連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 96

世界の舞台に向けて、大きな夢を投げ込みたい!


2014.01.29 UP

怪我を乗り越え、やり投げ選手に復帰したB&G指導員、佐藤寛大さん

昨年6月に開催された国際陸上競技大会「シンガポールオープン」のやり投げ(やり投)競技で、日本人選手が2位に入る活躍を見せました。その人、佐藤寛大さんは、蔵王町B&G海洋センターで働くB&G指導員(第14回アクア)で、怪我を克服してつかんだ大きな成果でした。「引退を覚悟したときもありましたが、地域の人たちの励ましが大きな支えになりました」と語る佐藤さん。選手として歩んできたこれまでの道のりや今後の目標、そして職場である海洋センターに寄せる思いなどを語っていただきました。

プロフィール
● 佐藤寛大(さとう のぶひろ)さん

昭和63年(1988年)生まれ、宮城県出身。高校時代からやり投げ競技を始め、3年生のときに国体3位入賞。仙台大学3年、4年生時に全日本インカレ連覇。大学院1年生時に日本代表に選抜され2011ユニバーシアード大会出場。2012年に蔵王町に就職して競技を続けるも、怪我を負って引退を考えたが、海洋センターに勤務するなかで一念発起して競技に復帰。2013年に東日本実業団選手権で優勝、シンガポールオープン準優勝を果たす。

● 蔵王町B&G海洋センター(宮城県)

1988年開設(体育館、上屋付プール)。蔵王町は、温泉やスキーで知られる蔵王山の麓に位置し、海洋センターは野球場や多目的グラウンドなどを備える町の総合運動公園に隣接。施設から歩いて2-3分のところにも温泉があり、運動した後に体を休めるには最適な環境にある。

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第4話(最終話)打ち込めるものを見つけよう!

仕事で得る達成感

 子供相手の仕事は自分に向いていないと思っていた佐藤さん。ところが、海洋センターで働くようになると、子供と接する時間が楽しくなっていきました。

 「子供になにかを教え、子供が理解して行動してくれると喜びを感じます。もっとも、私の言葉が間違って伝わってしまうとたいへんですから、子供と接する際は自分の発言や行いに責任を感じるようになりました」

 海洋センターの勤務に慣れてくると、佐藤さんは母校の仙台大学に足を運ぶようになり、スポーツやレクリエーションに関する新しい論文や研究発表に目を通しながら、仕事に役立つ知識を吸収していきました。

 「子供たちが私の指導についてきてくれる姿を見て、もっと自分も勉強しなければならないと思うようになりました。大学では、子供の褒め方とか言うことを聞かない子の接し方といった、心理学的な分野の本や資料をよく読んでいます」

 沖縄の指導者養成研修で学んだことを活かしていくためには、さらにその先を自分で勉強していく必要があると語る佐藤さん。本や論文で学んだことを仕事に応用し、子供たちが喜ぶなどの効果が得られたときは、練習の成果が試合に表れたときのような達成感があるそうです。

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水辺の安全教室でライフジャケットの使い方を説明する佐藤さん。海洋センターで働くようになってから、子供に接することがどんどん好きになっていきました

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地元の蔵王山で楽しんだジュニアスキー教室。地域の豊かな自然を活用して、さまざまなプログラムを考えます

新たな挑戦

練習を再開し、蔵王町のネームが入ったユニフォームで出場した2012年度の東日本実業団選手権大会。見事に優勝を飾ることができました

練習を再開し、蔵王町のネームが入ったユニフォームで出場した2012年度の東日本実業団選手権大会。見事に優勝を飾ることができました

 やり投げの選手として、ユニバーシアード大会で燃え尽き感を覚えてしまった佐藤さん。しかし、就職して気持ちが切り替わったことも手伝い、沖縄の指導者養成研修から戻ると、久しぶりにやりを握ってみたくなりました。

 「沖縄から帰って3日後のことでしたが、試しにやりを投げてみました。しばらく選手生活から離れていた状態だったので、さほど力は入れなかったつもりでしたが、投げた瞬間に足首を痛めてしまいました」

 診察の結果、足首に長年の疲労が蓄積していたことがケガの原因であることが分かりました。燃え尽き感が出るほど競技に没頭してきた学生時代のツケが、久しぶりに投げたことで一気に吹き出てしまったのでした。

 自分のやり投げ人生は、これで本当に終わったと悟った佐藤さん。幸いなことに、海洋センターの仕事に新たな喜びを感じていたので、その後はケガを治しながら子供たちと有意義な時間を過ごしていきましたが、足首の痛みが引いたある日、再びやり投げに挑戦する意欲が沸きました。

東日本実業団選手権大会に続いて出場したシンガポール・オープン。2位に入る活躍を見せました

東日本実業団選手権大会に続いて出場したシンガポール・オープン。2位に入る活躍を見せました


 「水泳教室などで子供たちを指導しながら、人に何かを伝える仕事のすばらしさを見出すことができましたが、さらに踏み込んで考えてみて、私がやり投げ選手として頑張る姿を見せてあげることも、皆の励みになるのではないかとか思いました」

 そんな新たな動機をもとに、佐藤さんはやり投げの練習を再開。海洋センターの仕事が終わると、高校時代のように体の動作を何度も繰り返す練習に励んでいきました。

 「1年半のブランクがあったので、新鮮な気持ちで練習することができました」と振り返る佐藤さん。昨年明けから練習を行うようになり、5月の東日本実業団選手権大会でいきなり優勝を達成。その実績が評価され、続く6月に開催された国際大会「シンガポール・オープン」に日本代表として出場。2位に入る活躍で一気に注目を浴びました。

めざせ、東京オリンピック!

2020年の東京オリンピックをめざして活動を再開した佐藤さん。より多くの町の人たちに自分が頑張る姿を見てもらいたいと意欲を示していました

2020年の東京オリンピックをめざして活動を再開した佐藤さん。より多くの町の人たちに自分が頑張る姿を見てもらいたいと意欲を示していました

 2度目の国際大会となった「シンガポール・オープン」で満足の成績を収めた佐藤さん。その活躍が地元の新聞に取り上げられたこともあって、帰郷すると、たくさんの町の人たちから『よく頑張ったね』などと声を掛けられました。

 「私が頑張る姿を多くの人の励みにしてもらいたかったので、このような声を掛けられてとてもうれしく思いました。また、『次はオリンピックか!』と新聞に書かれましたが、自分としても2020年の東京オリンピックを目標にしたい気持ちになりました。6年後の私は32歳になっていますが、年齢的な問題はあまり考えていません。というのも、やり投げの世界では40歳ぐらいでオリンピックに出る人もいるからです。むしろ2年、3年先の話でなくて良かったと思っており、これから6年掛けてしっかりと体を整えたいと思っています」

 学生時代は、負けてはいけないというプレッシャーと戦いながらオリンピックをめざした佐藤さん。しかし、いまはオリンピックという大きな目標に向けて努力を重ねていきたいという思いに駆られているそうです。

 「正直な話、東京オリンピック出場は難しいことだと思います。でも、いまは目標を持つことができただけで幸せです。可能性が少なくても、それに向けて練習に励む姿を町の子供たちに見てもらい、何か打ち込むものを見つけて努力することのすばらしさを伝えたいと思っています」

 ケガを乗り越え、新たな挑戦の日々が始まった佐藤さん。海洋センターの仕事においても、地域の自然を活かした新たなプログラムをいろいろ考えながら、子供たちの夢づくりを後押ししていきたいと語っていました。(※完了)