連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 81

指導者会の力で、被災地の元気を取り戻したい!

~東日本大震災後の地域復興に励む
亘理町B&G海洋センター、および同指導者会の取り組み~

地震と津波で未曾有の被害が発生した東日本大震災。いちご栽培が盛んな宮城県の亘理町は最大12.3mの津波に襲われ、多くの家屋とともに海洋センター艇庫も全壊してしまいました。 しかし、どうにか難を逃れた体育館は年明けまで救援物資の倉庫としてフル稼動。軽微な被害で済んだ上屋付きプールは、津波で甚大な被害を受けた小中学校の水泳授業を受け入れました。 また、被災した高齢者の健康を危惧した同海洋センター指導者会では、転倒・寝たきり予防プログラムを応用して移動運動教室を展開。いまでも仮設住宅の集会所を回って、多くの高齢者に体を動かすことの楽しさを提供し続けています。 「移動運動教室の実現は、指導者会で知恵を出し合った結果です」と語る、指導者会会長の佐々木利久さん。皆の力で艇庫も早く再建したいと、意欲を膨らませていました 。

プロフィール
●亘理町B&G海洋センター

昭和57年(1982年)開設。体育館、上屋付きプール、艇庫で構成。開設当初から小学校の授業に「海洋スポーツ体験学習」を導入するほか、幼児フロアリズム運動プログラムも長年にわたって展開。東日本大震災で艇庫が全壊したが、体育館を救援物資の倉庫として活用するほか、被災した小中学校に代わって上屋付きプールで水泳授業を実施。現在、町の復興計画のなかで艇庫の再建が検討されている。

●亘理町B&G海洋センター指導者会

平成22年に設立。現会員は11人。震災前は艇庫を利用した水上フェスティバルの開催に力を入れたが、震災後は町内の仮設住宅を回って高齢者対象の移動運動教室を実施。今年の夏には、艇庫がないもののプールを使って水上フェスティバルの再開にこぎつけた。

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第3話力を合わせて災害を乗り越えよう!

なんとかなるさ!

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地震発生から約1時間後に最大高12.3mの津波に襲われた亘理町。町の面積の48%が水に浸かってしまいました


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被災後の海洋センター艇庫。シャッターを突き破った津波が、カヌーなどの器材を海に流してしまいました

 平成22年に11人の有志が集まって発足した、亘理町B&G海洋センター指導者会。さっそく「水上フェスティバル」などの事業をサポートするようになりましたが、年が明けた平成23年3月11日に東日本大震災が発生。亘理町は震度6弱の揺れに襲われた後、最大で高さ12.3mの津波が到来し、実に町の48%に及ぶ土地が浸水してしまいました。

 幸いにも海洋センター体育館とプールは軽微な被害で収まりましたが、艇庫は津波を受けて全損。カヌーなど大半の器材が海に流されてしまいました。

 「艇庫に大きな被害が出たことは分かっていましたが、それよりも被災者支援が先決でした。教育委員会は避難所の運営に当たることになり、私たちは医療の拠点となった公民館で患者さんの対応などに追われました」

 そう振り返る指導者会会長の佐々木さん。7月頃までは現場に寝泊りすることも多く、若手職員の藤倉さんなどは震災当初から4月に入るまでは家に帰った記憶がないそうです。

 「疲れたとか、休みたいとかなんて思う暇もありませんでした。睡眠時間もあまり取ることができませんでしたが、『眠くても、やるしかない』、『寝なくたって、なんとかなるさ!』という心境でした」

 仕事に追われるなかで、どんどん時間が過ぎていったと語る藤倉さん。春が過ぎると被災者の支援活動も軌道に乗っていきましたが、ここで新たな問題が生まれました。町内にある小中学校のプールが地震や津波の被害を受け、夏になっても使用できるメドが立たなかったのです。

活用された海洋センター

 「学校のプールは被災を免れたところもありましたが、屋外にあるため放射能の影響が心配されました。そのため、水泳の授業はしてはいけないということになりましたが、海洋センターのプールなら上屋付きだから泳いでも大丈夫だという結論になりました」

 そこで、教育委員会は町内の全校児童を対象に海洋センターで水泳教室を行うことを決定。また、海洋センターに子どもたちが集まることを機会として捉え、学校の行事として水辺の安全教室も実施していきました。

 その一方、海洋センター体育館は震災以降、次々に運ばれてくる救援物資の保管場所に利用。今年の春まで1年間にわたって住民の生活を支える倉庫として機能し続けました。艇庫だけは全壊してしまいましたが、残る2つの海洋センター施設は、こうしてそれぞれの機能を活かしながら被災した町を支えることができました。

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震災3日前、艇庫の脇に完成した新しい更衣室。誰も使わないうちに被災してしまい、その後、残念ながら艇庫とともに解体されました

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軽微な被害で収まった海洋センターのプール。上屋付きなので放射能の影響の心配がなく、町内の小中学校に代わって水泳教室を実施。水辺の安全教室も行っていきました

仮設住宅で暮らす人たちの元気を取り戻そう

 震災直後、家を失った町の人たちの多くは避難所に指定された学校などで生活しましたが、5月から7月にかけて各地区に仮設住宅が建設されると、そちらに移転していきました。

 「仮設住宅の間取りは必要最小限の広さです。部屋のなかでできる運動は限られますから、気をつけないと運動不足になりがちです。特に、被災して落ち込んでいる人や外出する機会の少ないお年寄りは、部屋にこもりがちになります」

 夏が過ぎて各学校の水泳教室が終わった後、指導者会ではその反省会も兼ねたミーティングを設けました。本来なら水泳教室に関する意見が交わされるはずでしたが、そこで出された話の多くは仮設住宅で暮らす高齢者の健康を心配する声でした。

 「毎日、畑仕事に励んでいた人が部屋にこもってしまうと、途端に体が硬くなってしまいます。仮設住宅はありがたい施設ですが、健康管理には気を配りたいものです。そこで、B&G財団の転倒・寝たきり予防プログラムの研修に参加した者を中心に知恵を出し合って、仮設住宅で暮らす人たちの運動教室を考えました」

 最大の問題は、海洋センター体育館が救援物資の倉庫になっていて利用できない点でしたが、仮設住宅には集会所が設けられています。そこで、体育館などに来てもらって行う教室ではなく、指導者が集会所に出向いて行う移動教室が検討されました。(※続きます)

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取材に訪れた仮設住宅地。全198戸の大所帯でした。亘理町では同様の施設を町内9カ所に設け、3,000人以上の被災者を受け入れました

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仮設住宅地には集会所が設けられており、会合を開けるほどの比較的大きな部屋が備えられています。移動運動教室を考えた指導者会は、このスペースの活用を考えました

写真提供:亘理町・亘理町B&G海洋センター