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兵庫県芦屋市出身。神戸松蔭女子学院短期大学卒。西野バレエ団に所属しながら関西地区のテレビ、ラジオ出演を経て、21歳で女優デビュー。絵画活動にも励み、二科展入選のほか、2009年度「政経文化画人展」内閣総理大臣賞受賞。農林水産省、国土交通省関係を中心に公職も多数経験。現在、B&G財団理事。農業に関心が高く、休日には山梨県韮崎市郊外の農地で作物づくりに励んでいる。
青春テレビドラマ「サインはV」の大ヒットを機に、さまざま芸能分野で活躍するようになっていった岸ユキさん。忙しい日々を送るなかで、あるときから思い出したように筆を取って絵を描き始めました。
「ちょうど、『サインはV』が終わって、ひと段落したときでした。ふと絵を描きたくなって、それ以来、時間ができるたびに絵筆を握るようになりました」
岸さんの絵は二科展に何度も入選し、今年度の「政経文化画人展」では最高の賞である内閣総理大臣賞を受賞。絵本も数多く出版されていて、多くのファンを魅了しています。
「なにかおもしろい構図がないか、普段からいろいろな物を見て探していると、『これは絵になる』と思う場面に出会います。その出会いを楽しみ、ワクワクしながら、自分が感じたものを表現していきます。
もっとも、絵はほとんど独学です。子どもの頃、画家の父の横で、なんとなく描いていて、父の希望で美大をめざそうとした時期に、少しだけデッサンを習った程度です」
絵になる構図、風景に出会ってワクワクする感情を持っていなかったら、何十年も絵を描き続けることはできないと、岸さんの夫、重吉 聰さんは言います。重吉さんは、岸さんが門を叩いたときから西野バレエ団に在籍している、クラシックバレエの大先輩。岸さんの良き理解者として、長年にわたって岸さんの絵画活動を見守り続けています。
「野菜を大事に育てあげることも、心をこめて絵を仕上げることと同じだと思います。ですから、無感情な人に農作業は続けられません。絵心や誌的な心を持って野菜作りを楽しむからこそ、私たち素人でも手間のかかる農作業を毎年続けられるのだと思います」(重吉さん)
いまから26年前、岸さんは「明るい農村」と「岸ユキのふるさとホットライン」という、いずれも日本各地の農村を訪ね歩く番組で、レポーターを務めることになりました。
「2つの番組を通じて、日本中の農業の現場に足を運ぶことができましたが、訪れる土地ごとに美しい田園風景が広がっているので感動しました。特に、田植えが済んだ田んぼを眺めるたびに、不思議に豊かな気持ちになることができました。『これは、私が日本人であるからなんだろうな』って、よく思ったものです。
また、長野県のある田んぼを借りて稲作にチャレンジし、その経緯を番組で紹介したことがありました。そのなかで忘れもしないのが田植えの経験です。素足で田に入った瞬間、ヌメッとした感触が広がり、田に引いた水が温かったり冷たかったり、泥のなかにヒルもいたりと、都会育ちの私にとっては作業のすべてが強烈な体験でした。
そして、『山の雪解け水が大地を潤し、そのおかげで米が育つんだ』と、田んぼのご主人が語ってくれた言葉も耳に残りました」
農村を訪ね歩く番組を通じて、自然に育まれながら脈々と続く日本の農業のすばらしい姿に出会ったという岸さん。さらに、世界の国々を旅して歩くテレビ番組に出演したことによって、この思いはますます高まっていきました。
「この番組を通じて、水の欠しい砂漠で必死に野菜を作っている人々や、日照時間の少ない極寒の地でも楽しく暮す人々などに出会い、そのたびにカルチャーショックを受けました。
そして、いつも思ったのが、日本ほど自然に恵まれた豊かな国はないということでした。それなのに、多くの人が貴重な四季の移り変わりを無視しながら暮しています。1年を通じて、いつも同じ野菜を食べ、1年を通じて、いつも同じ温度の部屋にいるわけです。
厳しい環境のもとで生きる人々のことを思えば、私たち日本人は、もっと自国の恵まれた自然に感謝をしながら暮すべきだと思います」
仕事を通じて、美しく豊かな国、日本を再発見することができたと語る岸さん。この恵まれた地にしっかりと足を下ろし、少しでも自然に感謝をしながら暮したいと願うようになっていきました。(※続きます)