連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 84

海を大切にしてくれる子どもたちを増やしたい! 


2013.01.16 UP

~海や漁業の資料を収集しながら海洋教育にも力を入れる、
「海の博物館」館長 石原義剛さん~

温暖な気候と穏やかな湾が連なるリアス式海岸の地形を活かして、古くから漁業が盛んな三重県の志摩半島。この地で網元を務めながら漁業の振興に力を入れた政治家の父、石原円吉氏の意志を受け、昭和46年に漁業や海の大切さを発信する「海の博物館」を鳥羽市に開設した石原義剛さん。 各地に足を運んで集めた伝統的な漁具や船の数々は昭和60年に国の重要有形民俗文化財に指定されましたが、「集めたものを並べて見せるだけが仕事ではありません。海のすばらしさを伝える情報発信や教育活動も大切です」と石原さんは語ります。 今回は、貴重な資料の展示もさることながら、環境問題の研究に取り組む一方、子どもたちを海に連れ出してさまざまな体験教育に力を入れている、「海の博物館」の活動に注目してみました。

プロフィール
●石原義剛さん
昭和12年生まれ、三重県津市出身。大学卒業後、東京で就職するも、32歳のときに父、円吉氏の意志を受けて郷里にU-ターン。3年の準備期間をおいて昭和46年に「海の博物館」を鳥羽市に開設。以後、館長を務めながら大学などで講演をこなす一方、子どもたちを対象にした海洋体験教育にも力を入れている。
●「海の科学館」(財団法人 東海水産科学協会)
網元を務めながら県会議員、衆議院議員を務めた石原円吉氏が、昭和28年に地元の漁業振興を目的に設立した財団法人東海水産科学協会を母体として、昭和46年に設立。三重県各地に伝わる伝統的な漁具や漁村文化の保存・継承を目的とした博物館事業に加え、漁業や海の文化を一般的に知ってもらう啓蒙普及活動にも力を入れている。昭和60年には、博物館が収集した6,800点余の資料が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
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第2話メディアとしての博物館

本物の重み

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イオガタ、ガンゼキと呼ばれるアオリイカやコウイカを釣る疑似餌


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海の博物館が収集した漁船の数々。山のように並べられており、見る人を圧倒する迫力があります

 地元三重県の漁業振興に努めた父の意志を継ぎ、東京からUターンして「海の博物館」を設立した石原義剛さん。古い漁具や船を集めながら、そこに秘められた先人の知恵に関心を寄せていきました。

 「経営的な苦労さえ考えなければ、博物館ほど面白い仕事はありません。漁具や船の収集はとても楽しく、新しい情報に出合えたときはドキドキ、ワクワクします。1つの発見から、次々に新しい事実が掘り起こされていきますからね。

 また、資料になるものを譲ってくださる漁師さんたちとの交流も楽しいもので、いろいろな話を聞きながら海の大切さを知ることができます」

 地元周辺の浜を歩き、さまざまな漁師さんと交流を深めながら博物館に収める資料集めに力を入れた石原さん。博物館を開設して15年後には、収集した「伊勢湾、志摩半島、熊野灘の漁労用具」6879点が国の重要有形民族文化財に指定され、その後もどんどん展示物が増えていったため、平成4年に国の補助を受けて現在の場所に移転。1万8000平米もの広大な敷地に展示棟や研究棟など8棟で構成される博物館が建てられました。

 「現在の博物館を建てるときは、私たちより前に「金比羅庶民信仰資料」1725点が重要有形民族文化財に指定された香川県琴平町の金比羅宮を参考にさせていただきました。金比羅宮は海上交通の守り神で父も信仰していましたが、とても庶民的な神社として知られています。分け隔てのないところが海の文化の特徴です」

 金比羅宮の絵馬堂には、数百年前から航海の安全を祈願する無数の絵馬が、思いのままに並べられています。海の博物館に収められた各地の漁船も、この絵馬堂のように所狭しに並べられており、訪れた人はその数の多さに圧倒されます

 「人によってはガラクタに見えると思いますが、ずらりと置かれた船には実物の迫力があって、誰もが驚きます。手作りによって生まれた物が持つ、本質的な重みがあるのでしょう」

 何の仕切りもない、大きなホールに並んだ大小さまざまな船。そこには分け隔てのない海の世界が広がっています。

情報の伝え手をめざして

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志摩半島の村々では、お盆が終わるとご先祖様が精霊船に乗って海に帰ります。船には茄子で作った人形が乗り、帆には「海に帰るついでに現世の病魔災厄も持っていってください」と書かれています

 博物館には、収集、整理、展示に加え、普及に努めることも大切な仕事であると石原さんは語ります。

 「基本的に、博物館は集めた物を並べて見せるところですが、集めた物に関して何らかの情報を発信して普及に励むことも大切です。『博物館は1つのメディア』なのです」

石原さんたち博物館のスタッフは資料集めに歩くことで、漁師さんなど海で暮らす人たちとのつながりを深め、その一方、集めてきた資料に関する情報を発信することで研究者や専門家とのパイプも太くしていきました。たとえ珍しい物を探してきても、そこに何が秘められているのか調べて評価することが大切だからです。

 「最近の研究者の多くは現場になかなか行かなくなりました。小学校から大学院まで、あらゆる教育が忙しくなって時間的な余裕が少なくなっているからなのでしょうか? いまは、小学生でも遊ぶ時間を割いて塾に通っていますが、大学院の研究者も忙しいようです。

 また、研究者も忙しいとインターネットに頼りますが、拾った情報が本当に正しいかどうか定かでない場合もあります。

 しかし、そんな彼らでも、私たちが送る生の情報に興味を示せば、何とか足を運んで博物館に来て実際に見たいと返事をしてきます。インターネットと違って、ここに来れば簡単に実物と出合えるのです」

 漁師さんなど海で暮らす現場の人たちと、歴史や文化の研究者の橋渡し役も担っている石原さん。こうした仕事を続けるなかで、深刻な問題を抱える発見もありました。 (※続きます)

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地元に伝わる方法で板ノリを作る親子の皆さん。海の博物館では地元の文化を体験するイベントにも力を入れています

写真提供:海の博物館