1957年、山梨県生まれ。子どもの頃から長野県野尻湖へキャンプに出かけ、カッター、ローボートを経験。同時に、英国の児童文学作家アーサー・ランサムによる海洋少年冒険小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズに感銘を受け、海や帆船の世界に憧れを抱く。
東京海洋大学(旧:東京商船大学)卒業後、独立行政法人 航海訓練所に勤務。以後、練習帆船<日本丸>、<海王丸>などの航海士を務め、船員を育成する教官としても活躍。
現在は<海王丸>船長。
このように、目的や所有の形態が違うものの、たくさんの帆船が現在も稼動していることから、ISTA(国際セイルトレーニング協会)という組織が帆船の活動を支えながら、いろいろなイベントを開催しています。
そこで、レースを目的に帆船が集まるイベントを定期的に開こうという声が上がり、「若者が海に出て帆を操り、ともに競い合うために!」という理念のもとにISTAが誕生。帆船レースのルールや各帆船のレーティング(帆船の性能から割り出した、ゴルフ競技に使われるようなハンディキャップ)などを管轄するようになりました。
この理念を見ても分かるように、レースの主役は熟練した船員ではなく若い実習生です。いまでも帆船が若い船員を育て、青少年の育成事業にも使われていることから、速さを競うレースではなく、帆船を通じた人づくりに重点が置かれたのです。
そのため、ISTAの帆船レースは、セイルトレーニング・レース(実習生のレース)と呼ばれるようになりました。実際、ISTAのルールでは、トレーニー(実習生)を乗せていない帆船はレースに参加できないことになっています。
<海王丸>や<日本丸>も、こうしたイベントやレースに招かれることが少なくありません。雨宮キャプテンも何度となく経験していますが、特に記憶に残っているのが1999年に参加したサンフランシスコ〜ロングビーチ間のレースと、翌2000年に開催された「トールシップス2000」というイベント、およびそのとき行われたボストン〜ハリファックス(カナダ)間のレースだそうです。どちらも、当時は<海王丸>の一等航海士を務めていました。
「’99年はISTAのレースではありませんでしたが、たくさんの帆船が参加しました。スタート後、<海王丸>は順調に走りましたが、ゴールを目の前にして風がなくなってしまいました。
あいにく、そこは港内へ向かう航路の真ん中だったので、風を待って漂っていたら航行する船舶の邪魔になってしまいます。そこで、すぐそこにゴールが見えていましたがエンジンをかけて航路から離脱し、レースはリタイアとなりました。残念ではありましたが、このときの船長判断は正しかったと思います」
航海訓練所に務めて以来、セイリングに感心を抱いて研究を重ねていた雨宮キャプテンにとって、このリタイアはとても悔しい結果だったと思います。しかし、その鬱憤を晴らすチャンスはすぐやってきました。
「このとき<海王丸>は、ボストン〜ハリファックス間のレース、そして両港とニューヨークでのイベントに参加しましたが、どの港でも毎日たくさんの人が見学に訪れ、盛大な歓迎を受けました。
私なんてイベントの対応に追われてしまい、せっかく港に停泊しているのにニューヨークでは6時間、ボストンでは3時間しか上陸できず、ハリファックスに至っては一歩も船から出られませんでした(笑)」
日本からやってきた帆船<海王丸>はどこでも大人気だったわけですが、雨宮キャプテンにしてもこのイベントは忘れられないものになりました。
「いざレースがスタートすると、前年のゴールを思わせるかのように風が弱くなってしまいました。<海王丸>は、セイルを展帆したまま潮に押されて近くの岬に向かっていきましたが、辛抱強く風をはらむタイミングを待って、上手くウェアリング(下手回し。ヨットで言うジャイビング)で反転することができました」
ヨットでは簡単な弱風のジャイビングも、帆船となれば大勢のクルーの息がピタリと合わなければうまく行きません。航路の中だったこともあって前年はリタイアを決めましたが、今回は全力を振り絞って弱い風のピンチを乗り越えました。
その後、沖に出た<海王丸>を待っていたのは程よく吹く外海の風でした。順調にゴールをめざした同船は、高緯度のため日差しが残る真夏の夜のハリファックスに到着。懸命にセイルを操ってレースを闘った実習生は、デッキに集まって大声で何度も万歳をしたそうですが、陸に上がるともっとすごい感激が用意されていました。
「トップでゴールしたわけではありませんでしたが、レースが終わって各船のレーティング(ハンディキャップ)を計算した結果、なんと<海王丸>が1位になってしまいました。このとき乗っていた実習生は、とてもラッキーでしたし、貴重な体験を得ることができました」
4ヵ月に及ぶアメリカ東海岸遠征の旅で、どんどんたくましくなっていった実習生たち。そんな彼らの成長する姿を見て、いかに帆船の航海訓練が大切なのかを痛感する雨宮キャプテンでした。(※続きます)