連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 81

指導者会の力で、被災地の元気を取り戻したい!

2012.10.31 UP

~東日本大震災後の地域復興に励む
亘理町B&G海洋センター、および同指導者会の取り組み~

地震と津波で未曾有の被害が発生した東日本大震災。いちご栽培が盛んな宮城県の亘理町は最大12.3mの津波に襲われ、多くの家屋とともに海洋センター艇庫も全壊してしまいました。 しかし、どうにか難を逃れた体育館は年明けまで救援物資の倉庫としてフル稼動。軽微な被害で済んだ上屋付きプールは、津波で甚大な被害を受けた小中学校の水泳授業を受け入れました。 また、被災した高齢者の健康を危惧した同海洋センター指導者会では、転倒・寝たきり予防プログラムを応用して移動運動教室を展開。いまでも仮設住宅の集会所を回って、多くの高齢者に体を動かすことの楽しさを提供し続けています。 「移動運動教室の実現は、指導者会で知恵を出し合った結果です」と語る、指導者会会長の佐々木利久さん。皆の力で艇庫も早く再建したいと、意欲を膨らませていました 。

プロフィール
●亘理町B&G海洋センター

昭和57年(1982年)開設。体育館、上屋付きプール、艇庫で構成。開設当初から小学校の授業に「海洋スポーツ体験学習」を導入するほか、幼児フロアリズム運動プログラムも長年にわたって展開。東日本大震災で艇庫が全壊したが、体育館を救援物資の倉庫として活用するほか、被災した小中学校に代わって上屋付きプールで水泳授業を実施。現在、町の復興計画のなかで艇庫の再建が検討されている。

●亘理町B&G海洋センター指導者会

平成22年に設立。現会員は11人。震災前は艇庫を利用した水上フェスティバルの開催に力を入れたが、震災後は町内の仮設住宅を回って高齢者対象の移動運動教室を実施。今年の夏には、艇庫がないもののプールを使って水上フェスティバルの再開にこぎつけた。

画像

第5話(最終回)東日本大震災の復興に励む亘理町

さらに輝くまちにしていきたい!

インタビュー:宮城県亘理町 齋藤邦男 町長

教室のカーテンで寒さをしのいだ子どもたち

画像

震災直後、テントに泊まりながら災害復旧の先頭に立った齋藤邦男 町長。現在は10年計画を立てて新しい町づくりに励んでいます

 東日本大震災で大きな被害を受けた亘理町。いまでも大勢の住民が仮設住宅での暮らしを余儀なくされていますが、町の復興計画に基づいて一歩ずつ新しい町づくりが進められています。その先頭に立つ齋藤邦男町長に、お話を伺いました。

 「震災が発生した日は議会開会中で、審議の打ち合わせをしていたときに地震が来ました。宮城県沖地震を経験して以来、私たちの町では毎年、防災訓練をしていましたので、その甲斐あって多くの住民の皆さんが訓練どおりに避難することができました。

 しかし、津波が来るまでに40分ほどの時間があったので、地震の揺れが収まった後、家やいちご畑が気になって戻ったために被災してしまったケースが少なくありませんでした。

 津波が来たとき、もっとも心配したのは海岸通りにあった学校や児童館にいた子どもたちでしたが、先生方による適切な判断で高い校舎に逃げることができました。ただし、津波によって外部と遮断されてしまったため、翌日の夕方になるまで食料が届かず、電気も使えないので、皆で教室のカーテンにくるまって寒さをしのぎました」

体育館とプールに感謝

 町役場も大きな被害を受けて使えなくなったため、いまでもプレハブの仮設庁舎を使っており、震災後1カ月はテントのなかでさまざまな業務をこなしました。

 「町の48%が浸水して危険な状態になったため、震災当初は被災現場に消防関係者しか行くことができませんでした。ですから、役場としては彼らから入る情報をもとに、現場がどのような状況になっているのか想像しながら対策を考えるしかありませんでした。そのなかで、海洋センター体育館が無事だったため、救援物資の保管場所として活用することができて大いに助かりました。また、プールも無事だったため、被災した学校に代わって水泳の授業を行うことができました」

 震災後しばらくは、テントに泊まりながら対策に追われたという齋藤町長。そのような忙しい日々を送るなかで12月には町の震災復興計画をまとめ、新しい町づくりに向けて動き始めていきました。

 「従来、町の予算は100億円ほどですが、平成24年度は6倍の600億円を計上。その大半を災害復旧に当てています。財源の確保が大変ですが、10年計画で安全・安心の町づくりに励みます」

 そのなかで、早く艇庫も復活させたいと語った齋藤町長。海洋センターを活用しながら子どもたちの元気を育み、いままで以上に賑わい輝く町にしていきたいと、胸を膨らせていました。

画像

震災で大きな被害を受けた町役場。いまでもプレハブの仮庁舎で業務をこなしています

画像

住民の安否や生活情報を提供し続けている亘理町の臨時災害FM局「あおぞら」。放送チーフの吉田 圭さんは、「開局にあたっては、複雑な手続きなしですぐに使えた日本財団の支援金に助けられました」と語っていました

子どもたちの心のケアに努めたい

インタビュー:宮城県亘理町 岩城敏夫 教育長

小学校に配置したカウンセラー

画像

震災後、子どもたちの心の健康を気遣った岩城敏夫 教育長。他県からカウンセラーを派遣してもらいながら積極的に心のケアに対応していきました

 今年2月に開催された第8回B&G全国教育長会議で、「東日本大震災~被災自治体のこえ」という演題で亘理町の被災状況ならびに復興に向けた意気込みを語った、岩城敏夫 教育長。震災発生が3月だったことから、新学期を迎えることができるかどうかが心配でした。

 「震災後、多くの人たちが住む場所の問題を抱えていたので、せめて学校だけでも早く再開して子どもたちの居場所を確保してあげたいと思いました。そのため、町内に10校ある小中学校のうち3校が被災しましたが、なんとか生徒を他校に振り分けて、4月25日に入学式、始業式を行いました」

 5月以降には町内の各地域に仮設住宅が建てられ、被災した人たちも徐々に生活を取り戻していきましたが、環境の変化を受けて体調を崩す人も少なくありませんでした。

 「教育委員会としても、子どもたちの健康が何より気になりましたが、体調を崩す子はほとんどいませんでした。というより、むしろ気丈になって環境の変化に負けまいと頑張っている様子が伺えました」

 その気丈さが、かえって気になったと語る岩城教育長。阪神淡路大震災では、1~2年経って心の傷が表面化したケースがありました。

 「中学校には専任のカウンセラーがいましたが、小学校にはいませんでした。そこで、他県からカウンセラーを派遣してもらって子どもたちの心のケアに対応していきました。すると、時間が経つにつれて辛かったことや心配事をポロリと口にする子が出るようになり、涙を流して悩みを訴えるケースも見かけるようになりました」

 これからが要注意であると岩城教育長は語ります。子どもたちの心のケアは、今後4~5年ぐらい続けたいそうです。

貴重な海遊びの体験

 1年近くにわたって救援物資の保管場所として活用された、海洋センター体育館。今年2月になって、ようやくスポーツ少年団の交流大会を行うことができました。

 「亘理町では住民の健康意識が非常に高く、生涯スポーツが盛んなので、海洋センターの各施設は貴重な存在です。ですから、早く艇庫も復活したいと考えています」

 艇庫のあった鳥の海地区では、町の復興計画のなかで堤防のかさ上げ工事が進められており、そのなかで新しい艇庫の場所が決められる予定です。

 「小学校の卒業文集を見ると、一番多い思い出は修学旅行ですが、2番目に多いのが『海洋スポーツ体験学習』です。カヌーやカッターに乗って地元の海に出ることは、子どもたちにとっては貴重な体験です。自分たちの力で海に出ることによって自然に対する畏敬の念が芽生え、そこから海や山を大切にしようという心や、人に対するやさしさなどが育まれていきます」

 子どもたちには、津波の怖さとともに海がもたらす自然の恵みもしっかり学んでほしいと語る岩城教育長。一日も早く、美しい鳥の海に繰り出す子どもたちの姿を見たいと思います。(※完)

画像

第8回B&G全国教育長会議に出席した際は、被災自治体を代表して亘理町の被災状況ならびに復興に向けた意気込みを語りました

画像

今年8月には、津波で本殿や森が流れた町内の神社「神明社」において、日本財団助成による「みんなの鎮守の森 植樹祭」を実施。250人の参加者が1,118本の苗木を植えました

写真提供:亘理町・亘理町B&G海洋センター