連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 94

子供たちの夢を後押ししていきたい!


2013.11.20 UP

カヌー選手のアドバンスト・インストラクター、依田伸一郎さんが歩む道

この秋にさまざまな競技で熱戦が繰り広げられた、第68回国民体育大会(スポーツ祭 東京2013)。カヌー・スラローム/ワイルドウォーター競技会も東京都青梅市の特設会場で開催され、岡山市建部町B&G海洋センターのアドバンスト・インストラクターとしてカヌーの指導に励んでいる依田伸一郎さん(現:同町福祉事務所勤務)も、ワイルドウォーター競技の岡山県代表として力を奮いました。国体はもとより国際大会でも活躍している依田さん。選手として自分自身を鍛えながら若手の育成に努めているトップアスリートに、これまでの道のりや今後の展望について語っていただきました。

プロフィール
● 依田 伸一郎(よだ しんいちろう)さん

昭和51年(1976年)生まれ、岡山県出身。大学時代にカヌーを始め、スプリント競技で活躍(関西インカレ3位など)。大学卒業後は、7年後に開催される地元国体でカヌー競技場を誘致した岡山県建部町に就職し、海洋センターに勤務しながら国体選手の育成に尽力。自らも妻、聡子さんとともに練習を重ね、平成17年に地元で開催された「おかやま国体」ワイルドウォーター種目で夫婦揃って優勝。以後、ワイルドウォーター競技の第一人者として国内外の大会で活躍し続けている。

● 岡山市建部町B&G海洋センター

昭和56年(1981年)開設。艇庫、体育館で構成。町内を流れる旭川沿いに艇庫を持ち、昔からカヌーが盛ん。平成17年には、「おかやま国体」カヌー競技(スラローム/ワイルドウォーター)が町内の特設会場で開催されている。

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第3話ワイルドウォーターへの挑戦

カヌーとの新たな出合い

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ライフジャケットを着て、泳ぎながら玉入れ競争を行う子供たち。カヌーに乗りながら玉を拾って投げるゲームもよく行います

 地元の国体開催に向けて、海洋センターを拠点にカヌーの普及に取り組んだ依田さん。カヌーを覚えた子供たちが飽きないように、水上玉入れ大会なども行っていきました。

 「ある程度カヌーに乗れるようになると、そこで満足して飽きてしまう子も出てくるので、怖がらない程度に難しいことを体験させてあげる仕掛けが必要です。そこで、水上玉入れ大会や、柔らかいゴムボールを使った水上雪合戦などを考えましたが、『これをしたらおもしろそうだ』と楽しみながら工夫を凝らしていきました。自分がおもしろければ、子供たちもついてきてくれます」

 大学時代は競技に明け暮れた依田さん。そのため、海洋センターで子供たちを指導するようになってからは、競技ではないレクリエーションのカヌーに出合うことができて、とても新鮮な気持ちになったそうです。

 「カヌーを通じて、環境教育にも力を入れるようになっていきました。カヌーに乗って水面に出たら、風や水の流れをつかみ、降る雨を肌で感じることができるので、地域の自然環境を学ぶよい機会になります。

 また、カヌーに乗ったら自分でさまざまな判断を行っていかねばなりませんから、自主性や決断力も養えます」

 カヌーが持つ競技以外の魅力を知って、自分自身の視野が広がったと語る依田さん。いろいろなアプローチの方法を考えながら、一歩ずつ地元の子供たちにカヌーを広めていきました。

この道を究めたい

 子供たちにカヌーを指導する傍ら、依田さん自身も新たなチャレンジを始めていきました。これまで依田さんが選手としてキャリアを積んできた種目はスプリント(フラットウォーター)でしたが、町が国体に誘致するワイルドウォーターの練習に励むようになったのです。

 「B&G普及艇を使って子供たちにカヌーの基本を教えながら、将来の選手を育てていくことが国体に向けた私の一番の仕事でした。しかし、海洋センターで働くようになってしばらくすると、地元で開催するワイルドウォーターも子供たちに教えてあげたいと思うようになって、自分でも練習するようになりました」

 それから1年ほどが過ぎると、この年に開催される熊本国体に向けて、ワイルドウォーターの県予選大会が開催。地元で練習を重ねながら高校を出た女子選手が出場したいと、依田さんに申し出ました。

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地元の海洋まつりでカヌーの腕を競う子供たち。国体の地元開催に向け、依田さんはたくさんの子供たちにカヌーを教えて底辺の拡大をめざしました

 「彼女の付き添いがてら自分も出てみると、たまたま良い成績を取ることができて2人とも県の代表に選ばれました。

 しかし、勝負の世界は甘いものではなく、本番の国体では残念な結果で終わってしまいました。学生時代から私が続けてきたスプリントとワイルドウォーターは、まったく別世界の競技でした」

 スプリントもワイルドウォーターも速さを競う競技ですが、フラットな水面を高速で走るスプリントと、所々で露出している岩場を避けながら急流を下るワイドルドウォーターでは、鍛える筋肉や使うテクニックや異なります。その違いは、依田さんの想像を超えていました。

 「初めての挑戦とはいえ、大会に出た以上は負けたら悔しさが残ります。ですからこのまま引き下がることはできず、逆にこの道を究めたいと思いました」

夫婦で歩む国体の道

 平成11年に出場した熊本国体の悔しさをバネに、子供たちを育成しながら自らもワイルドウォーターの練習に力を入れた依田さん。翌年以降も、毎年、県代表の座を得て国体に出続けていきました。

 また、熊本国体で一緒に出た女子選手は、その後、依田さんと結婚。夫婦で選手活動を続けながら、平成17年に開催される地元の岡山国体に標準を絞っていきました。

 「年を追うごとに2人の成績は上がっていきましたが、私の場合は岡山国体の前に体力をピークの状態にしてしまったので、地元開催を控えてちょっと息切れしそうな感じでした。その一方、妻は順調に力をつけていき、心身ともにピークの状態で岡山国体に臨めそうでした」

 実際、妻の聡子さんは地元開催の前年に行われた平成16年の埼玉国体で、初の表彰台となる3位入賞を獲得。翌年に向けて大きな期待が寄せられましたが、依田さんは5位の結果に甘んじることになりました。

 埼玉国体を振り返って、「悔しくて仕方がなかった」と語る依田さん。いつも、夫婦で励ましあいながら大会に出ていましたが、同じ選手として負けなくない気持ちもありました。地元の国体開催まであと1年。順調な仕上がりを見せる聡子さんとともに、依田さんは何としても表彰台に立ちたいと願って日々の練習に打ち込みました。(※続きます)

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ワイルドウォーターの国際大会で激流を下る依田選手。平成11年の熊本国体に出場して以来、スプリントとは違った世界のカヌーに魅せられていきました

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今年の東京国体で行われたスラローム、ワイルドウォーター競技の会場。選手は岩場が点在する急流を全力で走り抜けます