連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 85

町の活性化に励む、センター育成士出身の若き町長


2013.02.06 UP

~45歳のフレッシュリーダー、北海道鷹栖町の谷 寿男町長~

昨年11月、現職では青森県南部町の工藤町長に続いて2人目となる、センター育成士出身の町長が誕生しました。北海道鷹栖町の谷 寿男町長がその人で、45歳という若さで人口7400人の町政を担います。
谷町長は、地元の高校を卒業後、昭和60年(1985年)に鷹栖町役場に就職。2年後にセンター育成士の資格を取って、6年間、鷹栖町B&G海洋センターに勤務し、その後も、ボランティアで海洋クラブや各種スポーツ少年団の指導に力を注ぎました。
「海洋センターを核に、スポーツや健康づくりで地域コミュニティーを広げたい」と語る谷町長。長年にわたって町のスポーツ行政に携わった宝田庄十郎教育長にも同席いただいて、海洋センター・クラブが歩んできたこれまでの道のりや、今後の抱負などをお聞きしました。

プロフィール
●谷 寿男 町長

昭和42年1月生まれ、北海道鷹栖町出身。昭和60年4月、地元鷹栖高校卒業後、鷹栖町役場に就職。農政課、教育委員会、自治広報課、福祉課、企画課などを経て、平成22年4月に議会事務局長。平成24年6月に退職後、同10月の町長選に立候補し初当選。教育委員会時代に第18期センター育成士訓練課程を修了し、6年間、鷹栖町B&G海洋センターに勤務した。

●鷹栖町B&G海洋センター

昭和57年(1982年)開設(体育館、上屋付きプール)。水泳をはじめ各種スポーツ少年団の拠点として利用されており、平成16年にはプールの上屋シート全面張替え、缶体塗装などの修繕を実施している。
また、艇庫がないものの、昭和55年(1980年)に設立されたB&G鷹栖海洋クラブでは、海や川に移動してカヌーやローボートの活動に励んでいる。

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第1話町づくりの原点

水泳の練習で得たもの

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田園風景が広がる鷹栖町の町並み。自然に恵まれた盆地を活かして農業に力が入れられています


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幼少期の谷町長。小学校に上がるとスポーツ少年団に入って野球に夢中になりました

 北海道のほぼ中央に位置し、北海道第2の都市、旭川市に隣接している鷹栖町。自然に恵まれた盆地を活かして「オオカミの桃」で知られるトマトジュースをはじめ、最近では、おいしい北海道産米の「ゆめぴりか」などが盛んに生産されています。

 そんな豊かな農業の町で、昭和42年に生まれた谷町長。小学生の頃には野球スポーツ少年団に入って毎日のように白球を追っていました。

 「私が子どもの頃は、スポーツといえば野球で、スポーツ少年団にしても野球のほかには剣道ぐらいしかありませんでした。ですから、水泳やカヌーなんて頭のなかには浮かびませんでした」

 その後、地元の高校を卒業してから鷹栖町役場に就職した谷町長。農政課を経て2年後に教育委員会へ異動すると、海洋センターに勤務することになりました。

 「さっそく、センター育成士(現:アドバンスト・インストラクター)の資格を取るため、沖縄の指導者養成研修に参加しましたが、子どもの頃に野球ばかりしていた私は全く泳げなかったのでとても苦労しました」

 31人の同期は、皆、泳ぎが達者だったため、不安に駆られたという谷町長。休務の日も、午前中はプールに行って練習を重ねましたが、一緒に泳いでアドバイスしてくれる仲間がいて勇気付けられました。

 「仲間が励ましてくれたので、『1人じゃないんだ』と思って気持ちに余裕が生まれ、どんどん練習の成果が上がっていきました。泳ぎができなかったことで人の輪の大切さに気づくことができました」

 現在、「まちづくりは、人づくりである」というキャッチフレーズを掲げて町政に励む谷町長。プールで仲間に励まされた体験が、この言葉の原点になっているそうです。

海洋センターのある環境を活かしたい

 指導者養成研修の3カ月間、人一倍努力して見事に水泳の試験に合格した谷町長。たいへんだった練習を通じて水泳に魅せられていきました。

 「泳ぐためには全身の力を抜かねばなりませんが、それは何事も気張り過ぎると上手くいかないという教えにつながります。指導者養成研修に行くまでは、何事も歯を食いしばって全力を出せば良いと思っていましたが、気持ちのなかで力が入れば、体にも力が入ってしまいますし、その逆も然りです。人間、肩の力を抜いて自然体で行くことが一番良いのです。そんなことを教えてくれた水泳が好きになっていきました」

 水泳によって平常心を意識するようになったと語る谷町長。晴れてセンター育成士になって郷里に戻ると、地元の子どもたちにも水泳を広めたいと考え、まっさきに水泳スポーツ少年団を立ち上げました。

 「私たちの町は内陸に位置しているので、私自身がそうであったように、町の子どもたちの多くは泳ぐことより野球などの球技に関心があります。しかし、私が子どもだった時代と違い、海洋センターができたおかげで誰でも手軽に泳げるようになったのですから、このプールのある環境を最大限に活かしたいと思いました」

 さっそく地元の子どもたちに水泳スポーツ少年団への加入を呼びかけた谷町長。自らクルマで町中を回って子どもたちの送迎を行いながら、団員を集めていきました。

 「子どもたちの潜在能力は高く、水泳が上達する速さは私が沖縄で練習したときとは比較になりませんでした」

 その上達ぶりを見ながら、谷町長は、より子どもたちの力を伸ばしてあげたいと願いました。

 「力を伸ばして自信をつければ、たとえ故郷を離れて就職したとしても、自分が生まれ育った町に愛着を感じ続けていると思います。わが町を思い出の故郷にするために私たち職員は汗を流しているのだと思いながら、子どもたちの泳ぐ笑顔を見守りました」

 苦手意識を乗り越え、内陸の町に水泳を広めていった谷町長。海洋センターに勤務していた6年間は、昼間はママさんバレーなど一般利用者との交流に力を入れ、学校が終わる午後からは水泳教室に励んだため、事務仕事はいつも夜になってしまいました。

 「昼間、事務所にいると、ママさんバレーなどの人たちが窓を叩いて、『一緒にやりましょう!』と私を呼んでくれました。そのため、デスクワークが後回しになって残業になってしまう日々が続きましたが、海洋センターを利用する人たちの笑顔を見るたびに、大きなやり甲斐を感じていきました」

 利用者の喜ぶ姿が自分を後押ししてくれたと振り返る谷町長。多くの住民と触れ合うことができた海洋センター勤務時代は、沖縄での指導者養成研修の体験とともに、その後、担うことになった町づくりの原点になっているそうです。(※続きます)

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沖縄の指導者養成研修に励んだ谷町長(右から2番目)。仲間の応援を受けながら水泳をマスターしていきました

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海洋センターで水泳の普及に力を入れた谷町長。現在も多くの子どもたちがプールの活動に励んでいます