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小さなプールから生まれた大きな夢
2名の教え子が全国ジュニアオリンピック出場を果たした、
鋸南町B&G海洋センター職員、鈴木亜貴子さんの活動


鈴木 亜貴子さん注目の人
鈴木 亜貴子さん




鈴木 亜貴子さん
昭和53年(1978年)生まれ、千葉県鋸南町出身。小学1年生のときから本格的に水泳を始め、インターハイやインターカレッジ(千葉大学水泳部所属)などに出場。大学卒業後は、民間のスイミングクラブでインストラクターの経験を積んだ後、鋸南町役場へ就職。以後、同町に設立されていた鋸南町B&G海洋センターに勤務しながら、アクア・インストラクターとして地元の子どもたちの水泳指導に励んでいる。


 民間のスイミングクラブと異なり、設備や指導体制に限りのある公共プールから全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会を目指すのは非常に難しいとされていますが、平成18年度の春季大会では、千葉県の鋸南町B&G海洋センターで練習に励む2名の子が出場権を獲得することができました。

 今回は、「本当のオリンピックで活躍するような選手が生まれたら、うれしいですね」と語る、同センター職員でアクア・インストラクターの鈴木亜貴子さんに、これまでの活動の経緯や今後の展望などについてお聞きしました。

第1話:泳ぐことの楽しさを再発見

水泳で始まり、水泳で終わる毎日

鋸南町B&G海洋センター 平成3年(1991年)に開設された鋸南町B&G海洋センター。写真左手に体育館、右手にプールが配置されていて、町営の弓道場や野球場も隣接しています

 房総半島南部の千葉県鋸南町で、生まれ育った鈴木亜貴子さん。温暖な気候のもと、幼い頃から近くの海や川で遊びました。
 
 「父は若い頃に競泳をしていたので、私と兄にも早く泳ぎを覚えてもらいたいと思ったのでしょう。幼い頃から、父に連れられて遊びに行く場所といえば海や川ばかり。そのため、知らないうちに水で遊ぶことに慣れていきました」

 我が子に対する、お父さんの思いは年々高まっていきました。鈴木さんは、小学校に上がると民間スポーツクラブの水泳教室に隣の町まで通うようになり、中学生になってからは地元に建設されたばかりの海洋センターも利用するようになっていきました。

 「父は、海洋センターにお願いして早朝にプールを開けてもらい、そこで私は学校の授業が始まるまで父と練習に励みました。そして、学校が終わるとスポーツクラブの水泳教室が待っていました」

屋内プール 開設当初は屋外施設で夏場しか使えなかったプールも、現在は温水化を実現して年間を通じて利用できるようになっています
  朝から夜まで水泳の練習に励んだ鈴木さん。ときには、このようなプール漬けの生活を考えたお父さんに反感を抱いたこともあったそうですが、次第に鈴木さんの腕は上達していきました。

 「小・中学時代は、水泳を無理にやらされている感じを持つこともありました。ですから反発したこともありましたが、私にとって父はとても怖い存在だったので、喧嘩をして水泳をやめてしまうことは考えもしませんでした。無理強いされていると思いながらも、水泳が好きになっている自分がいたのです」


突然やってきた辛い出来事


当時の新聞
2名の仲間が、全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会への切符を手にしたことは、地元紙に大きく報道されました

 お兄さんが高校時代に水泳をやめてしまったため、お父さんの情熱は一層、鈴木さんに注がれるようになっていきました。鈴木さんは水泳部のある高校に進学すると、寮生活を送りながら、自由形の種目を中心にインターハイなどの大会に出場。しだいに本格的な競技の世界に足を踏み入れていきました。

 「高校時代は寮に入って練習に励みました。仲間のなかにはオリンピックに行った人もいたので、私自身もオリンピックを意識したことがありましたが、上には上がいるものだと感じてしまう面がありました。父の夢はオリンピックでしたから、それを果たせなかったので申し訳ないと思っています」

 小学1年生のときから始めた鈴木さんの水泳人生は、このとき1つのピークを迎えながら、とても大きな壁に当たっていました。

 「高校2年から3年にかけて体調を崩してしまい、水に入っても体が動かない状態になってしまいました。泳ぐ気持ちはあっても、どうしても体がついていかないのです。精神的な問題もあったのでしょうが、体が悲鳴を上げているような感じでした」

 このときは、死ぬほど辛かったと振り返る鈴木さん。長年にわたってフル稼働してきた体が、ちょっと休みたいと訴えていたのかも知れません。泳ぎたくても泳げないのですから、お父さんも仕方がないと理解を示してくれました。そのため、鈴木さんはいったん水泳から離れることになりました。

大学水泳部との出合い

 体調を崩したときが、ちょうど進学を控えた時期と重なったため、鈴木さんは受験勉強に力を入れて千葉大学に入学しました。

 「父は、『もう水泳はやらなくてもいい』と言いましたが、しばらく水泳から離れていたたことが功を奏して、かなり体調が戻っていたので、水泳部に入部してみました。当時の千葉大学には水泳のサークルがなかったため、サークル的に活動したいという学生も水泳部に集まっていて、そのため体育会水泳部といっても名を残すような成績は収めておらず、和気あいあいとした雰囲気がありました」

プールサイドの壁画 プールサイドには地元中学校の美術部から寄贈された楽しい壁画が飾られており、誰もが楽しく施設を利用していることが伺えます
 高校時代は、どうしたら速く泳ぐことができるかだけを、個人的に追い求めていた鈴木さんでしたが、大学の水泳部に入ってからは、団体活動を通じて仲間と泳ぐ楽しさを見出していきました。

 「自分のなかでは、それまで個人競技の位置づけしかなかった水泳でしたが、大学の水泳部に入ってからは、仲間と一緒に行動する楽しさに出合うことができました。

 サークル的な要素もあった部ですから、私のような競技経験者もいれば水泳を覚えたいという初心者もいるわけです。そのため、できる人ができない人を教え、上級生が下級生の面倒をみながら、皆で水泳を楽しみました。

 速さばかり追求していた私にとって、このような生活はとても新鮮に感じられ、体調も良くなっていきました。おそらく、大学で水泳部に入っていなかったら、ずっと水泳が嫌いな人生を歩んでいたかも知れません」

鈴木さんと子どもたち 子どもたちと一緒に日頃の活動を楽しむ鈴木さん(右から3人目、ピンクの水泳帽)
 体調が戻った鈴木さんは競技に復活し、インカレなどの大会に出場するようになりましたが、水泳部の仲間たちと過ごす日頃の活動もおろそかにしませんでした。また、このような部活動の体験は、その後、海洋センターで子どもたちを指導するにようなってから大いに活かされることになりました。 (※続きます)