連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 85

町の活性化に励む、センター育成士出身の若き町長


2013.02.13 UP

~45歳のフレッシュリーダー、北海道鷹栖町の谷 寿男町長~

昨年11月、現職では青森県南部町の工藤町長に続いて2人目となる、センター育成士出身の町長が誕生しました。北海道鷹栖町の谷 寿男町長がその人で、45歳という若さで人口7400人の町政を担います。
谷町長は、地元の高校を卒業後、昭和60年(1985年)に鷹栖町役場に就職。2年後にセンター育成士の資格を取って、6年間、鷹栖町B&G海洋センターに勤務し、その後も、ボランティアで海洋クラブや各種スポーツ少年団の指導に力を注ぎました。
「海洋センターを核に、スポーツや健康づくりで地域コミュニティーを広げたい」と語る谷町長。長年にわたって町のスポーツ行政に携わった宝田庄十郎教育長にも同席いただいて、海洋センター・クラブが歩んできたこれまでの道のりや、今後の抱負などをお聞きしました。

プロフィール
●谷 寿男 町長

昭和42年1月生まれ、北海道鷹栖町出身。昭和60年4月、地元鷹栖高校卒業後、鷹栖町役場に就職。農政課、教育委員会、自治広報課、福祉課、企画課などを経て、平成22年4月に議会事務局長。平成24年6月に退職後、同10月の町長選に立候補し初当選。教育委員会時代に第18期センター育成士訓練課程を修了し、6年間、鷹栖町B&G海洋センターに勤務した。

●鷹栖町B&G海洋センター

昭和57年(1982年)開設(体育館、上屋付きプール)。水泳をはじめ各種スポーツ少年団の拠点として利用されており、平成16年にはプールの上屋シート全面張替え、缶体塗装などの修繕を実施している。
また、艇庫がないものの、昭和55年(1980年)に設立されたB&G鷹栖海洋クラブでは、海や川に移動してカヌーやローボートの活動に励んでいる。

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第2話手を携えた2人のB&G指導員

海洋クラブの誕生

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海洋クラブでカヌーの練習に励む子どもたち。海洋センターができる2年前から活動を始めていました


 沖縄の指導者養成研修や海洋センターに勤務した経験が、いまある自分の原点になっていると語る谷町長。海洋センターができた当時は、すでに海洋クラブもできていて、2級育成士(現:リーダー)の資格を取った宝田教育長がカヌーの普及に努めていました。カヌーと出合った経緯について、宝田教育長は次のように話してくれました。

 「たまたま、学校の先輩が旭川市カヌー協会に入っていて、あるとき『カヌーはおもしろいぞ』と言われました。それで、物は試しと夏休みに乗ってみると確かにおもしろかったので、鷹栖町の子どもたちにも乗せてあげたいと思いました」

 自分の体験を基に、水に親しむスポーツを町の子どもたちにさせてあげたいと考えた宝田教育長。旭川市カヌー協会に足を運んでカヌーを借り、子どもたちを集めては農業用水池で練習を重ねていきました。

 「カヌーに乗りたい子はすぐに集まりました。子どもでも操れる乗り物はそうありませんから、皆、旺盛な好奇心を寄せました。また、B&G海洋クラブを作ればカヌーやOPヨットを支給していただけるという話を聞いたので、さっそく仲間を集めて立ち上げました」

 こうして、海洋センターができる2年前にB&G鷹栖海洋クラブが誕生。宝田教育長は2級育成士の資格を取って子どもたちの指導に励んでいきました。

心に響いたアドバイス

 海洋クラブが開設されると、その活動を通じて町の人たちのなかから海洋センターを誘致しようという声が上がっていきました。

 「町民体育館や小学校の体育館を利用していた人たちが中心になって、海洋センターの誘致に動きました。当時、私はB&G財団の笹川良一会長が中心になって全国に広めていた『生命の貯蓄体操』という健康づくり活動をしていたので、海洋センターに関しては笹川会長から直接助言をいただくことができました」

 鷹栖町が海洋センターの誘致を決めたことで、宝田教育長は笹川会長から、「皆が仲良く健康でいることが私の願い。子どもたちには、いろいろな体験を通じて大きな自信をつけてもらいたい。海洋センターはそのための施設です」というアドバイスを受けました。

 「このときから私は町で教育の仕事に携わっていましたが、いただいた助言から、学校教育とはまた違った角度で教育を考えておられる笹川会長の思いを重々と感じることができました」

 宝田教育長が海洋クラブの活動に力を入れて2年が過ぎた昭和57年、鷹栖町に念願の海洋センターが開設。宝田教育長は笹川会長の言葉を胸に、いろいろなスポーツ事業を子どもたちのために行っていきました。

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海洋センター体育館を利用する地域の人たち。笹川会長の言葉を胸に、宝田教育長はさまざまな健康づくり事業を進めていきました

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海洋センターができてスポーツへの関心が高まると、24時間マラソンソフトボール大会などのイベントが次々に企画されていきました

二人三脚で事業を展開

 海洋クラブの活動に励む宝田教育長。海洋センターができて5年後には谷町長がセンター育成士となって体育館やプールの運営に携わることになりました。

 「海洋センターの仕事をしながら宝田教育長から海洋クラブの仕事も引き継ぎ、夏休みに入ると早朝から子どもたちの世話に追われました」

 そう振り返る谷町長。宝田教育長も、谷町長が企画したスキー大会の手伝いを買って出るなどして、二人三脚の事業展開が始まっていきました。

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二人三脚で町のスポーツ事業を推進した、若き日の谷町長(右)と宝田教育長。2人の協力関係は20年以上にわたって続けられています

 「海洋センターという町のスポーツを支える拠点ができてからは、水泳やカヌーはもちろんのこと、ジョギング大会や歩くスキーのフェスティバル、24時間のマラソンソフトボール大会など、知恵を絞ってさまざまな催しを考えました」と、宝田教育長は語ります。

 こうして、いろいろなスポーツの普及に力を入れていった谷町長と宝田教育長。海洋センターができたことで、ともに手を携えた2人のB&G指導員の協力関係は、以来、今日まで20年以上にわたって続いていきました。(※続きます)