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語り:オーシャンファミリー海洋自然体験センター・スタッフ 大西美奈さん

■プロフィール
1978年生まれ、京都府宮津市出身。小学生時代、宮津市B&G海洋クラブに所属。小学6年生のときに少年の船、中学1年生のときに海外体験クルーズに参加。京都府立海洋高校ボート部で国体出場、長崎水産大学に進学後は海洋物理を専攻する傍らヨット部に在籍。卒業後、ボランティアスタッフとして海外体験クルーズに参加。その際、故ジャック・T・モイヤー博士、海野義明氏と出会い、それが縁で現在はオーシャンファミリー海洋自然体験センターのスタッフとして活躍中。
   





〜大学時代の乗船調査〜
東シナ海でプランクトン調査
他大学(国内外)の調査員とも共同
 もっと海を極めようと長崎大学水産学部へ進学した大西さん。専攻は海洋物理学でした。
 「ヨットやカヌー、ボートで海に出ているなかで、知らないうちに波や潮の流れに興味を抱くようになっていました。また、母方の祖父が天橋立の内海という特異稀な環境で漁師をしていましたから、漁場環境にも非常に興味がありました。そこで、大学では黒潮や潮汐のメカニズムを学びながら、海流や潮の流れが稚魚の育成にどう関わっているのか、海の流れが変わると漁場がどのように変化するのかといったことを勉強しました。最終的には、東シナ海に調査船で出かけてプランクトン分布を研究したり、人工衛星による環境モニタリングの先駆けとなる研究に携わらせてもらったりしたうえ、学会での研究発表などもいい度胸試しになりました(笑)」
 まったく新しい世界に足を踏み入れた感じがして、大学の勉強はとても楽しかったと語る大西さん。授業を離れたところでは一度は海から離れてみようと、部活では野球部に入ってマネージャーをしてみたそうですが、1年生の秋には海が恋しくなってしまいました。
 「結局、マネージャーをしていたら自分でも体を動かしたくなってしまったのです。それなら、やっぱり海がいいってことになってしまいました。ちょうど大学にはヨット部があったのですが、入部するとヨットを維持するためにお金がかかるという話でした。大学時代、生活費の半分は自分が出すという約束を親としていたので、自分にはちょっときついかなと思いましたが、入部する前にある程度の生活資金を蓄えておけばとりあえずはなんとかなると考え、秋から春先までアルバイトに集中して、3月になってやっと入部することができました」
 実際、ヨット部に入ると試合ごとに自分たちの艇を運搬しなければならず、そのたびにお金がかかるため、友だちから借金をして試合に臨んだこともあったとのこと。練習でもドライスーツがなくて、ジャージを重ね着して冬場をこらえたそうです。
 「ヨットは海洋クラブや高校の授業で経験していましたが、本格的なレースになると同じセーリングでも乗り方が違ってきます。私は470級のクルーとして練習に励みましたが、成績のほうはあまり芳しくありませんでした」
 大学の470級といえば、オリンピックの代表候補も出てくるハイレベルな競技種目です。大西さんは、生活費の半分を自分で工面しながらこの厳しい世界に挑戦しましたが、それも入部前にアルバイトで貯めた資金に頼ることができた3年生の春までのことでした。ヨット部に在籍できたのは、大学1年の終わりから大学3年生になるまでの間となりましたが、たった1年間されど1年間、いろんな面で得るものは大きかったと思います。



〜オーシャンファミリーでの活動〜
葉山マリンキッズ ゲーム中

 授業とヨット、そして教職課程の実習や生活資金のためのアルバイトと、忙しい大学生活を送っていた大西さんですが、卒業後の進路については在学中から確固たる目標を定めていました。
 「高校を卒業するときに希望したB&G財団への就職について、小学生の頃からお世話になっていた宮津市B&G海洋センターの職員さん(現在では所長)に常に相談していました。私には、ここしかないと心に決めていたのです」
 そのため一切、就職活動をしないで大学の卒業を迎えることになりましたが、高校を卒業するときと同様、残念ながらB&G財団の求人はありませんでした。
 「B&G財団にこだわって他の就職先を考えていなかったため、大学で紹介されたスイミングスクールなどの企業に足を運んでも、なかなか仕事のイメージがわかなくて困ってしまいました。教員採用試験も受けましたが、勉強にも身が入っておらず当然、試験には不合格でした」
 大西さんは別の手を考えました。全国の海洋センターを調べ、自治体直轄ではなく第3セクターや財団などで運営されている20ヵ所あまりを探し出して就職依頼の手紙を書いたのです。自治体の直轄では公務員になる必要がありますが、このような経営母体なら独自に採用してくれる可能性が高いと考えたからだそうです。
 「これは私にとって最後の賭けだと思いましたが、結果は得られませんでした。しかし、手紙を出したほとんどの海洋センターから、とても丁寧なご返事をいただいて感激しました。なかには、『ウチは無理だけど、ここを当たったらどうですか』といって、他のスポーツ・レクリエーション団体を紹介してくれる海洋センターもあり、お言葉に甘えて面接に行ったところもありました」
 面接に行くと、「これから少子化社会を迎えて、教える子どもの数が減っていくのに、なぜあなたはこの仕事にこだわるのですか。それは、あなたの儚い夢で終わりますよ」といった厳しい意見を言われたこともあったそうです。
 「厳しい意見を言われて、ハッと我に帰った気持ちになりました。『単なる憧れだけでは、自分の好きな仕事にはありつけないんだ』という現実を知って、涙が出ました」
 これであきらめがついた大西さんは、海洋調査員として大学に残るか、それとも教師になるか悩んだそうですが、卒業の直前、B&G財団が当時直営していた総合マリンスポーツ施設、マリンピアザオキナワで4月からアルバイトの口が出ることを知りました。
 「同時に、在学中から就職のことで相談相手になっていただいていた宮津市B&G海洋センターからも『今年は、春から夏場にかけて人手が足りなくなるので手伝ってくれないか』と声をかけられました」

〜オーシャンファミリーでの活動〜
葉山マリンキッズ 着衣泳

 正職員の話ではないものの、矢継ぎ早に仕事の依頼が入ってきた大西さん。しかし、同時に2ヵ所で働くことはできません。その事情をマリンピアザオキナワに相談すると、「秋からでもお願いしたい仕事はあるから、夏場は地元の海洋センターを手伝ってください」とアドバイスされました。
 「アルバイトとはいえ、やっとB&G財団の仕事に手が届きました。マリンピアザではヨット、カヌー、カッター訓練の指導員をさせていただき、毎日がとても充実しました。仕事自体は大変なのですが、自分が思い焦がれていた仕事ですから辛くなかったのです。また、半年ほどではありますが、沖縄の生活で自分を振り返ることもできました。それまでの私は、物事を一途に考えてしまう面があったのですが、沖縄の職場の人々や所属していたエイサー団体の仲間たち、沖縄の子どもたちとともにリズムのある心地よい生活を沖縄で送っているなかで、近くのゴールをめざしながら次のゴールを考える気持ちのゆとりが生まれたのです」
 かたくなにならず、ときには物事を柔軟に考えることも必要であると知った大西さん。年を越して仕事にも生活にも慣れてきたところで、3月に開催されるグアムへの海外体験クルーズのリーダーを務める話が出てきました。もちろん、これは中学生のときから憧れてきた仕事ですから返事は決まっていました。
 「ついに私もリーダーとして船に乗れる。ワクワクしながら乗船名簿を眺めていたら、思わぬ人たちの名前が載っているのでビックリしてしまいました」
 名簿には、ジャック・T・モイヤー、海野義明と記されていました。2人は、講師として乗船することになっていたのです。
 「まだクルーズの話が出る前のこと、沖縄の小さな小さなの図書館で、ふと目に留まって借りた『子どもは海で元気になる』という本を読んで感激した後のことでしたから、その著者にクルーズでお会いできるとあって興奮してしまいました」
 両氏が設立したオーシャンファミリーは、いわば大西さんが憧れ続けていた仕事の専門家集団です。これは、まさに運命の出会いと言っても過言ではないでしょう。クルーズ初日のウェルカムパーティーで、さっそく大西さんは2人のもとへ足を運びました。


第2話 続く 第4話

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