本文へ 財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団 サイトマップ
HOME B&G財団とは プレスリリース イベント情報 全国のB&G リンク集

人の命は1分でも早く救いたい〜ドクターヘリで救命救急に努める医師、中川儀英さん〜

注目の人
東海大学医学部専門診療学系
救命救急医学准教授

中川儀英さん


昭和37年生まれ、東京都出身。
東海大学医学部卒業後、救命救急医の道を選択。
現在、東海大学医学部付属病院高度救命救急センター次長、ならびに同大医学部専門診療学系救命救急医学准教授。医学博士。
日本ライフセービング協会理事、国際ライフセービング連盟メディカルコミッティ。


 ドイツでは全国土に展開されているドクターヘリ(医療器材を搭載したヘリコプターに医師が乗り込んで救急現場に向かうシステム)。日本では国と県の補助を受けて運用する救命救急センター事業として平成13年度から導入され、現在、全国20ヵ所で展開されています。
  そのなかでも、いち早く事業に取り組んだ神奈川県の東海大学付属病院高度救命救急センターでは、3チームが交代で年中無休の勤務にあたり、年間300〜400件ものフライトを通じて地域の救命救急医療を支えています。 今回は、そのチームを束ねるリーダーであり、地元の浜ではライフセーバーとしても知られている中川儀英先生にスポットを当てました。

第1話:文武両道の大学生活

部活を楽しみたい!

写真:東海大学付属病院概観
神奈川県西部の緑豊かな丘に建つ東海大学付属病院。手前の案内に従って施設内に進むと高度救命救急センターが控えています

写真:緊急用ヘリコプター
病院のロビーから約200m離れたところに確保されたヘリポート。年間300〜400回もの出動要請に対応しています

 父親が医師だったことから、ごく自然に同じ道をめざしたという中川先生。大学受験で予備校に通うと、英語の講師から大学選びのヒントを聞きました。

 「とても話好きの先生で、あるとき話題が大学はどう選ぶかについて及ぶと、『蔵書がたくさんあること。そして、緑に囲まれた環境にあること』という、2つの要点を話されました」

 そのアドバイスを頭に入れながら、いろいろな大学のパンフレットを見るなかで目に止まったのが、緑豊かな敷地に充実した施設が並ぶ東海大学でした。

 「特に医学部は神奈川県西部の丹沢山地にほど近い場所にあり、東京の自宅から通うのは大変でしたが、とても自然に恵まれた環境にありました」

 学園祭になると、夜通し山に登って山頂で朝日を拝むイベントに参加。夜明けとともに見えてくる富士山や相模湾の雄大な景色を眺め、ここで大学生活を謳歌するならスポーツに励んで大いに体を動かしたいと考えました。

 「もともと走ることが好きだったので陸上部に入ろうとしましたが、勉強に追われるためか、医学部の学生で運動部に入る者はいなかったので不安に駆られました」

 しばらく思い悩んだ末、恐る恐る練習を見学した中川先生。しかし、大勢の部員を前に自己紹介をした際、雰囲気に呑まれて「よろしくお願いします」と思わず言ってしまいました。

 「その一言で不安が一気に吹き飛びました。また、さまざまな人生観を持って大学生活を送る部員との交流がとても新鮮に感じられ、それが私自身の人間の幅を広げてくれました」

 ところが、日々の練習に励むためには、どうしても自習の時間が減ってしまいます。それが部活を始める際の大きな不安要素でしたが、自習時間が少なくなった分、むしろ授業に集中できるようになり、効率の良い勉強方法が身についていきました。


医者は患者を選べない

写真:救命救急の現場の様子
救命救急の現場では、あらゆる患者さんに対して適切な対応が求められます
(写真:東海大学付属病院高度救命救急センター)

 勉強と部活を両立させながら大学生活を謳歌した中川先生。4年間の座学を修了し、臨床実習に入った5年生のとき、その後の進路を決める大きな出来事に遭遇しました。

 「友人の車に乗っていたら、数台先で衝突事故が起きました。そのため、車を止めて現場に駆けつけると血だらけの人が横たわっていましたが、医学生であるにもかかわらず、私は何をどうしたらいいのか分からず、一瞬、頭が真っ白になってしまいました」

 必死に自分の気持を落ち着かせ、血だらけの腕を握って脈を取るのが精一杯だったと振り返る中川先生。この出来事を境に、医師として自分がどのような道を歩むべきか自問自答するようになりました。

 「飛行機や新幹線に乗っていて急患が出ると、『お医者さんはいませんか』とアナウンスされますが、産気づいた女性を前にして『私は産科医ではありません』などと言って現場を去ることはできません。患者さんは自分の体のどこが痛いかで医者を選ぶことはできますが、倒れた人を前にして医者は患者さんを選ぶことはできないのです」

 どんな専門に進もうが、いざというときに適切な行動が取れる間口の広い医師になりたい。中川先生が抱いたそんな思いをさらに高めたのが、救命救急外来の臨床実習でした。

 「臨床実習でいろいろな医療現場を経験するのですが、偶然にも私が5年生になった年から救命救急外来が必須科目に加わりました。救命救急医は、次々に運び込まれるさまざまな容態の患者さん全てに向かわなければなりません。ケガを負った人もいれば、病気で倒れた人もいるわけです。ですから、どんな患者さんが来るのかおおよそ分かる他の科とは、かなり異なる医療現場です」

 命を救うために、リアルタイムであらゆる対応に迫られる救命救急医。その現場には、間口の広い医師になるための答えがしっかり用意されていました。(※続きます)