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語り:オーシャンファミリー海洋自然体験センター・スタッフ 大西美奈さん

■プロフィール
1978年生まれ、京都府宮津市出身。小学生時代、宮津市B&G海洋クラブに所属。小学6年生のときに少年の船、中学1年生のときに海外体験クルーズに参加。京都府立海洋高校ボート部で国体出場、長崎水産大学に進学後は海洋物理を専攻する傍らヨット部に在籍。卒業後、ボランティアスタッフとして海外体験クルーズに参加。その際、故ジャック・T・モイヤー博士、海野義明氏と出会い、それが縁で現在はオーシャンファミリー海洋自然体験センターのスタッフとして活躍中。
   


 B&G海外体験クルーズのリーダーを務めることになった大西さん。子どもの頃からの憧れが実現したとあって期待に胸を膨らせましたが、乗船名簿を見てさらに喜びが増しました。講師として、オーシャンファミリーのジャック・T・モイヤー博士と海野義明氏が乗船することになっていたからです。クルーズ前夜のスタッフウェルカムパーティーで、さっそく大西さんは2人のもとへ足を運びました。

 「私は、海外体験クルーズが終わったら地元の宮津に戻って、母校の海洋高校で常勤講師を1年間務めることが決まっていましたが、将来的にはマリンスポーツや海の自然を学ぶ学校を地元につくりたいという夢がありました。そのため、お2人に挨拶するやいなや『オーシャンファミリーのようなスクールを開くためには、なにか資格が必要なのでしょうか?』とか、『子ども相手の仕事が中心になると思うので、小学校教諭の資格を取って教育ノウハウの幅を広げておいたほうが良いのでしょうか?』といった質問を矢継ぎ早に出しました」
〜ニュージーランドでホームステイ中〜
ニュージーランド南島
エイベルタズマン国立公園
シーカヤック会社で3ヶ月間の研修を体験
 お2人とも、ウェルカムパーティーでこんな質問を受けるとは夢にも思っていなかったことでしょう。しかし、大西さんの熱心さを受けて、モイヤー博士も海野氏もていねいに対応してくれました。
 「お2人は、『資格を取るために勉強することはいいが、資格にこだわらず、これだけは自信があるというものを1つでもいいから身につけることも大切だ』とアドバイスしてくださいました。そして、『オーシャンファミリーは、多くのボランティアの力を得て活動しています。そうやってうちで活動してもらってもいいが、臨時教員に採用されたのだから、まずはその仕事をしっかりやってください。そして、いろいろな経験を積んで何年か先に機会があって一緒に仕事ができたらいいですね。力になれることはお手伝いしますから、いつでも相談してくださいね』とおっしゃってくださいました」

 質問したいことは山ほどあった大西さんでしたが、体験クルーズに参加した目的はリーダーの仕事です。船上では子どもたちの世話に追われ、お2人と話す機会はほとんどありませんでした。
 「クルーズの最中は廊下で挨拶する程度で、後にも先にも質問の機会はウェルカムパーティーでお会いできた数分間の立ち話だけでした。モイヤー先生とお会いできたのはこのクルーズが最初で最後でしたから、いま思えばこのときもっとモイヤー先生といろいろなことを話してみたかったと思います」
 穏やかな口調で質問に答えてくれたモイヤー博士からは、ほのかなオーラを感じたという大西さん。残念ながら、このクルーズの2年後に博士は故人となってしまいましたが、いま、きっとどこかで博士は大西さんの活躍を見守っていることでしょう。


 小学6年生のときに少年の船に参加し、中学1年生では体験クルーズに参加した大西さん。リーダーの仕事では、こうした過去の経験が大いに役立ちました。
 「自分自身、子どもの頃に参加したことがありましたから、航海に不安を抱いて胸をドキドキさせながら乗船してくる子どもたちの気持ちがよく理解できました。このような子は顔を見れば分かりましたから、積極的に話かけて気持ちを解きほぐしてあげるよう努めました。また、航海が帰路に入ると、『ああ、これまで憧れ続けてきたリーダーの仕事も、あと少しで終わってしまう』と考えるようになり、感極まって涙が出てしまうこともありました(笑)」
 感極まって涙が出てしまうリーダーは大西さんに限ったことではありません。大西さんも、人生の1ページにリーダーの仕事をした思い出をしっかり刻むことができました。



〜ニュージーランドでホームステイ中〜
冬場はクロスカントリースキー場のキッチンに従事。各国のオリンピック強化選手などに食事を提供

 しかしその一方、船が陸に近づくにつれて大西さんの胸の中には「これが終わったら、私は何に希望を託したらいいのだろうか」という思いが湧き上がっていくのでした。

 「体験クルーズが終わったら教師の仕事が待っていましたが、いつかは海の自然を教える仕事をしたいと思っていたので、実はあまり学校の教師として生活する自分がイメージできていませんでした。常勤講師の話は学生時代からお世話になっていた校長先生から声をかけていただいたものでしたが、胸の奥を覗けば、やはり自分の夢は海へと向いていたのです」
 恩師の好意にはしっかり応えたい。けれども、胸の奥にしまい続けてきた自分の夢もおろそかにしたくない。そんな複雑な思いを抱きながら郷里の宮津に戻った大西さんでしたが、1年間の教員生活はけっして無駄ではありませんでした。学校の仕事を通じて、自分の道を見据えることができたのです。
 「まずは、いかに教師の仕事が大変なのかを知ることができました。生徒指導や生徒会運営のサポート、放課後や休日は部活動の指導にあたり、空いた時間は自分自身の教材研究、試験のプリント作成などと、授業以外にも実にたくさんの仕事をこなさねばなりません。実家に戻ったことで両親は喜びましたが、最初の数ヵ月は帰宅すると疲れて放心状態になっていましたし、夜遅くまで授業の準備やテストの答案を作りをすることもあったので、しだいに両親は私の健康状態を心配するようになっていきました。その反面、授業そのものはとても有意義で、物事を教える楽しさや難しさを知ることができました」

 極力、教室の外に出る授業を持てるよう心がけた大西さん。本を使って教室で行う授業に比べて、こちらの方が自分に合っていると感じたためでした。
 「本を使って教室の中で勉強すること以外にも、学ぶべきものはたくさんあると思うのです。ある物事に対して本当に興味を抱いたら、教科書に書かれていること以外にも目が向いていくはずなのです。その目の向く先とは、海であったり水辺であったりはたまた山であったり、とにかく外なんです!結局学べるところはありのままの自然なんですね。ですから、教室の外で教えられることに関しては、できるだけ力を入れたいと思ったのです」
 自分は教室の外で教える仕事が合っている。自分にはその道しかないと思うようになった大西さん。1年間の契約期間が終わると、引き続き学校に留まる話も出ましたが、自分の行きたい道がはっきり分かり、新たな生活を求めて郷里を去っていったのでした。


〜ニュージーランドでホームステイ中〜
OP Charteris Bay Yacht Club
毎週末、大人も子どもも集まってヨットレース
を開催。これぞ『ウォーターワイズ』!

 母校での教員生活に区切りをつけた大西さんは、いったんマリンピアザオキナワに戻って自分にできる限りの海での活動のスキルアップをはかりました。地域のエイサー団体に所属して活動し沖縄の文化に触れたり、音楽を通じて素敵な仲間と出会えたり、サンゴの海で波乗りやスノーケリングを楽しんだり、沖縄でもジュニアライフセービングの活動にかかわったり、と沖縄での生活はこの上なく心地よかったのですが、「目標のためには離れる勇気も必要」その後、かねてから行ってみたかったニュージーランドのネルソン市へと旅立ちました。

 「大学生時代に、B&G財団の機関誌『シーコム』に掲載されたウォーターワイズの記事を読みました。ウォーターワイズは『子どもたちが水に賢くなるプログラム』、このキーワードに強いショックを覚えた私は、地域の人たちが協力し合いながら小学校で水辺の安全教育に力を入れているこの国をどうしても見学しておきたいと思っていたのです。また、ネルソン市は宮津市と姉妹都市の関係にあり、以前、我が家にホームステイしていた女の子がいたので、その彼女が生まれ育った町に行ってみたいという理由もありました」

〜ニュージーランドでホームステイ中〜
カンタベリーサーフライセービング協会が行う
ビーチエデュケーション。年間60,000人以上の
小学生が、学校単位で参加しています

 NZ(ニュージーランド)に渡ると、NZでプロのシーカヤックガイドとして活躍するある日本人を訪ねていき、初めの週末には面接を受け、2週目からはNZでも最大級のシーカヤックカンパニーで研修生として働き始めた大西さん。月曜日から金曜日は語学学校、土曜日と日曜日、祝日はカヤック会社のアシスタントとして働くといった生活です。バスに揺られて1時間の通勤、土日の宿泊は毎回テントを張って過ごしました。また冬場には、海を離れクロスカントリー専門のスキー場でアルバイトしながら山の自然も体験しました。生まれて初めて"海のない土地"で3ヶ月を過ごし、『やはり自分には海が必要だ!』と実感したそうです。冬が明け春になると、冬の職場で仲良くなったキウイ(NZ人)の友人の父親が経営するアウトドアスクールの仕事を住み込みで手伝いながら、いろいろなアウトドア関係者と交流を重ね、地域のヨットクラブの活動に参加。また地元のライフセービング協会に直訴してライフセービングのジュニアプログラムなどにもボランティアスタッフとして参加。再び海三昧な生活に戻ったところで、あっという間に滞在予定の1年が終わりました。

 「成田空港に着いて財布を開けると、オーシャンファミリーがある葉山までの電車賃ぐらいしか所持金がありませんでした(苦笑)」
 大きな荷物をかかえたまま、何のためらいもなく成田空港から葉山へ向かった大西さんは、「アルバイトでもボランティアでもいいから、オーシャンファミリーで働きながら水辺の自然体験教育を勉強したい」と海野氏に懇願したのでした。


第3話 続く 最終話

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