長崎県時津町出身。小学1年生のときから、父、輝寿さんの指導を受けてヨットを始め、小学2年生でB&G OP級西日本大会Cクラス優勝。以後、数々の国内大会で頭角を現し、昨年はヨーロッパ選手権にも出場。今年は10月にアルゼンチンで開催される世界選手権大会への出場が決まっている。

● B&G時津海洋クラブ

平成元年(1989年)、時津町B&G海洋センターの設立に併せて活動を開始。体育館の隣に建設された艇庫を拠点に、大村湾でヨットやカヌーの練習に励んでおり、会員は国体などの全国大会に積極的に出場している。

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第1話人に喜んでもらえる仕事に感謝!

海洋クラブ第1号の少年会員

艇庫は海洋センター体育館のすぐ脇に建設されており、専用のスロープも設置。ヨットに乗る際は、艇庫前の広場で艤装を済ませ、すぐに海へ降ろすことができます

 平成元年5月(1989年)、大村湾に面した長崎県時津町の埋め立て地に海洋センター(体育館、上屋付プール、艇庫)が建設されると、翌6月には地元でヨットに乗る有志が集まって海洋クラブが立ち上げられました。

 「整地されたばかりの広い埋め立て地に、ポツンと海洋センター施設が建設されました。当時、私は中学1年生で、夏休みに偶然そこを通りかかると、数人の大人が上半身裸になって熱心に何かの作業をしていました」

 そう振り返った尾道佳諭君の父、輝寿さん。不思議に思って大人の集団を見守っていると、リーダーらしき1人から「こっちに来ないか」と手招きされました。

 「呼ばれるままに近くに寄って様子を眺めていると、小さな船にマストが立てられ、それがヨットであることが分かりました。海洋クラブを立ち上げた地元のヨットマンが、海洋センターに赴任したばかりの職員に艤装を教えていたのでした」

 輝寿さんに声を掛けたヨットマンは海洋クラブの会長さんで、艤装が済むと、「海洋クラブに入ってヨットに乗ってみないか」と輝寿さんを勧誘しました。その言葉を受けてヨットに興味が湧いた輝寿さんは、さっそく友人を誘って海洋クラブに入り、ヨットの操船を覚えていきました。

 「中学に入ってバスケットボール部に入部しましたが、小学生の頃からソフトボールをしていたことから、どうしてもバスケットボールに馴染めませんでした。そこで、1学期の終わりに仲の良かった部員の友人と一緒に退部し、夏休みの間に次に何をするか考えることにしていました。ヨットと出合ったのは、そんな矢先のことでした」

クラブライフを謳歌した学生時代

 思わぬきっかけでヨットに乗るようになった輝寿さん。他の海洋クラブはいろいろな大会をめざして熱心に練習をしていましたが、時津海洋クラブは発足したばかりだったので、レース活動に入るまでには少し時間が必要でした。

 「私たちを指導してくれた大人の会員さんたちも正式な大会に出たことがなかったので、大人も子供も手探りで活動を始め、やがて地元の有志が集まって行うローカルレースに出ながら競技の感覚を養っていきました」

 こうして、海洋クラブに通いながら中学時代を過ごした輝寿さん。地元の高校に進学してからも、母校にヨット部がなかったこともあって、週末のたびに海洋クラブを訪れてヨットに乗り続けました。

 「高校時代になるとOPからシーホッパーなどに乗り換え、ローカルレースに出る機会も増えていきましたが、この頃になると海洋クラブに入る子供たちの数も増えたので、先輩にあたる私が自然に彼らの面倒をみるようになっていきました」

 気が付いたら、後輩の指導に励んでいたと振り返る輝寿さん。福岡県の大学に進学してからも、休日のたびに地元へ戻って子供たちを指導し続けました。

 「子供たちにヨットを教えるのも楽しかったですが、大学生になってからは地方の大会に子供たちを連れて遠征に行くことも増え、宿泊先で大人の会員さんたちとお酒を酌み交わしながらレースの結果に一喜一憂したり、クラブ活動について語り合ったりすることが楽しくなっていきました」

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レースに出場するためヨットを海に降ろす、大学時代の輝寿さん(中央のヨット)。中学、高校、大学と、ヨットとともに過ごした学生時代でした

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鹿屋体育大学主催のヨットレースで表彰されたときの輝寿さん(右から3人目)。隣には、クルーとして同じヨットに乗った将来の奥様が写っています

海洋センターで働きたい!

 中学、高校、大学を通じて海洋クラブの活動に励んだ輝寿さん。就職する際には、迷うことなく、地元、時津町役場の採用試験に臨みました。

 「不景気が続いていたので安定した職を選びたかったこともありましたが、何より町役場に就職すれば海洋センターで働くことができると思いました。そのことは、面接でもはっきり述べました(笑)」

海洋センター職員時代の輝寿さん。海洋クラブの子供たちとヨットで海に出る準備をしています

 晴れて町役場への就職が決まると、最初の2年間は別の部署に配属されましたが、その後5年間は希望が叶って海洋センターの仕事に励むことができました。

 「海洋センターの仕事は、体を動かすことの楽しさを教えることが中心ですから、利用者の皆さんに喜ばれ、感謝され続けました。ですから、ここで働いた5年間はとても充実した日々を送ることができました」

 海洋センターの仕事は最高だったと語る輝寿さん。当然のことながら、海洋クラブの運営にもしっかり携わり、ヨットに乗る子供たちの指導に力を入れましたが、やがてご自身の長男、佳諭君もヨットに乗ることができそうな年頃に育っていきました。(※続きます)