
植木さん、クルーズでこれからも講師やってほしいです!!!これからもいろんな場面で頑張ってください!!!!!(平成19年度B&Gクルーズ参加者)
―5月22日書き込みの方―
植植木さん覚えていますか。サイン大事に持っています。(平成19年度B&Gクルーズ参加者)
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植木 通彦さん
1968年生まれ、福岡県北九州市出身。1986年、福岡競艇場でデビュー。1989年、レース中の事故で九死に一生のケガを負うも、リハビリに励んでレースに復帰。1990年、唐津競艇場での初優勝を皮切りに、通算74回優勝(10年連続賞金王座決定戦出場、うち3回制覇)。生涯獲得賞金は22億6,000万円。2007年、引退。以後、トークショーなどさまざまなイベントに参加するほか、講演活動にも力を入れている。
ケガを克服して選手生活に戻る自信をつけた植木さん。どこで復帰第1戦を迎えたらいいのか考えていると、すでにお父さんが意外な場所を決めていました。
「なんと、ケガをした桐生競艇場で再起しろというのです。さすがに、このときは『どうして九死に一生を得た場所で初戦を迎えなければならないのか』と思って父を恨みました。しかし、後になって気づいたのですが、『最初から逃げていたら、この先、良い成績は出せないだろう』と、父は考えてくれたのでした」
「成績のことは考えずに、これまでお世話になった人たちのことを思って精一杯がんばれ」と言って背中を押してくれたお父さん。桐生での復帰戦を渋々迎えた植木さんでしたが、このお父さんの言葉だけはしっかり耳に残っていたそうです。
再デビューを果たすべく桐生競艇場に入った植木さんを最初に迎えてくれたのは、選手たちがいつも世話になっている洗濯係のおばさんたちでした。
早朝、誰もいない静かな水面に艇を走らせ、事故を起こした第1マーク付近に塩をまいて心を落ち着けた植木さん。ふと頭のなかに、郷里を離れるとき駅でエールを送ってくれた高校の同級生たちや、親身になってケガを直してくれた同郷の医師などの顔が浮かびました。
「思えば、私はいつも人生の節目で人の恩を受けています。再デビューの日も、おばさんたちに救われました」
「初優勝の賞金は現金でいただいたので、その重みをしっかり受け止めることができました。でも、すぐに初優勝は単なる通過点に過ぎないと自分に言い聞かせました。いまの自分があるのは大勢の人のおかげです。いろいろな人に背中を押されながら歩んできた自分がいるわけですから、その人たちのためにも常に上の目標を目指すべきだと考えました」
自分ひとりのことだけを考えていたら、ある程度の目標しか立てられないが、人との出会いが多ければ多いほど高い目標を掲げられると、植木さんは語ります。
「いろいろな人と出会って、その人たちのためにもがんばろうと思えば、おのずと目標が高くなります。ですから、人との出会いは自分にとってプラスになると考えるべきでしょう。もっとも、目標が高くなればなるほど自分にとっては厳しくなっていきます。ですから、そのプレッシャーを乗り越えようと、私の場合は人一倍練習に励みました」
もちろん、練習や整備の努力は成績に反映されていきます。植木さんは、初優勝を機にどんどん勝ち星を増やしていきました。
「レースに勝つと、会場に詰めかけた何千人もの観客の皆さんが拍手で私を迎えてくれます。そんな感動を味わえば、また勝ちたくなるものです。観客の拍手を受ければ、練習の辛さなんて吹き飛びます」
大勢の観客も、大切な人との出会いのひとつだったと語る植木さん。勝利を重ねるなかで見えてきた大きな目標、それはたくさんのタイトルを取ることだけではありませんでした。(※続きます)