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そんな島の人たちを少しでも助けようと、役場や観光協会は新たな産業の育成を目指して観光に目を向けましたが、第1話で紹介したように高速道路が整備された影響などから、島の観光は日帰り客が中心になっていました。経済効果を期待するには、「見る観光」から「滞在して楽しむ観光」への道を探らなければなりません。
エコツアー客の多くはコテージなどに宿泊していましたが、一部は民家を利用していました。子どもが外に出て空き部屋を抱える家が、ツアー客を迎え入れていたのです。中学を出た子が島の外に出てしまうケースが多いことから、伊江島でも空き部屋を抱える家はたくさんあります。伊江村の関係者たちは、そこに可能性を見出しました。
村がエコツーリズムの視察を行った平成14年当時といえば、小さな小学校が1、2校だけ、数少ない島のホテルを利用して農業の体験学習に訪れていたたけでした」
教育で知られる島なのだから、昔のように修学旅行の学生で賑わうようにしたい。村の関係者は、皆、そんな思いでいっぱいでしたが、日帰り旅行が中心になったため、大きなホテルや旅館は島から撤退していました。
「宿泊先がないということであきらめかけていた修学旅行の受け入れでしたが、エコツーリズムの視察によってホームステイという道が見えました。教育熱心な人が多い島ですから、学生の受け入れに関しては理解してくれと思いました」
ホームステイなら、すでに高島町との交流事業で経験済みの家も複数あります。修学旅行の受け入れ先を募ったところ、どうにか一度に1校分の学生を引き受けるだけの数がまとまりました。
エコツーリズムの視察を行った翌年、平成15年からいよいよ修学旅行の受け入れが始まりました。この年、島を訪れたのは4校358名の中高生で、おもに2泊3日のホームステイが組まれました。
「最初にやって来てくれたのは大阪の高校でした。村の関係者が総出で港まで出迎えに行きましたが、期待と同時に『この子たちは、本当に島の人たちと寝食を共にすることができるだろうか』といった不安もありました」
ホームステイの修学旅行には、いくつかの約束事がありました。“受け入れた家は、ご馳走を振舞うことなく、いつも通りの食事を出すこと”“昼間は、農業や漁業など家の仕事を学生に手伝ってもらうこと”などでした。
これは、まさに身をもって島の生活を学ぶ体験学習です。それゆえ、島の暮らしに馴染まない生徒が出てしまう不安もあったのです。
「実際、畑仕事に連れていったら、苦労して育てた花を折って遊んでしまう生徒や、夕食が終わると勝手に家を出てなかなか帰ってこない生徒などが出てしまいました」
全体的に見れば無事に終わった最初の受け入れでしたが、このようにいくつかの家では問題も起きてしまいました。そのため、「もう受け入れられない」と尻込みする家が次々に出てきてしまい、早くも村の新事業に暗雲が立ち込めました。(※続きます)