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1957年、山梨県生まれ。子どもの頃から長野県野尻湖へキャンプに出かけ、カッター、ローボートを経験。同時に、英国の児童文学作家アーサー・ランサムによる海洋少年冒険小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズに感銘を受け、海や帆船の世界に憧れを抱く。
東京海洋大学(旧:東京商船大学)卒業後、独立行政法人 航海訓練所に勤務。以後、練習帆船〈日本丸〉、〈海王丸〉などの航海士を務め、船員を育成する教官としても活躍。
現在は〈海王丸〉船長。
船乗りをめざす大学や海上技術学校等の学生たちのために、現在、航海訓練所では帆船〈海王丸〉や〈日本丸〉のほか3隻の動力船を練習船として運航しています。ですから、雨宮キャプテンのように航海訓練所に就職した人は、いくら帆船が好きでも人事異動があれば動力船にも乗らなければなりません。
雨宮キャプテンの場合は、勤続27年のなかで帆船歴が10年を数えます。これはめずらしいケースで、ご本人は「帆船に乗る期間が多くて運が良かった」と語っています。子どもの頃から帆船やヨットが大好きだったという雨宮キャプテンですから、きっとその思いが天に通じていたのでしょう。海や帆船に憧れを抱くきっかけは、小学生時代にありました。
そんな折、英国の児童文学作家、アーサー・ランサムが1930〜40年代に書いた海洋少年冒険小説の傑作、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ全12巻の翻訳版が岩波書店から発行されました。ヨットやカヌー、キャンプが好きな人の多くが読んだことだと思います。
これは、英国の湖のほとりに暮らす子どもたちが、小さなディンギーヨットで海賊ごっこをしながらセーリングを覚え、やがてはセーリングクルーザー、スクーナー(3本マストの帆船)などに乗って外国まで冒険に出ていく話です。本に出てくる英国の湖が野尻湖の風景と重なることもあって、雨宮少年はアーサー・ランサムの世界にのめり込んでいきました。
「仲間は皆、将来は船乗りになりたいと口を揃えていましたが、私は物書きの仕事がしたいと思っていました。おかしなもので、仲間の2人は新聞記者になり、私は船乗りになりました(笑)」
そんな文学少年も、高校に入るとラグビーに夢中になって海から遠のきましたが、進路を決める2年生の冬になって一大決心をすることになりました。
「高2までは文科系クラスにいたのですが、行く末を考えていくうちに、いつのまにか船乗りになることを頭に描いていました。職を探して出た答えではなく、船乗りになれば見たこともない遠くの世界に行くことができるという、夢を追っての結果でした」
急遽、「東京商船大学に行きたいので、理数系クラスに変更してください」と学校に申し出た雨宮キャプテン。3年生になってから理数系科目を猛勉強して、めざす大学に見事合格することができました。
「航海実習では、帆船〈日本丸〉に乗ってハワイまでの航海に臨みましたが、このとき、帆船の甲板作業とラグビーはよく似ていると思いました。どちらも、辛いことが多いのですが、仲間で力を合わせて目的を達成すると、うれしさがこみ上げてきます」
大きなセールを何枚も張る帆船には大変な作業がいろいろあり、揺れるなかで高いマストに登らなければならないときなどは危険も伴います。
実は、この恐怖感も大切です。怖がることで身を守る意識が高まるからです。どんな仕事でもそうですが、慣れてきたときに落とし穴が待っているものです。ですから、いまでもマストに登るときは、怖いと思う気持ちを大切にしています」
雨宮キャプテンは、仲間との連帯意識でマスト作業に伴う怖さを克服し、航海士としての実習も洋上でしっかりと成果を上げていきました。
「私たち実習生は、毎日、六分儀で星の高さを測定しながら船の位置を割り出していましたが、星を見るだけで本当にハワイに行けるのだろうかと不安に駆られたものです。でも、計算どおりの日時にハワイの島々が現れて大感激。航海術って、すばらしいなと思いました」
皆で力を合わせて動かす帆船に魅せられ、航海術のすばらしさを知った雨宮キャプテン。この実習で得た貴重な体験は、船乗り人生を支える大きな土台になりました。(※続きます)