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山田 和子さん
石川県七尾市出身。1975年、結婚を機に返還されて間もない小笠原・父島に移住。アマチュア無線の資格を取り、ダイバーとして働く夫の船などと交信するも、やがて外洋ヨットの航海をサポートする無線家のネットワークに参加。以後、単独世界一周ヨットレースでクラス優勝を果たした多田雄幸氏を応援する「オケラネット」のコントローラーとして活躍。無線による情報交換を通じて航海の安全、ヨットの普及に長年貢献したとして、2006年度 MJC(マリンジャーナリスト会議)マリン賞 安全・普及部門賞を受賞。
コールサイン:JD1BBH オケラネット
石川県七尾市で生まれ育った山田さん。学生時代は海外への憧れが強く、タイプライターを手に入れて英語の勉強に励んでいたそうです。
「学校を出た後は、とにかく海外に行くんだという気持を抱いてお金を貯めました。幸いにもエジプトに知り合いがいたので、そこを頼ってエジプトに行こうとしたのですが、肝心のビザがなかなか下りませんでした」
実家に腰を据えてビザを待っていたある日、父島から郷里の七尾市に帰ってきていた現在のご主人と出会うことになりました。
「親同士が同郷で知り合いだったこともあり、ごく普通に出会って知り合いました。主人は父島でヤギを捕獲するアルバイトをしていて、このときは一時、帰郷していたんです」
もともとプロの潜水士をしていたご主人。一度、小笠原の海に潜ってから、すっかりここの自然が気に入ってしまい、島で生きる道を模索していたのでした。そんなご主人の話を聞いているうちに、自分も行ってみたくなってしまったという山田さん。海外に向いていた好奇心は、一気に小笠原へシフトしていきました。
アルバイトを続けるため、ふたたび父島に戻ったご主人を追って七尾市の実家を後にした山田さん。父島に着くと、あっという間に島の暮らしに馴染んでしまいました。
「雪の多いところで育ったこともあって、小笠原の暖かい気候がすっかり気に入りました。また、このときは小笠原がアメリカから日本に返還されて間もないときだったので、古き良き日本の風情と欧米の異国情緒が入り混ざった、とてもおもしろい雰囲気がありました」
島の生活に魅せられた山田さんは、ここで思い切って結婚を決断。ご主人と知り合って半年後には父島で生活していたという、スピード婚でした。
「漁船は土日、昼夜を問わず海に出ていました。いまのように携帯電話や船舶電話なんてない時代ですから、主人の様子を知るためには無線が必要です。漁船には漁業無線が積まれていましたが、交信する漁協の無線局は夜になると閉められ、休日は丸一日、誰も詰めていません。そうなると、趣味のアマチュア無線で元気な声を聞くぐらいしか方法はありません」
働きに出たご主人のことを思って、アマチュア無線の免許を取ろうと決心した山田さん。冒頭で述べた通り機械にはまったく弱かったものの、勉強の甲斐あって無事、JD1BBHというコールサイン(呼び出し符号・無線家のメールアドレスのようなもの)を手に入れることができました。(※続きます)