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昭和27年(1952年)生まれ、北海道留萌郡出身。小平町教育委員会に就職後、旧センター育成士として地元海洋センターの運営に励み、カヌー、カッターの全国大会で何度も優勝を遂げるなど、海洋クラブの指導者としても活躍。現在は町の教育長を務めながら、海洋センター事業の発展に期待を寄せている。
「宿泊できる青年の家が近くにあったので、泊りがけの研修メニューにカヌー体験を入れる学校が少なくありませんせんでした。このような団体は人数が多いですから、当日の混乱を防ぐための下準備が必要でした」
いかに滞りなく当日のメニューをこなしていくか、他のスタッフたちと何度も検討したという板垣さん。いろいろな知恵が絞られたなかで、もっとも効果を上げた対策がありました。
「宿泊研修の場合は、カヌー体験の前の晩に青年の家に利用者が宿泊します。ですから、夜のうちに事前のレクチャーを済ませておくことを思いつきました。『夜の研修時間』を設けてカヌーやヨットを青年の家に持ち込み、パドリングの仕方や帆走理論などを前もって教えたのです。
もちろん、翌日の朝にも通常メニューと同じように水面に出る前のレクチャーを行います。ですから、それが前の晩の再確認になって、皆、スムーズに体験活動を楽しむことができました」
前の晩から対応する手間が増えるものの、余裕を持って当日のスケジュールに取り掛かることができたと語る板垣さん。こうした努力の積み重ねによって、団体利用が確実に増えていきました。「この事業についても、いろいろな知恵を出しながら進めていきました。B&G指導者としては2期上の先輩職員も海洋センターの担当になっていましたので、2人で意見を出し合いながら試行錯誤を繰り返しました。
そのなかで大きな成果を上げたのが、海洋センターばかりに頼るのではなく、3カ所あった学校のプールと1カ所あった町営プールの活用でした。現在、さまざまな海洋センターで『出前カヌー』や『プールのOPヨット』が実施されていますが、まさにそれらと同じ発想で、『移動マリンスポーツ教室』という名のプログラムを発案したのです。プールでカヌーやヨットに乗るアイデアは、おそらく私たちが最初だったのではないかと思います」
海に面した小平町ではありますが、当時、山間部に住む子どもたちはあまり海まで来て遊びませんでした。「それなら、こちらから出向いてカヌーなどに乗せてあげよう」と考えたことが、発想の原点だったそうです。「普段でも、7時ごろまで現場仕事を続け、それから9時、10時までデスクワークをこなす日が少なくありませんでした。しかし、忙しいなかにも充実感があって、振り返れば楽しい日々に思えます。
また、仕事を終えて一杯やるときの楽しさは格別でしたね。遅くなったときは、海洋センターの体育館で運動マットを布団代わりにして寝たものです(笑)」
仕事の原動力がどこにあったのか尋ねると、「海洋センターの仕事に大きなやり甲斐を感じていたことに尽きる」と答えた板垣さん。どんな仕事でも、そこにやり甲斐を見つけることさえできれば、忙しくても楽しくなるはずだと語っていました。
「海洋センターの事業を通じて、地域住民の体力向上や健康増進、子どもたちの健全育成といったことを考えれば、そこに大きな責任を感じます。それが日々の仕事のやり甲斐につながっていきました。逆に言えば、海洋センターで働くことによって、こうした事業の大切さを知ることができました。また、そのことが、いまある私の原点になっています」
やり甲斐を見つけて仕事に励む板垣さん。その熱意は海洋クラブの指導にも向けられていきました。(※続きます)