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海洋センターは、町民とキャッチボール対話をする場にしていきたい〜町長は海洋センターの初代育成士!青森県南部町:工藤祐直(すけなお)町長/南部町名川B&G海洋センター〜


工藤 祐直町長注目の人
工藤 祐直(すけなお)町長



工藤 祐直(すけなお)町長
1955年(昭和30年)生まれ。青森県南部町出身。大学卒業後、民間企業を経て青森県名川町役場に就職。海洋センター勤務となり、初代育成士として活躍。その後、農林課や企画課などを経て、平成12年に名川町町長に就任。
 平成18年、合併による新生南部町の初代町長に就任し、現在に至る。野球、アイスホッケー、少林寺拳法などを愛するスポーツマン。B&G財団評議員。


 青森県の南部町名川B&G海洋センターでは、平成12年以来、毎年、必ず沖縄の指導者養成研修に町職員を送り出していますが、その方針を打ち出したのは旧名川町の工藤祐直町長でした。工藤町長は、かつて自らも海洋センターの初代育成士として活躍。その経験から、大事な町の施設を活用するためには、十分な数の指導者を確保する必要があると痛感したそうです。

 現在14名を数える指導者は町役場の各部署に配置され、横の連携を取りながら海洋センターの利用を多角的に検討しているそうで、最近では保健士をB&G財団に派遣するなどして保健福祉の面からの施設利用にも力を入れています。「海洋センターは、町民とキャッチボール対話をする場にしていきたい」。そう語る工藤町長に、これまでの経緯や展望についてお聞きしました。

第1話:海洋センターとの出合い

スポーツマンの配属先

 現在、53歳の工藤祐直町長。子どもの頃は、もっぱら野山を駆け回って遊んでいたそうです。

大学時代の工藤町長 大学時代は少林寺拳法部に所属。上半身裸の工藤町長です。当時はブルース・リーが大人気でした
 「姉に言わせると、私はとてもヤンチャな子だったそうです。昭和30年頃に生まれた多くの人がそうだったと思いますが、近所の山でチャンバラやかくれんぼをよくしたものです。また、私が育ったところは寒い地方ですが雪はあまり降らなかったので、冬になると凍った田んぼでスケートをしていました」

 中学、高校と野球に没頭した工藤町長。大学時代は少林寺拳法部に所属しながら冬にはスキーを楽しみ、地元の企業に就職した際は会社のアイスホッケーチームで活躍。町役場に入って海洋センター勤務となってからは、当然のことながらマリンスポーツもこなすようになりました。少年から青年にかけては、まさにスポーツと共に歩んだ時代だったと言えるでしょう。

 「町役場に就職したときも、スポーツが得意だということで海洋センター勤務になったようです(笑)。ただ、誘致が決まった段階で就職したので、育成士(現:アドバンストインストラクター)の先輩はおらず、誰からも仕事の事情を聞くことができませんでした。そのため自分でいろいろ調べて、『マリンスポーツを通じて青少年を育てるという、そんな仕事もあるんだ!』 なんて一人で感心したものです」


Uターンの経緯

沖縄の指導者養成研修 海洋センター勤務が決まり、沖縄の指導者養成研修に参加したときの工藤町長(前列中央)。かなりのイケメンだと思います!
  大学時代、工藤町長は学校で学んだ法律の知識を活かし、将来は公務員になって地元の人たちの役に立ちたいと思ったそうですが、一度は東京で働いてみたいと最初は在京の企業に就職しました。

 「大学も東京だったので、卒業してすぐ地元に戻るのが名残惜しかったのです。まだ若かったこともあり、地元で就職を決めても都会の生活を思い出して東京に戻ってしまうのではないかという不安がありました。

 そのため、東京に留まって何年か仕事を体験してみれば、満足した気持ちで郷里に戻ることができるのではないかと考えました」

 家族に相談したところ、「それは良い考えだ。思い切って東京で働いてみなさい」と賛成してくれました。工藤町長のお父さんも、町長を務めていた政治家でした。いつかは郷里に戻って来て欲しいと願っていたものの仕事を継がせる気持ちはなく、当時、工藤町長自身も政治には感心がなかったそうです。

 工藤町長は東京でのサラリーマン生活に2年で終止符を打ち、Uターンして地元の企業に就職。その後、町役場の求人が出るのを待って念願の公務員になりました。


やり甲斐のある仕事

きたばかりの海洋センター前で 沖縄から戻り、できたばかりの海洋センターに配属された工藤町長(左から2番目)。ちょっと緊張気味な表情をしています
 やっと希望の職業に就いた工藤町長。最初の配属先が本庁ではなく海洋センターだったことは、まったく気にならなかったそうです。

 「多くの職員が本庁勤務を望む一方、不規則な勤務体系で体も使わなければならない海洋センターのような現場仕事をあまり好まない人もなかにはいます。しかし、私の場合は役場の誰もしたことのない、これから始まる海洋センターの仕事だったこともあって、むしろ『自分は選ばれてこの仕事に就くんだ』という気持ちになりました。

 皆さんのなかにも、海洋センターへの異動が本意ではなかったという人もいると思いますが、実際、海洋センターの現場に赴けば、たくさんのやり甲斐を見出すことが多いと思います。毎日、規定時間で働く本庁勤めには安心感もあるでしょうが、こちらには日々いろいろな刺激があって、あっという間に時間が過ぎていきます。

 私にしても、最初の頃は夜勤もあって土日も休めない海洋センターの仕事を大変に思うこともありましたが、『この施設を任されているんだ』という気持ちになれば、どんどんやり甲斐を感じるようになっていくものです。

 また、海洋センターの仕事で経験したことは、必ず本庁に戻ったときに役立つと思います。ここで得たさまざまな経験が、自分の仕事の幅を広げてくれるからです。特に、海洋センターの仕事では、施設を利用する地域の人たちと直接言葉を交わす機会が多いですから、行政に携る者としては、そこから得るものは大きいと思います」

 自信を持って海洋センターの仕事に励んだ工藤町長。しかし、この仕事に就くため、沖縄に行って育成士の資格を取った際には、人知れない苦労があったそうです。(※続きます)