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―高校時代まではバスケットボールをしていましたが、大学に入った際、水上スキー部に勧誘され、「水上スキーの競技人口は少ないので、初心者の君でも努力すれば日本一になることも夢ではない」という先輩方の話を聞いて、チャレンジしてみたい気持ちが湧きました。
また、水面を滑る爽快感は他のスポーツにはない魅力です。水上スキーの楽しさを知って、どんどん練習に打ち込んでいきました。
■ 大学を出て、現在の仕事に就くまでの経緯を聞かせてください。―大学卒業後は東京に出て就職し、社会人のタイトルを狙って競技活動に力を入れましたが、3年経っても思うような結果が得られず、くやしい思いをしました。そんな矢先、大分県中津市にある、耶馬溪アクアパークという市営の水上スキー場から声を掛けていただき、水上スキーのインストラクターとして勤めるにようになりました。
耶馬溪アクアパークは学生時代から練習に使っていた場所で、当時から施設を管理している役場の方々のお世話になっていました。その縁あって就職することができましたが、市の教育委員会に採用されたことから、ゆくゆくは海洋センター施設(プール、体育)の運営管理もこなさねばなりません。そのため、今回のアクアインストラクター指導者養成研修に参加させていただくことになりました。―アクアパークのあるダム湖のふもとに海洋センターの体育館があり、その隣に水上スキー用の艇庫が置かれています。ですから、海洋センターのことは学生時代から知っていましたし、職員の方々と言葉を交わすこともありました。ただ、私は水上スキーの練習に明け暮れていましたから、海洋センターの活動に直接関わることはありませんでした。
■ そんな中村さんでも、今回の指導者養成研修に参加したことで海洋センターの仕事を十分に理解することができたのではないかと思います。中村さんにとって、どのような研修になりましたか。―私は小学生の頃にスイミングスクールに通っていたので水泳には自信がありましたが、今回の研修に参加したことで、自分が考えていた以上に体が鈍って泳力が落ちていることを知りました。まずは、その事実に愕然としましたね(笑)。
また、市役所には、すでにB&G指導者資格を持つ職員が2名いますが、私は何も相談せずに沖縄に来てしまいました。ですから、研修生活の規則が思っていた以上に厳しいので少々驚きました。しかし、厳しい生活だったからこそ、研修生たちの団結力が固まって有意義な時間を過ごすことができました。
―私も含め、班の全員が立ち泳ぎの習得に苦労しました。最初に私が班長を任されたので、皆に声を掛けて、ほぼ毎日2時間の自主練習を行い、一番苦手な人に全員の目標を合わせることで全員同時の合格を目指しました。
その結果、30秒の目標から始めて徐々に時間を伸ばしていき、班の11名すべてが手を携えて合格することができました。こうして一緒に助け合って練習した時間がとても有意義に感じられ、仲間同士の固い絆が生まれました。
■ 実習以外で得たものはありますか。―中村真衣さん、谷川真理さんの講演がとても為になりました。中村さんの場合は、休みなく練習に励んだ現役時代の話に聞き入り、トップに立つ人の努力のすごさに感動。また、谷川さんには直接質問する機会を得て、大会で緊張した場合、どのように気持ちをコントロールしたらいいのかお聞きし「迷うことなく、これまでしてきたことに自信を持つようにしてください」という、貴重なアドバイスをいただきました。
―地元に戻ってすぐに「子どものためのウエイクボード教室」がありましが、研修で学んだことを生かし、ライフジャケットを着た状態で十分に水慣れさせてからボードに乗せるように、段階を踏んだメニューを取り入れました。
すると、昨年は水面に出るのが怖くて泣く子も出ましたが、今年は全員が楽しい1日を過ごすことができ、泣く子は1人もいませんでした。研修の成果がすぐに得られ、大きな自信につながりました。
また、後日には養護学校で水泳授業のサポートをお願いされました。障害を持って思うように体が動かない子もいましたが、研修で学んだことを思い出し、泳げない子は抱いて一緒にプールの中を歩き回るなどして喜ばれました。
このように、いろいろな場面で研修の成果が出ています。現在は、アクアパークで水上スキーやウエイクボードの指導に励んでいますが、ゆくゆくは海洋センターの仕事にじっくり取り組んでいきたいと思います。
■ 今後の活躍に期待しています。インタビューありがとうございました。(※完)