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プロフィール
伊江島は東西8.4kmの楕円形の島で、現在の人口は約5.400名。沖縄本島(本部港)からは村営フェリーで約30分の距離。島の至るところでハイビスカスや菜の花、アマリリスなどの栽培が行われており、「夕日とロマンのフラワーアイランド」が合言葉。海水浴が楽しめるビーチも多く、ダイビングスポットも点在。島の民泊事業は、平成18年度「地域づくり総務大臣賞」を受賞した。
伊江村マップ
お話いただいた伊江村役場の皆さん。中央は大城勝正村長です
 沖縄本島北部の本部半島沖に浮かぶ一島一村の小さな離島、伊江島。ここに広がる美しい海や四季折々に花が咲く大地は魅力的な観光資源ですが、本島からフェリーで30分というアクセスの良さから、いままでは日帰り観光客が中心でした。

 これでは島への経済効果が十分に期待できないということで、平成15年度から始められたのが、島の民家でホームスティを体験する修学旅行の受け入れでした。農家や漁業者の家に泊まりながら、畑仕事や漁を手伝うプログラムは反響を呼び、いまでは全国から年間2万人以上の中高生が島を訪れています。

 また、修学旅行の受け入れに先駆け、平成6年度から実施されるようなった「伊江村高島市青少年交流事業」(伊江村B&G海洋センターと、滋賀県の高島市高島B&G海洋センターとの交流)も活発に続けられており、まさに伊江島は人の輪を育む島として広く注目を集めています。
 今回は、この民泊事業の経緯について村役場の皆さんにお聞きしました。
第1話:海洋センター同士が結んだ絆

戦火の島から緑の島へ

サトウキビ畑 島のシンボル城山を奥に控えたサトウキビ畑。ここでは、さまざまな農業が行われています
 太平洋戦争末期、沖縄は激しい戦火に見舞われましたが、伊江島も例外ではありませんでした。小さな島ではあるものの、飛行場があったために米軍から激しい攻撃を受け、軍民合わせて約3,500名もの尊い命が失われました。

 「戦前の島の様子を知るお年寄りに聞くと、決まって『昔、この島はうっそうとした森で覆われていた』と話します。米軍が上陸する際、猛烈な艦砲射撃を受けて木々のほとんどが焼かれてしまい、島が丸裸にされてしまったのです」

 緑を戻す仕事は、戦争が終わって各地から復員した島の人たちによって行われました。現在、海洋センターが隣接する「青少年旅行村」には、海辺のキャンプが楽しめる大きな森がありますが、これは戦後の植林事業によって生まれた場所です。

青少年旅行村 キャンプ場や海水浴場などを持つ「青少年旅行村」。周囲を囲む森は戦後の植林事業によって生まれました
 「戦争によって丸裸にされてしまった土地に1本1本植えた小さな苗木が、やっと今になって森をつくるまでに生長してくれました。植林事業は50年、100年先を見て行わなければなりません。伊江島では『夕日とロマンのフラワーアイランド』を合言葉に、各農家が花の栽培に力を入れていますが、これには皆で島中を美しい花で飾りたいという願いが込められているのです」

 「青少年旅行村」のキャンプ場では、毎年、夏休みになるとB&G「親子ふれあい体験セミナー」に参加した多数の親子が、木陰に入って自炊の料理づくりを楽しみます。訪れる人々に憩いを与えてくれるキャンプ場の森。そこには、なんとかして緑を再生したいと願った島の人たちの熱い思いが込められています。

滞在して楽しむ観光を模索

美しいビーチ キャンプ場の木陰から望む美しい伊江島の海。日帰りレジャーではなく、ゆっくり楽しみたい場所です
 キャンプ場に加えて、海水浴が楽しめる美しいビーチを持つ「青少年旅行村」。このほかにも、伊江島周辺にはさまざまなダイビングスポットがあって、レジャースポットには事欠きません。

 ところが、本島を縦断する高速道路ができたり、フェリーが就航して本島との間を30分で結ぶようになったりすると、島に遊びにやってくる人々の大半が日帰りのレジャーを楽しむようになりました。

 「小さな島ですから、役場ぐらいしか勤めの仕事はありません。多くの住民が農業や漁業で生計を立てていますが、島の将来を考えたら、このような第一産業を大事にしながらも、何かもう1つ産業が欲しいところです」

 自然豊かな島なので観光に力を入れたいところですが、日帰り客ばかりでは、あまり経済効果が期待できません。観光協会を中心に「見る観光」から「滞在して楽しむ観光」への移行が模索され始めると、できたばかりの伊江村B&G海洋センターのスタッフによって、実に興味深い企画が実施されるようになりました。


友情から生まれた交流事業

親子ふれあい体験セミナーの様子 キャンプ場に集まったB&G「親子ふれあい体験セミナー」の参加者たち。島の子どもたちが紹介され、これから一緒に遊ぶところです
 昭和60年、村の念願だった海洋センターが「青少年旅行村」の脇に開設されるのを受けて、役場職員の宮城弘和さんがセンター育成士(現:アドバンスト・インストラクター)の研修に参加。そこで同じ部屋になった、旧高島町B&G海洋センターの西川五左夫さん(現:高島市教育委員会)と、互いに励まし合いながら意気投合しました。

 そんな2人が、いろいろな話を交わすなかで思いついたのが、海洋センター同士の交流でした。“海洋センターに通う子どもたちを、お互いの地元にホームスティさせてスポーツや体験学習で交流を深めよう。異なる土地の人たちと触れ合い、異なる文化や歴史を学ぶことで、相手をよく理解することの大切さを知ることができ、またそれは自分たちの郷土を大切にする思いを育むことにもつながっていく”

 センター育成士となって地元に戻り、お互いの海洋センター事業が軌道に乗った平成6年、初めてのホームスティ交流が実施されました。この年の夏、旧高島町から41名の子どもたちが島を訪れ、2泊3日の日程でホームスティを楽しんだのです。宿泊先は、冬に旧高島町に行く島の子どもたちの家でした。

 旧高島町の子どもたちを乗せたフェリーが伊江港に着くと、埠頭に集まっていた島の小学5、6年生全員が一斉にエイサーの踊りで迎えました。旧高島町の子どもたちは、びっくりしながらも大感激したそうです。

滋賀県のスキー場にて 「伊江村高島市青少年交流事業」で滋賀県のスキー場に行った伊江島の子どもたち。寒がる子は一人もいません!
  その後、41名の子どもたちは島の子と一緒になって海水浴などを楽しみ、夜はホームスティで地元の家族と交流。同様に、冬になると今度は島の子どもたち23名が旧高島町の子どもたちの家を訪れ、スキーなどを楽しみました。

 島で生まれ育った子どもたちにとって、雪のなかで遊ぶのは初体験だったので、大喜び。スキーの上達も驚くほど早く、あっという間に雪に馴染んでいきました。

 海洋センターのスタッフ同士のアイデアで始まった交流事業は、その後、毎年行われるようになっていきましたが、いくらホームスティとはいえ旅費などが必要なうえ、ホームスティ先に馴染めない子が出てくる懸念もあります。両海洋センター、そして伊江村や旧高島町の関係者は、こうした問題にどのように対処していったのでしょうか? 詳しい話は次回で紹介したいと思います。 (※続きます)


 
※イラスト:伊江村ホームページより