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針江地区の水田を見学する人々。地元では「針江生水の郷委員会」を立ち上げ、地域住民が交代でボランティアの案内役を務めています
高島市 海東英和市長:昭和35年(1960年)、高島市新旭町針江に生まれる。旧新旭町職員、同町議会議員、同町長を経て平成17年(2005年)、市町村合併によって誕生した高島市の初代市長に就任。高島市の海東英和市長(47歳)も、針江地区にある川端(かばた)を持つ家で育ちました。子どもの頃、夏の暑い盛りに壺池で冷やしたスイカやトマトを食べたことが、いまでも思い出に残っているそうです。
「壺池に浮かんだ果物や野菜は、透明な湧水のなかで鮮やかな色彩を放っていましたね。また、水遊びも楽しい思い出です。川に入っては小魚を捕まえ、湖に出てはシジミを獲っていたものです。川辺につながれた小舟を勝手に出しては、よく叱られていました(笑)」
水とともに暮してきた美しい我が故郷の風景は、貴重な文化財産であると考えていた海東市長。市町村合併で高島市になる以前、旧新旭町で町長を務めていた2001年には、写真家の今森光彦氏による川端や野川の写真を多用しながら「自然とともに生きる」という町の冊子(記念誌)を発行。それを手にした住民の多くが、海東市長と同じように我が故郷を大切な宝物であると感じるようになっていきました。
旧新旭町時代に発行された町の記念誌「自然とともに生きる」(中央)。その後、高島市周辺の美しい自然に平和へのメッセージを託した絵本「ホタルのくる町」(絵・文:葉 祥明)が出版されたほか、「環の郷たかしま」づくりを紹介した冊子も、地元の作家(絵・文:北村美佳)によって制作されています
記念誌に掲載された写真は、壺池で冷やされるスイカやトマトをはじめ、生水(しょうず)が流れる川辺で野菜を洗う主婦や、田に向かう川を小舟で進む農夫、小川や湖畔でたくましく生きる小魚や野鳥の姿などでした。
「記念誌が発行されると、住民の多くが自分たちの手で滅ぼしかけていた身近な自然の存在価値を見つめるようになっていきました。地域に残る豊かさを再発見したのです。これまで私たちは、井戸は前近代的で水道こそが文化的であると考えがちでしたが、ここで皆、ちょっと立ち止まって考えることができるようになりました」
記念誌「自然とともに生きる」で紹介された夏の壺池。海東市長も、子どもの頃は、このようにして冷やされたスイカやトマトをほおばっていたそうです
その昔、水が湧き出るところに人が集まり、集落が形成されていきました。針江地区にある正傳寺には、いまでも美しい清水が湧き出ており、地元の憩いの場になっています旧新旭町の記念誌に込められた、地域の価値を再発見して守り続けるという思いは、市町村合併で同じ市になった周辺地域の人たちにも広まっていきました。「いまも残る田舎の風景は、けっして貧しさを表すものではない。むしろ昔から守り続けられてきた地域ならではの豊かさなのである」と、海東市長は市民に伝え続けました。
公民館の脇を流れる水路には昔ながらの水車が回っており、川底には美しい梅花藻(ばいかも)が茂っています。
いまでも高島市内にはたくさんの村祭りが存続しており、5月の連休だけでも市内7〜8カ所でなんらかの祭りが開催されました。
どこにでもあるような道路脇の溝にも美しい水が流れ、たくさんの梅花藻を育てています。もちろん、空き缶などは浮かんでいません そして、地域を潤す水は住民が総出で守ります。いまでも田に十分な水を送るため、年に何度となく地域の川掃除が行われていますが、昔から続けられてきたこのような共同作業を通じて地域コミュニティが現在も存続しているのです。高島市内の地域すべてに氏神様があって必ず村祭りが開かれていますが、これは水を守る住民同士が『お互いさま』と『おかげさま』の気持ちを伝え合うハレの行事なのです」
※ハレ…儀礼や祭などの「非日常」を意味する。
里から琵琶湖に通じる川の冬景色。針江のエコツアーは、身近な自然の豊かさを広く国民に知ってもらおうという主旨で、環境省が選ぶエコツーリズムのモデル地域の1つに選ばれました