連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 94

子供たちの夢を後押ししていきたい!


2013.11.06 UP

カヌー選手のアドバンスト・インストラクター、依田伸一郎さんが歩む道

この秋にさまざまな競技で熱戦が繰り広げられた、第68回国民体育大会(スポーツ祭 東京2013)。カヌー・スラローム/ワイルドウォーター競技会も東京都青梅市の特設会場で開催され、岡山市建部町B&G海洋センターのアドバンスト・インストラクターとしてカヌーの指導に励んでいる依田伸一郎さん(現:同町福祉事務所勤務)も、ワイルドウォーター競技の岡山県代表として力を奮いました。国体はもとより国際大会でも活躍している依田さん。選手として自分自身を鍛えながら若手の育成に努めているトップアスリートに、これまでの道のりや今後の展望について語っていただきました。

プロフィール
● 依田 伸一郎(よだ しんいちろう)さん

昭和51年(1976年)生まれ、岡山県出身。大学時代にカヌーを始め、スプリント競技で活躍(関西インカレ3位など)。大学卒業後は、7年後に開催される地元国体でカヌー競技場を誘致した岡山県建部町に就職し、海洋センターに勤務しながら国体選手の育成に尽力。自らも妻、聡子さんとともに練習を重ね、平成17年に地元で開催された「おかやま国体」ワイルドウォーター種目で夫婦揃って優勝。以後、ワイルドウォーター競技の第一人者として国内外の大会で活躍し続けている。

● 岡山市建部町B&G海洋センター

昭和56年(1981年)開設。艇庫、体育館で構成。町内を流れる旭川沿いに艇庫を持ち、昔からカヌーが盛ん。平成17年には、「おかやま国体」カヌー競技(スラローム/ワイルドウォーター)が町内の特設会場で開催されている。

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第1話たった1人の同好会

嫌いだった汗と土

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平成21年度の指導者養成研修に参加した依田さん。久しぶりにシュノーケルをつけて海に入りましたが、アスリートとしての依田さんの原点は泳ぐことにありました

 カヌー・ワイルドウォーター競技の第一人者として、37歳になった今でも国内外の競技で活躍し続けている依田伸一郎さん。3歳の頃に始めた水泳が最初に取り組んだスポーツだったそうですが、その動機は意外なものでした。

 「実は私、幼い頃は運動が苦手で、汗をかいたり土で汚れたりする遊びも好きではありませんでした。その結果として、運動不足で肥満になってしまったため、親が心配してスイミングスクールに入れてくれたのです。水泳なら土で汚れることもなければ、汗をかいてベトベトすることもありませんから、続けられると思ったそうです」

 依田さんの両親は、ともにバレーボールの選手として活躍したアスリートでした。そのため、運動嫌いの依田さんを見て、バレーボールは無理でも、せめて人並に体を動かしてほしいと願ったそうでした。

 「汗も土汚れも気にならない水泳でしたが、最初に水に入る際、私はとても嫌がったそうです。しかし、スクールのコーチがとても熱心に指導してくれたので、しだいに水に入る抵抗感がなくなり、気が付けば楽しく泳ぐようになっていました。

 ですから、今でもこのときのコーチにはとても感謝しています。その後、私もカヌーの指導者になりましたが、こうした子供の頃の体験を思い出すたびに、指導者が担う役割の大切さを痛感します」

カヌーとの出合い

 運動嫌いが転じて水泳が好きになっていった依田さん。小学生の高学年から記録会に出るようになり、中学、高校と水泳部で活躍。貿易の仕事に興味を抱き、通関の仕事を学ぼうと神戸国際大学に進学した際も、水泳を続けたいと考えました。

 「大学に入ってからも水泳を続けるのは当然のことだと思っていましたが、肝心の水泳部が母校にはありませんでした。そこで、どうしようか考えているうち、受験のときに母の友人から『神戸国際大学なら、近くでカヌーに乗ることもできる』と勧めてくれたことを思い出しました。母も学生時代にその友人とカヌーをしていたそうで、私も水泳と同じ水のスポーツということで興味が沸きました」

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指導者養成研修でカヌーの実習に励む依田さん。大学時代はフラットウォーター・スプリント競技の選手として活躍しました

 神戸国際大学にはカヌー部もありませんでしたが、その話をすると、お母さんの友人が神戸大学カヌー部のコーチを紹介してくれました。同じ地元の海ということで、放課後の練習には難なく通うことができるため、神戸大学のコーチが合同練習を許可。依田さんは神戸大学の練習に加えてもらいながら、カヌーの世界に入っていきました。

 「水泳をしていたことから水に対する恐怖感がないうえ、同じ水の上を進むスポーツとして浮遊感や水の流れに乗る感覚などをすぐに得ることができました。ですから、最初は母の友人から勧められて始めた感じでしたが、練習を重ねるうちにカヌーが好きになっていきました」

母校の名で大会に出たい!

 上背があるうえ体も水泳で鍛えていたため、依田さんは大学に入学するやいなやアメフト部にもスカウトされていました。そのため、しばらくは2つのスポーツを掛け持ちで続けましたが、好きになったカヌーのタイムがしだいに向上。そのため、入学から半年が過ぎた時点で、カヌーに的を絞りました。

 「アメフトは、組織的にゲームを組み立てていくスポーツですが、カヌーのシングル競技は個人で結果を追及していきます。それは、子供の頃から続けてきた水泳にも共通する点だったので、私としては組織で動くスポーツより個人的なスポーツに慣れがありました。

 ただ、神戸大学の練習に加えてもらっているだけでは、母校の名でインカレなどの大会に出ることができませんから、何とかして同好会だけでも作る必要がありました」

 依田さんは母校の先生方に相談しながらカヌー同好会作りに奔走。ゼミの友人などに声を掛けて頭数だけは何とか揃えることができました。

 「同好会のメンバーは揃いましたが、実際にカヌーの練習に出るのは私1人だけで、あとは名ばかりの幽霊部員でした。ですから、大会に出場できるのはシングル1種目のみでしたね(笑)」

 たった1人で大会に臨んでいった依田さん。さぞ心細かったはずですが、名だたる大学を差し置いて、大学1年生だけが出るスプリント競技の新人戦で見事に優勝。この結果で大きな自信をることができ、その後は関西インカレ3位、全日本選手権大会でも6位に入るなど、さまざまな大会に母校の名を刻んでいきました。(※続きます)

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水泳をしていたことで、カヌーを始めた際も水への親近感が大きな力になったと、依田さんは振り返ります。こうした依田さんの体験を踏まえ、海洋センターでは水に親しみ水辺の安全を学ぶことの大切さを、たくさんの子供に伝えて続けています

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県のB&Gスポーツ大会でOPヨットの子供を指導する依田さん。大学時代に培ったカヌーの活動をもとに、海洋センターで働くようになってからはさまざまなマリンスポーツに関わっていきました