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B&G別府海洋クラブ:昭和57年(1982年)設立。日本セーリング連盟、日本ジュニアヨットクラブ連盟、日本OPヨット協会などに加盟。現在のクラブ員は25名。
濱本徹夫さん:昭和34年生まれ、大分県出身。大学時代、神奈川県の湘南でボードセーリングの競技活動をはじめ、卒業後も別府市役所に勤務しながら九州各地区の大会に出場。その後、B&G別府海洋クラブ代表となって、クラブ活動の活性化に尽力。現在はB&G西日本OPヨット大会の開催や、B&G指導者養成研修のヨット指導などに力を注いでおり、日本OP協会理事長も務めている
「私の家の近所に福岡から引っ越してきて、『一緒に活動をしよう』と誘ってくれた山田さんの娘さんが、先陣を切って競技に出ていきました。しかし、最初に出場した浜名湖の大会は風が強く、ほかの選手が出艇していくなかで、彼女だけはどうしても出ていくことができませんでした」
もっと練習を重ねないと大会に出場できないと考えた濱本さんや山田さん。その頃はクラブに十分な数のヨットがなかったため、子どもたちは交代で乗るしかありませんでしたが、それでも丹念にブイを回る練習を繰り返していきました。「当時の福岡ジュニアヨットクラブ(B&G福岡海洋クラブ)が、何年かおきにニュージーランドに行って地元のクラブと交流していて、この年は私たちのクラブも一緒に行かないかと誘われました。別府市の姉妹都市であるロトルア市のヨットクラブにも行くというので、それなら市長の新書を持って訪問しようということになり、保護者共々クラブ全員で参加しました」
ニュージーランドとの交流事業を積極的に推し進めていたのは、当時、福岡ジュニアヨットクラブの会長を務めていた庵原新太郎さんでした。
庵原さんは、“ジュニア世代は、勝敗にこだわる以前にヨットそのものを楽しみ、友だちと一緒に走る喜びを見出そう。そこから、仲間を思いやる心が芽生える”という考えをもってクラブを指導。その延長線上に外国の仲間との交流がありました。
「ニュージーランドでは、いろいろなジュニアヨットクラブを見て回りました。そこで、まず驚いたのは子どもたちが乗っているヨットでした。お父さんやお祖父さんに作ってもらったという木造の自作艇や、何世代にもわたって使い回されてきた、古びた入門艇ばかりだったのです」
一生懸命にお金を貯めて最新のレース艇を買いそろえてきた濱本さんたちにとって、こうした光景は意外でした。彼の地では、“ジュニア世代は、勝敗にこだわる前にヨットを楽しもう”という庵原さんと同じ考えが根づいていたのです。
「たとえジュニアヨットクラブでも、保護者が熱心に子どもたちの出入艇を手伝い、家族ぐるみでヨットを楽しみます。レースをしたときでも、表彰式が済むと子どもたちにお菓子が配られ、賑やかに談笑する時間がつくられます。ニュージーランドの人たちは、ヨットを通じて最後まで楽しむことを怠りません」
充実したヨットライフを楽しむニュージーランドの人たち。そんな姿を垣間見た濱本さんたちは、さっそく同じ考えに立ってクラブづくりに励んでいきました。。(※続きます)