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ヨットは楽しく、いつまでも!〜国内外で幅広い活動を展開する、B&G別府海洋クラブ〜


B&G別府海洋クラブ代表 濱本徹夫さん注目の人
濱本 徹夫さん


B&G別府海洋クラブ:昭和57年(1982年)設立。日本セーリング連盟、日本ジュニアヨットクラブ連盟、日本OPヨット協会などに加盟。現在のクラブ員は25名。

濱本徹夫さん:昭和34年生まれ、大分県出身。大学時代、神奈川県の湘南でボードセーリングの競技活動をはじめ、卒業後も別府市役所に勤務しながら九州各地区の大会に出場。その後、B&G別府海洋クラブ代表となって、クラブ活動の活性化に尽力。現在はB&G西日本OPヨット大会の開催や、B&G指導者養成研修のヨット指導などに力を注いでおり、日本OP協会理事長も務めている


 開設後、10年ほどの間に活動が衰退してしまったB&G別府海洋クラブに、ある日、娘さんを連れた青年が訪れました。
 自分や知人の子どもたちにヨットを教えたいと熱望した、その青年こと濱本徹夫さんは、有志を集めて新たなクラブ運営に着手。地道に活動の輪を広げていった結果、同クラブはOPヨットの日本代表選手を輩出する強豪クラブになりました。
 「ヨットは、楽しくなれば長続きしません。ですから、練習の後に浜辺で貝掘りをして遊んだりしています」
 そう語る濱本さんに、これまで歩んできたクラブ再建の道のりや、今後の展望などについて語っていただきました。

第1話:再生への道のり

海洋クラブとの思わぬ再会

B&G別府海洋クラブが拠点を構える、別府北浜ヨットハーバーの艇庫
B&G別府海洋クラブが拠点を構える、別府北浜ヨットハーバーの艇庫。開設から10年ほどが過ぎた1990年代前半以降、濱本さんが代表を務めながら活動が活発になっていきました
 大学に通っていた1970年代後半、当時、ブームを巻き起こしていたボードセーリングの虜になった濱本徹夫さん。郷里の別府市役所に就職してからも、地元の海で活動を続けました。

 「別府に戻ってからは、九州で開催されるボードセーリング競技によく参加しましたが、就職して間もないとき『B&G別府海洋クラブができるので、運営が軌道に乗るまで手伝ってほしい』と大分県セーリング連盟から声を掛けられました。

 そのため、ボードセーリングの活動をしながら2年間ほど子どもたちの世話をしました。よく、子どもたちのOPヨットと一緒にボードセーリングで走って遊んだものです」

 海洋クラブとの再会は、それから10年ほど後のことでした。近所に、B&G福岡海洋クラブでOPヨットに乗っていた娘さんを持つ人が引っ越してきて、「別府でもヨットに乗せてあげたい」と、相談されたのがきっかけでした。

 「私の娘もOPヨットに乗せたい年頃になっていたので、それなら一緒にB&G別府海洋クラブで活動しようということになりました。しかし、10年ぶりに海洋クラブを訪れて、あ然としてしまいました。会員の子がまったくいなくて、活動が停止寸前だったのです」

 事情を聞きにクラブの代表を訪ねた濱本さんは、逆に「代表を引き継いでクラブを再建して欲しい」とお願いされてしまいました。

ラーメンの販売に奔走

昨年のB&G西日本OPヨット大会 昨年のB&G西日本OPヨット大会は、別府北浜ヨットハーバーをベースに開催されました。選手たちがレースに向けてポンツーンで待機しており、陸では公園の整備が進められています

 「器材は揃っているし活動の場もあるわけですから、このままクラブを解散させてはいけないと思いました。とりあえず私の娘と知人の子、そしてその子の妹も加えて3名の会員でクラブ活動を再開し、代表は私が引き受けました」

 そこに、タイミングよくいい知らせが届きました。各海洋クラブに向けて、B&G財団が器材の追加配備を募集したのです。濱本さんは、ただちに手を上げてOPヨット2艇と420級ヨット1艇の無償譲渡を受けました。

 「ヨットが増えたので会員を集めようということになり、市報で告知したらすぐに10名ほどの子どもが揃いました。そこで、大会出場をめざそうということになって調べてみたら、もうOPヨットといえどもレース専用艇でなければ勝てない時代になっていました」
OPヨットの操船ついて講義を行う濱本さん
B&G指導者養成研修で、OPヨットの操船ついて講義を行う濱本さん。ヨットへの情熱は、子どもたちばかりでなく大人の初心者たちにも注がれています

 レース専用艇を手に入れるためには資金が必要です。濱本さんたちは食品業を営むメンバーの子の親からラーメンを仕入れ、各保護者の職場で売って資金を集めていきました。

 「私も役場の各部署を回ってラーメンを売りましたが、保護者の皆さんもよくがんばってくれました。1年間で1艇買えるほどのお金が集まり、それを3年間続けて3艇の最新艇を揃えることができました」

器材の追加配備を受けてメンバーの子を集め、保護者たちが協力しあってレース艇を配備したB&G別府海洋クラブ。活動停止寸前だったクラブとは思えない順調なスタートを切りましたが、競技の世界はそう甘いものではありませんでした。※続きます。