連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 103

水に親しむ人たちを力いっぱい支えたい!

2014.08.06 UP

~水泳指導やライフセービング活動に励む五輪メダリスト、源 純夏さん~

7歳で水泳を始め、14歳のときに50m自由形の日本選手権を制した源 純夏さん。17歳で1996年のアトランタオリンピックに出場し、続く2000年のシドニーオリンピックでは4×100mメドレーリレーで見事に銅メダルを獲得しました。
その後は、地元の徳島市に戻って水泳の指導に励む一方、2012年には自ら代表となって徳島ライフセービングクラブを設立。今年に入ってからは、平成26年度B&G指導者養成研修や海洋センター・リニューアル記念イベントで水泳の講師を務めるなど、精力的に活動の範囲を広げています。
「私は、たくさんの方々に支えられて成長することができました。これからは、私にできることで多くの人の役に立ちたいと思っています」
ライフセービングクラブの設立やB&G財団事業に参加するようになった動機をこのように語る源さん。水と触れ合いながら歩んできたこれまでの道のりや、今後の抱負をお話しいただきました。

プロフィール
● 源 純夏(みなもと すみか)

昭和54年(1979年)5月生まれ、徳島市出身。7歳から水泳を始め、12歳で50m自由形学童新記録を樹立、14歳のときに同種目で日本選手権制覇。17歳で1996年のアトランタオリンピック出場、続くシドニーオリンピック4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得。以後、地元の徳島市に戻って水泳指導に励み、2012年に徳島ライフセービングクラブを設立。今年には、平成26年度B&G指導者養成研修や海洋センター・リニューアル記念イベントなどで水泳の講師を務める。50m自由形日本記録保持者、中央大学法学部卒、徳島ライフセービングクラブ代表、徳島県水泳連盟理事、ワールドスイム アゲンストマラリア オフィシャルサポーター

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第1話母が涙したオリンピック

コーチが見抜いた才能

お姉さんとお父さんと撮った小学生時代の源さん。お父さんもお母さんもスポーツ好きで、お姉さんはバレーボールに力を入れていました

 近所にスイミングスクールができたことに加え、「水泳はバランス感覚や基礎体力が身につくし、海や川で身を守る術にもなる」といったご両親の思いもあって、7歳のときから水泳を始めた源 純夏さん。最初の頃はほとんど泳げず、洗面器に顔をつけて息をこらえることさえも苦手だったそうですが、熱心にスクールの送り迎えをしてくれるご両親に背中を押されるようにして、少しずつ水に馴染んでいきました。

 「親は熱心でしたが、私自身は泳げなかったこともあって、水泳の練習が嫌で仕方ありませんでした。それなのに、スクールに入って3カ月後に児童の育成コースが新設されると、どういうわけか私もスカウトされてしまいました」

 なぜ自分が選ばれたのか不思議に思った源さんでしたが、すでに源さんの潜在能力は見抜かれていました。源さんのバタ足を見たスクールのコーチは、「人並み外れたキック力がある。そのパワーを活かしながら水泳の才能を引き出したい」と切望したそうです。

 「このとき私をスカウトしてくださったコーチは、大切な恩師として私にとって欠かせない存在となり、いまでも私を支えてくださっています」

 育成コースに入ると、嫌いだった練習の数は週1回から6回に増大。それでも、「できないことがあると悔しくなって、できるまで何度も繰り返したくなる性格です」と語る源さんゆえ、「水泳に負けたくない」、「自分に負けたくない」と思いながら、ハードな練習メニューをこなしていきました。

見守ってくれたご両親

いま話題のスタンドアップパドル・サーフィンを楽しむ源さん。ご両親が思ったように、水泳によって鍛えられたバランス感覚で、あらゆるスポーツをこなします

 負けず嫌いの性格が功を奏し、厳しい育成コースの練習に励んでいった源さん。やがて、泳げば泳ぐほどにタイムが良くなっていき、12歳のときに50m自由形で学童新記録を達成。14歳で出場した日本選手権大会では同じ種目で優勝することができました。

 「学童記録を出したことをきっかけに、泳ぐたびにタイムが伸びることが楽しくなっていきましたが、中学に上がる頃になると私も反抗期を迎え、ちょっとしたことで親に当たっていました」

 そんな源さんを受け止めながらも、ご両親は毎日、源さんをスクールに送り、練習が終わると迎えに来てくれました。

 「たとえ親に当たっても、父や母は私が良いタイムが出るたびにすごく褒めてくれたり、欲しいものを買ってくれたりしながら、上手に私を応援してくれました。ですから、反抗期を迎えながらも脱線することなく水泳を続けていくことができました」

世界への道しるべ

地元、徳島の海を力泳する源さん。スイミングスクールに入ったときから、潜在能力の高さに注目が集まっていました

 どんなに源さんの心が揺れても、あきらめることなく源さんを支え続けたご両親。1988年にソウルオリンピックが開催された際には、お母さんと一緒に鈴木大地選手が金メダルを取る瞬間をテレビで見守りました。

 「私が小学4年生のときにソウルオリンピックが開催され、鈴木大地さんが背泳で金メダルを取った際には、母と一緒にテレビを観ていました。すると、大地さんが勝った瞬間、母が思わず涙を流しました。その姿を隣で見ていた私は、『オリンピックって、お母さんも泣いてしまうほどすごい競技なんだ。だったら自分もいつか出て、大地さんが母の心を動かしたように、私も知らない人を感動させられる人間になりたい』と思いました」

 その2年後には、学童新記録を出して水泳が好きになっていった源さんでしたが、ソウルに続いて開催されたバルセロナオリンピックでも、源さんは現在に至る大きな道しるべを見つけていました。

今年1月に開かれた水泳連盟の会議で撮った、日本水泳連盟会長の鈴木大地さん(中央)と、バルセロナオリンピック競泳ベルギー代表のバンデワーレ泰広さんとのスナップ。源さんにとって、鈴木大地さんは「夢の始まり」の人でした


 「バルセロナ大会では、私より1歳上の岩崎恭子さんが金メダルを取りました。そのため、『すごいな』と感心しながら、『だったら1歳下の私でも、オリンピックに出てメダルを取ることができるのではないか』と自分を励ましました」

 このとき、はっきりと目標が見えたと振り返る源さん。バルセロナオリンピックの翌年には、14歳で日本選手権を制覇するとともに日本新記録も樹立。飛ぶ鳥を落とす勢いで高校時代を迎えると、めざすべき次のアトランタオリンピックが現実のものとして迫っていました。(※続きます)

写真提供:源純夏、源純夏オフィシャルブログ、オフィシャルフェイスブック