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工藤 祐直(すけなお)町長
1955年(昭和30年)生まれ。青森県南部町出身。大学卒業後、民間企業を経て青森県名川町役場に就職。海洋センター勤務となり、初代育成士として活躍。その後、農林課や企画課などを経て、平成12年に名川町町長に就任。
平成18年、合併による新生南部町の初代町長に就任し、現在に至る。野球、アイスホッケー、少林寺拳法などを愛するスポーツマン。B&G財団評議員。
「スポーツが得意ということもあって海洋センターの勤務を命ぜられたのだと思いますが、それまで私が経験してきたスポーツといえば野球やアイスホッケー、少林寺拳法といった陸の競技ばかり。海洋センターのプールや艇庫に関わるマリンスポーツとはまったく無縁でした。
そもそも、私が育った青森は寒い地域ですから、子どもの頃も水遊びをしたことがほとんどありません。また、野球をしていた中高生の頃は、『肩を冷やすと良くないから、水に入るな』とも言われていました」
現在、アドバンストインストラクターの指導者養成研修には1カ月の受講期間が設けられていますが、当時は3ヵ月という長い期間が設定されていました。水遊びの経験が乏しい工藤町長にとって、その3ヵ月の日々は緊張の連続となりました。
「研修初日、参加者の泳力を調べる時間が設けられ、1人ずつ呼ばれて『プールに飛び込め』と教官に言われましたが、私には無理でした。体力は自信がありましたが、泳げなかったのです。プール脇のステップを使って水に入り、無我夢中で体を動かしてみましたが、それでも息が切れて進むことができませんでした」
「5時から7時の間は入浴の時間でしたが、私だけはフロではなくプールに入っていました(笑)。息をため込んで体を動かせば7〜8mは進みますが、息継ぎができません。水泳でカギとなるのは呼吸の仕方ですから、そのコツを習得するため、何日も1人で水に入って試行錯誤を繰り返しました。
そしたら、ある日のことです。突然、いくら泳いでも息が切れないようになりました。 自分でも不思議に思いましたが、自然に息継ぎができるようになっていたのです。50mを折り返し、100mになってもまだ泳げるので、どこまで行けるか試してみましたが、1kmを過ぎても大丈夫なので泳ぐのを止めました。
そのとき、『これは偶然の出来事だったのかも知れない』とか、『今日つかんだコツを、明日になったら忘れているかも知れない』などと不安に思ったので、翌日、また同じように泳いでみることにしました。
それで大丈夫だったら私の水泳は完成ですが、ひょっとしたらダメかも知れません。恐る恐る泳いでみると、前日と同じように泳げたので、今度は500mあたりでプールから上がり、『この泳ぎは本物だ!』と心のなかで叫びました」
3ヵ月の研修で得たものは、泳げるようになったことだけではありませんでした。
年々、このような機会は私たちの生活のなかで少なくなっていますが、ぜひ若い人に一度は体験してもらいたいものだと思います」
工藤町長はプールに1人残って水泳の特訓に励みましたが、他の参加者も同じように苦労しながら不得意な科目をマスターしていきました。“同じ釜の飯を分けた仲”という言葉がありますが、参加者は慣れない研修の日々を通じて強い連帯感で結ばれていきました。
「指導者研修で知り合った参加者は、同期の仲間としていまでも心が通じ合っています。皆それぞれに全国各地からやってきたわけですから、この研修を通じて日本中に頼れる友だちができました。
これはとても大きな財産です。いまでも、仲の良かった人とは電話で連絡を取り合っていますし、仕事で地方へ出張に行っても、たいてい近くに研修仲間の誰かがいるので、会って情報交換しています」
多くの仲間とともに3ヵ月の研修を無事に終えた工藤町長。地元海洋センターの初代育成士として郷里に戻ると、想像以上に忙しい日々が待っていました。(※続きます)