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府中市B&G海洋センター:昭和52年(1977年)、第1期海洋センターとして市内を流れる芦田川沿いに艇庫と屋内温水プールを開設。
おもに水泳教室事業に力を注ぎ、FSC(府中スイミングクラブ)の名で数々の大会に出場。これまでに、JOCジュニアオリンピック10回出場、B&G財団の「ウォーターマラソン」に5年連続参加。
水泳のほかにも、指導者会が中心になってカヌーの普及活動にも励んでおり、平成17年度にはプールの一部バリアフリー化を含む大規模改修を実施した。
全国に先駆け、第1期事業の施設として昭和52年に誕生した府中市B&G海洋センター。念願のプールや艇庫ができたことで喜ぶ住民もたくさんいましたが、なかには懐疑的な声を上げる人もいました。
「前例のない第1期の施設だったので、無理もありません。まだB&G財団の事業そのものを知らない人が多く、『水に馴染みの少ない、こんな内陸にプールをつくってどうするんだ』とか、『狭い川でカヌーの活動ができるのか』などと、よく人から疑問符を投げ掛けられました」
そう当時を振り返る、現センター所長の石山さん。しかし、施設が稼動するとともに消極的な声はしだいに消えていきました。
「当時、プールの温水化は海洋センターの標準仕様ではありませんでしたが、どうしてもほしいと無理に無理を重ねて実現させていただきました。そのため、年間を通じてプールが利用できるようになり、『内陸なのに水泳がいつでも楽しめる』と、多くの人が喜びの声を上げてくれました。このとき温水化を諦めていたら、今日に至る水泳の普及は考えられなかったと思います」
現在、海洋センター職員として水泳の指導に励んでいる大越さんも、海洋センターの温水プールに通って水泳の楽しさを知った子の1人でした。
「小学校に上がるのと同時に、姉と一緒にプールに通うようになり、しだいに水泳が好きになっていきました。私はどんなスポーツも好きですが、水の上で体を動かす心地良さは例えようもありません。
ですから、中学、高校でも水泳部に入りましたが、学校のプールは冬になると閉鎖されてしまいます。そのため、オフシーズンになると海洋センターに場を移して練習に励みました。
海洋センターができて以来、府中市では水泳が盛んになっていきましたが、これはひとえに屋内温水プールのおかげだと思います」
海洋センターでは、開設当初から年齢やレベルに応じてさまざまな水泳教室を企画。プールに通う子どもたちが大会に出る際は、FSC(府中スイミングクラブ)の名でまとまるようになっていきました。
大越さんも、高校を出るまでは部活と並行してFSCのクラブメンバーとしても活動。特に高校時代には、アルバイト指導員として海洋センターの水泳教室を手伝いました。
こうして、冬場でも利用できるプールを拠点に、FSCの活動は年間を通じて途切れることなく続いていきました。
オープン当初は懐疑的な声も聞かれた海洋センターでしたが、温水プールが決め手になって事業は順調に推移。しかし、開設から10年を過ぎる頃から、にわかに設備の老朽化が目立つようになっていきました。
「オープン後の施設管理は地元の府中市に委ねられ、それから10年あまりは市の予算で修繕をこなしていきましたが、とうとう平成5年になって天井や床などに手を入れなければならない大きな修繕が必要になってしまいました」
当時のB&G財団は、全国各地に新たな海洋センターを建設する業務が中心で、台風などの災害復旧をのぞいて既存施設の修繕助成制度は特に設けていませんでした。
「財団の事業方針は理解していましたが、なんとか助けていただいきたい気持ちがいっぱいでした。その胸の内を、同じ第1期の海洋センターに話してみると、私たちと同じ悩みを抱えるところがいくつかありました」
そこで、石山さんたちスタッフは、同じ悩みを持ついくつかの海洋センター代表を集めて東京に足を運び、B&G財団に事情を説明しました。
「各自治体の予算で行ってきた過去の修繕内訳をもとに話を進め、『私たちも自前でなんとか努力していますが、どうしても助けがほしいときも出てきます』といって、ご理解いただくよう努めました」
こうして何度か話し合いを重ねた結果、プールの暖房機が壊れて身動きがとれなくなった平成8年に、B&G財団から府中市B&G海洋センターに修繕助成金が交付されました。
「これが、全国ではじめての修繕助成となりました。また、話し合いを重ねるなかで財団との間に太いパイプが生まれ、そのことが海洋センター事業を推進していく上での大きな力になっていきました」
この平成8年は、暖房機が新しくなったほかにも、うれしい出来事がありました。大阪の専門学校を卒業した大越さんが、就職先を求めて海洋センターに戻ってきてくれたのです。全国初の修繕助成を受けた海洋センターは、オープン20年を節目に新たな時代を迎えていきました。(※続きます)