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今井資宏さん(71歳/写真右)は高校時代にバレーボール選手として活躍し、1982年に現:三次市吉舎B&G海洋センターが開設されると、非常勤職員として施設の運営管理に従事しながら地元小中学生のバレーボール指導に尽力。1994年以降は、旧:吉舎町町議会議員、現:三次市市議会議員を務めながらバレーボールの指導を続け、昨年、議員職を勇退。
今井 誠さん(47歳/写真左)は中学時代からバレーボールを始め、その後、東京に出て警視庁に就職するも、父、資宏さんが町議会議員になった1994年、地元に戻って海洋センターへ転職。5年前に町村合併が行われ、現在は三次市職員として自治振興の仕事に従事しながら、海洋センターで小中学生のバレーボール指導に力を入れている。
「当時、学校のスポーツは学校で行うという考えが強く、学生のスポーツ活動は部活に集約されがちでした。そのため、学校を離れて地域でスポーツ活動をするという発想が学生たちの間に浸透しにくかったのです。
また、こうしたこともあって、放課後多くの運動部が一斉に学校の体育館で練習するため、とても窮屈な環境が続いていました。せめて、私が指導できるバレーボール部だけでも海洋センターの体育館を利用してくれたら、ほかの部も助かるのですが、なかなかそのような方向には進みませんでした」
そんな状況のなかで今井さんが考えたのは、日頃、学校の部活に励む周辺地域の学生を集めて、海洋センターで球技大会を開くことでした。さっそく、地元はもちろん周辺地域の学校関係者に声をかけて大会の参加を呼びかけた今井さん。ところが、返ってくる返事は冷たいものばかりでした。
「結局、誰もが『学生スポーツは学校で行う』という考え方から抜け切れなかったのです。また、そのような発想から『各学校が体育館を持っているのだから、海洋センターなどは不要だ』なんて言う人もいました」
「当初の考えよりもだいぶ小さな規模になってしまいましたが、B&G財団さんからトロフィーをいただいて、大会は盛況のうちに終わることができました。すると翌年からは『ウチも参加させて欲しい』と申し出る学校の部活チームが次々に現れ、しばらくすると『海洋センターなんていらない』と言っていた人も賛同してくれるようになりました。
なぜ、こうなったかと言えば、学生の目にも先生の目にもこの大会が新鮮に見えたのです。当時は、学校関係の大会しかありませんでしたからね。違うアプローチでも学生のスポーツ大会ができることを知って、多くの人が興味を持ってくれたのです」
海洋センターの名を冠したこの大会は、その後、今日に至るまで20年以上に渡って続いており、学校との壁もすっかり解消。いまでは、ごく自然に部活の練習が海洋センターで行われています。
「部活も地域のスポーツ少年団も、みんな一緒になって同じ海洋センターの体育館を利用しています。学校スポーツも大切ですが、生涯スポーツを担う地域のスポーツ活動も大切です。前者が縦の軸なら後者は横の軸。私どもの海洋センターは、この2つの軸が織り合う拠点になっていくことができました」
「小学2年生ぐらいの小さな子が一生懸命に練習して、やっとサーブが打てるようになって見せる笑顔がたまりませんね。教えているこちらが、大きな感動をもらいます。私が最初に教えた子は、もう立派な大人になっていて職場で役職を務めている人も少なくありません。ときどきOBやOGと顔を合わせて昔話に花が咲くことがありますが、そんなときは、この仕事を経験して良かったなと思います」
子どもたちのバレーボール指導は現在も続けている今井さんですが、海洋センターの仕事は16年前に退いています。そのときの年齢は55歳。辞職の理由は、町議会議員に推されて当選したことにありました。
海洋センターの業務を引き継いだのは、今井さんの長男、誠さんでした。当時の誠さんは東京に出て警視庁に勤めていましたが、父親の申し出を受けて郷里に戻ってきてくれたのでした。 (※続きます)