連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 73

30年にわたって手を携え続けている指導者の輪

No.73 30年にわたって手を携え続けている指導者の輪
B&G地域海洋センター青森県連絡協議会・育成士部会

B&G地域海洋センター青森県連絡協議会・育成士部会の活動

地域海洋センターの活動を支える指導者会の役割は大きく、昨年には全国指導者会が発足してネットワークの強化が進められています。そのようななかで、「注目の人」は青森県連絡協議会・育成士部会の活動にスポットを当てました。30年の歴史を刻む同会。県内の各海洋センターが持ち回りで毎年必ず複数の会議を設け、各地から集まった指導者が活発に意見を交換しながら、さまざまな事業を展開しています。「海洋センター指導者に『引退』の二文字はありません。異動があったり定年を迎えたりしても、私たち青森県の指導者は会の活動を通じて心をひとつにしています」と意欲を示す齋藤秋雄会長。11月に行われた今年最後の会議に同席させていただきながら、同会が歩んだこれまでの道程や今後の展望などについてお聞きしました。

プロフィール
B&G地域海洋センター青森県連絡協議会・育成士部会:
第1期海洋センターの1つとして昭和52年に設立された弘前市B&G海洋センターを中心に、いまから30年前、県内の海洋センターが6ヵ所に増えた時点で会が発足。毎年、幹事の海洋センターを決めて持ち回りで年に数回の会議を実施しながら横の連携を深め、あらゆる事業情報を交換。昨年、B&G全国指導者会が設立されてからは、海洋センター単位での指導者会設立にも力を入れている。弘前市B&G海洋センター出身の育成士(現:アドバンストインストラクター)、齋藤秋雄氏が会長を務めており、今年度の登録会員数は80名。ちなみに、青森県南部町の工藤祐直町長(元:南部町名川B&G海洋センター育成士)が現在、B&G全国指導者会会長を務めている。
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第1話第9999期のセンター育成士

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取材にお伺いしたB&G地域海洋センター青森県連絡協議会の定例会。育成士部会の会員も数多く出席して意見を交わしていました


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連絡協議会の会長を務める中泊町の小野俊逸町長の挨拶。B&G全国指導者会会長を務める南部町の工藤町長しかり、青森県下の海洋センター事業には首長による積極的な参加が見られます

恩師の願い

 11月下旬、B&G地域海洋センター青森県連絡協議会の定例会に育成士部会の有志も多数出席すると聞いて取材にお伺いしました。定例会は、会長を務める中泊町の小野俊逸町長の挨拶で始まり、今年度の事業経過や次年度の計画案などを出席者一同で確認。その後、育成士部会との合同情報交換会が始まり、さらにさまざまな意見が交わされていきました。

 「いま、全国各地で指導者会づくりが進められており、昨年には全国指導者会が設立されました。こうした流れに沿えば、私たちの組織も指導者会と呼ぶべきなのでしょうが、なにぶん30年も前に発足して今日まで続いているので、名称も育成士のままになっています。また、部会としているのは、県連協の部内組織として活動してきた経緯があるからです」

 育成士部会を束ねる齋藤秋雄会長は、歴史ある組織の名称についてこのように説明してくれました。実は齋藤会長、データー登録上は第9999期の育成士となっています。

 「私は、育成士の制度ができる前年に沖縄で研修を受けてB&Gプランを勉強した1人です。センター育成士という資格ができたのは、その翌年からだったので、私は第1期より以前の登録になっているのです。コンピューター上、第9999期というは第1期の手前の数字を意味しています」

 全国に先駆け、第1期に建設された海洋センターは6ヵ所あり、弘前市海洋センターもその1つでした。当時、全国を6つのブロックに分け、それぞれ1ヵ所に最初の施設が振り分けられました。

 「私は、中学から高校時代にかけて弘前市内のスポーツ少年団に入っていたのですが、私たちの指導を担当した佐藤先生という恩師が、事あるごとに『これからの子どもは、どんどん海外にも羽ばたいていかねばならない』と力説しておられました。

 そんな矢先、ドイツのゴールデンプランを参考にしたB&Gプランを笹川良一初代会長が提案され、その理念に佐藤先生がいたく共鳴されました。そして、なんとしても東北ブロック内で最初の施設を弘前に建てて、B&Gプランの最前線に立ちたいと熱望されました」

 いまある自分、そして育成士部会は、ここが原点であると語る齋藤会長。恩師の願いを叶えるため、当時、民間会社に就職していた齋藤会長もボランティアで海洋センターの誘致活動に励みました。

天職を見つけたり

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30年の歴史を数える育成士部会を束ねる齋藤秋雄会長。登録上は第9999期の育成士です

 そのような努力の結果、東北ブロックで最初の海洋センターが弘前市に建設されることが決定。さっそく施設の指導者選びが始まり、恩師の願いを受けて齋藤会長がB&Gプランの研修に向かいました。

 「施設がオープンした当初は、B&G財団の職員が弘前に出向して指導にあたっていましたが、しばらくして現地の指導者も確保することになりました。そのため、研修に行った私がその仕事を担うことになりました」

 齋藤会長は会社を辞め、市の臨時職員として海洋センターに勤務することになりました。

 「臨時職員でもいいと思いました。佐藤先生の教えに加えて自ら研修で学んだこともあり、B&Gプランを推進したい気持ちでいっぱいだったのです」

 B&Gプランの理念を胸に、海洋センターで無我夢中で働いたと振り返る齋藤会長。やがて、臨時職員という不安定な立場ではなく、市の体育協会職員として海洋センターの管理運営を任されるようになりました。

 「海洋センターには、昭和52年(1977年)から平成11年(1999年)まで20年間勤務しました。人は『長い間務めて、たいへんだったでしょう』と言いますが、仕事を苦に思ったことはありませんでした。

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日本海に面したB&G岩崎海洋クラブの協力を得て、今年の夏に実施した臨海教室を楽しむB&G弘前海洋クラブの子どもたち。B&Gプランの推進に励んだ斉藤会長の意思は、現在に至るまでしっかりと引き継がれています

写真提供:B&G弘前海洋クラブ

 海洋センターで働き始めた頃といえば、進学塾がブームになって勉強のできる子はセッセと通い、一方でスポーツが好きな子は小学校高学年から部活に励んでいました。そのため、勉強も部活も苦手で、うっかりすれば行き場を見失ってしまうような子を集めては、海洋センター・クラブで指導していきました」

 海洋センターに来ていた子たちは、『勉強ができない、部活が嫌い』というのではなく、成長する過程のちょうどよいタイミングで自分に合ったもの、好きになれるものを見つけられなかっただけだと齋藤会長は指摘します。

 「ですから、子どもたちがしっかり育つための環境づくりがとても大切であり、海洋センター・クラブなら、その手助けをすることが十分にできます。いいものを見つけられなかった子どもたちが、海洋センターに来てワクワクしながら活動し、みるみる成長していく姿を見るたびに、自分自身の心も充実していきましたね」

 まさに天職を得た気分で新しい仕事に励んでいった齋藤会長。やがて、県内の別の場所に海洋センターが建設されるようになると、指導者の先輩として更なる仕事が待っていました。(※続きます)