
七尾市B&G海洋センター担当者です。小笠原父島に七尾市出身の方がいたなんて、なんだかうれしくなりました。
また、山田さんの行動力にはとても関心しました。…やはり七尾市出身ですね(笑)
山田さんの活躍を石川県七尾市から応援しています。 がんばりまっし!(七尾弁)
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山田 和子さん
石川県七尾市出身。1975年、結婚を機に返還されて間もない小笠原・父島に移住。アマチュア無線の資格を取り、ダイバーとして働く夫の船などと交信するも、やがて外洋ヨットの航海をサポートする無線家のネットワークに参加。以後、単独世界一周ヨットレースでクラス優勝を果たした多田雄幸氏を応援する「オケラネット」のコントローラーとして活躍。無線による情報交換を通じて航海の安全、ヨットの普及に長年貢献したとして、2006年度 MJC(マリンジャーナリスト会議)マリン賞 安全・普及部門賞を受賞。
コールサイン:JD1BBH オケラネット
「私はヨットの交信一筋のように思われがちですが、一時は女性ばかりが集まった国際的なネットワークにも参加していました。基本的に会話はすべて英語ですから、スリリングな交信でした。だって、無線では身振り手振りで話せないじゃないですか(笑)。カレンダーの裏紙を用意して、一生懸命、言葉を聞き逃すまいとサインペインでメモを取り続けました」
こうして鍛えた交信の腕はヨットのネットワークで大いに発揮されていきましたが、そもそも山田さんがヨットと出合ったのは、アマチュア無線を始めて間もなくのある日、コンクリート製の手作りヨットが父島の二見港を訪れたときでした。
「たまたま家の近くの岸壁に停泊したため、遊びに行って仲良くなりました。キャビンに入るとアマチュア無線機が搭載されていたので話が弾んだのです」
日本から海外に出る多くのヨットが、小笠原までの航海でシェイクダウン(試運転)を行い、小笠原で最後の準備を整えます。また、アメリカやカナダなどから日本を目指してくるヨットのなかには、太平洋を渡って最初に辿り着く日本の地、小笠原で入国手続きを済ませる場合が少なくありません。
国内外のヨットにとって大きな意味を持つ太平洋の離島、小笠原。そこでアマチュア無線のマイクを取る山田さんは、ヨットの無線ネットワーク上、とても貴重な存在だったのです。
「私がアマチュア無線を始めた1980年代前半には、いろいろなヨットの無線ネットワークがあって賑やかでした。小笠原は電波のコンディションが良くて交信しやすいので、電波の届きにくい場所同士の会話をリレーしてあげることもよくしました」
このネットワークは、1982〜83年の単独世界一周ヨットレースでクラス優勝を果たした故 多田雄幸氏の航海をサポートするために結成されたもので、レース後はさまざまな外洋クルージングヨットを応援しています。ちなみに多田氏は、海洋冒険家、白石康次郎氏のヨットの師匠としても知られています。
「ヨットのネットワークで交信する楽しさは、皆が無線を通じて力を合わせ、外洋を走るヨットの航海を応援するところにあります。無線で交信していると、ヨットを応援する人たちの温かい人柄を感じます」
なんとも心強い仲間のサポートですが、トラブルがシケの海で起きたらたいへんです。解決策を考えることも大事ですが、ヨットそのものの安否を確認し続ける必要に迫られます。そうなると、シケと闘うヨットの返事を待って夜通し無線機の前に座ることもあるそうです。(※続きます)