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北本 忍さん
1977年生まれ。兵庫県出身。武庫川女子大学カヌー部に在籍後、富山県体育協会に就職。
その後、富山国体500mシングル優勝。アテネオリンピック500mフォア9位、北京オリンピック500mペア5位などを経て、2009年ワールドカップ第1戦500mシングルで優勝。翌2010年には日本人として初めて世界選手権大会200mシングル3位銅メダルを獲得。アジア大会200mシングルでも優勝を果たし、現在、ロンドンオリンピックをめざして活動中。
大学卒業後、富山県に住所を移して練習に励んだ北本さん。その甲斐あって1年後の富山国体で見事に優勝を飾ることができ、次の目標もすぐに見えました。
「大学4年生のときに世界の壁の高さを経験していましたが、一緒に練習していた先輩がアトランタオリンピックに出場したことが、私を勇気づけてくれました」
世界とのレベルの差を感じながらも、先輩の活躍に刺激を受けて次のアテネオリンピックをめざしたいと思った北本さん。富山県を拠点に練習活動を始め、国内外のさまざまな大会に出場して腕を磨いていきました。
「富山国体が開催されたのが2000年、アテネオリンピックは2004年の開催だったので4年間の月日を十分に使うことができましたが、成果はなかなか得られませんでした。国内大会では常にトップ3の成績を収めることができたものの、国際大会ではレベルの違いに圧倒されるばかりだったのです」
海外の大会に行けば行くほど気持ちが萎縮してしまったと振り返る北本さん。しかし、アジアの強豪、中国が早い時期にアテネの切符を手にしたことで一筋の光が見えてきました。アテネオリンピックの開催年に行われるアジア大陸予選に出て、中国を除いたアジア各国のなかで勝つことができれば、最後の切符に手が届くことになったのです。
「世界のレベルにはまだまだ手が届きませんでしたが、強豪の中国を考えなくて済むのなら、アジアのなかでは勝てるかも知れないと思いました」
そんな思いに駆られて練習に励んだ北本さん。アジア大陸予選ではシングル、フォア両方で勝ち、見事にアテネ行きの切符を手にすることができました。
4年間の努力が実を結び、ついにアテネの地を踏んだ北本さん。開会式では自分が会場にいることが信じられなかったそうです。
「競技云々よりオリンピックに出たこと自体がうれしくて、開会式では『本当に自分が出場するんだ』という思いが湧きあがりました」
世界の壁を知っていたため、結果にこだわらないで試合に臨んだという北本さん。ノンプレッシャーで思い切り力を出したことが功を奏し、気がつけば500mフォアでは決勝に進出。これは日本人で初めての快挙でした。
「オリンピックのレースは、世界の強豪がメダルを懸けて懸命にパドルを漕ぐ、緊張感あふれる世界でした。そこには、いままで経験したことのない独特の景色が広がっていました」
頂点のレースを経験したことで、トップの国とは差があるものの、やっと自分の目のなかに他の国が入ってくるようになったと振り返る北本さん。この緊張感あふれる世界に、もう少しいたいという欲も芽生えました。
そのため、ただちに次の北京オリンピックをめざすことになりましたが、そこに頼もしいパートナーが現れました。カヌー先進国ルーマニア出身のコーチが行動を共にすることになったのです。
「外国人コーチになってから、モチベーションがどんどん高まっていきました。現在、どこの国のどんな選手が、どれぐらいのタイムを出しているかといった海外のさまざまな情報をコーチが教えてくれるので、知らないうちに意識が世界に向いていくのです。
また、いままでは冬でも寒い国内で練習していましたが、スペインやポルトガルなど暖かい国に行ってトレーニングするようになり、その際は海外の強い選手たちと一緒に行動するようになりました。
そこで知ったのは、どんなに強い選手でも必死に練習しているということでした。考えれば分かることですが、最初から強い選手なんていないのです。ですから、やれば自分だってできるはずだと思って勇気が湧きました」
海外でさまざまな経験を積むなかで、気がつけば外国のどんな大会に出ても怖気づかなくなっていたという北本さん。世界の強豪ひしめくワールドカップを転戦するようにもなり、何度か3位入賞を獲得。こうして着実に力をつけて臨んだ北京オリンピックでは、アテネ大会とは違って結果を追求。メダルこそ逃がしたものの、500mペアで5位入賞を獲得することができました。
そうなると次への期待も膨らみますが、そこに思わぬ朗報が入りました。これまでのオリンピックでは、北本さんが得意とする200mシングルの種目がありませんでしたが、次のロンドン大会では設定されるというのです。三度目のオリンピックをめざして、北本さんはいままで以上に練習に励んでいきました。(※続きます)