本文へ 財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団 サイトマップ
HOME B&G財団とは プレスリリース チャレンジスポーツ スポーツ施設情報 リンク集




語り:オーシャンファミリー海洋自然体験センター・スタッフ 大西美奈さん

■プロフィール
1978年生まれ、京都府宮津市出身。小学生時代、宮津市B&G海洋クラブに所属。小学6年生のときに少年の船、中学1年生のときに海外体験クルーズに参加。京都府立海洋高校ボート部で国体出場、長崎水産大学に進学後は海洋物理を専攻する傍らヨット部に在籍。卒業後、ボランティアスタッフとして海外体験クルーズに参加。その際、故ジャック・T・モイヤー博士、海野義明氏と出会い、それが縁で現在はオーシャンファミリー海洋自然体験センターのスタッフとして活躍中。
   

 地元の宮津市B&G海洋クラブでマリンスポーツの楽しさを知り、少年の船や海外体験クルーズに参加したときは、子どもの面倒を見てくれた組のリーダーに強い憧れを抱いた大西美奈さん。いつかは自分も多くの人に海のすばらしさを伝える仕事をしたいと願うようになりました。
 そのため、高校進学のときは海に関する授業があることから京都府立海洋高校(旧水産高校)を希望しましたが、周囲からは猛反対を受けることになってしまいました。
 「中学の担任の先生からは普通科の高校を勧められていましたし、それを父も母も望んでいました」
 お父さんは海が大好きで、ウインドサーフィンを楽しんでいましたから、大西さんが海に関心を寄せることについて異論はありませんでした。しかし、進学率の高い普通科高校に十分行ける力が大西さんにはあると担任の先生から言われたら、親の気持ちはどうしてもそちらに向いてしまいます。その一方でお母さんには、できれば大西さんに海関係の道を歩んでもらいたくない、ある思いが胸をよぎっていました。
 それは、大西さんの父方のお祖父さんに関してのことでした。お祖父さんは鉄道関係や建築関係の仕事をしていましたがアウトドア活動が大好きで、よくボランティアを買って出ては地域の子どもたちを引率して海や山へキャンプに出かけていました。ところがあるキャンプの帰り、たまたま通りかかった道で海に溺れている幼い兄弟を発見。ただちに自ら海に入ってその子たちを救助しましたが、お祖父さんご本人は力尽きてしまいました。

大学卒業後に入った
地元のライフセービングクラブでの
ジュニアプログラム

 この突然の事故で、大黒柱を失ってしまった大西さんのお父さん一家。当時、高校生だった大西さんのお父さんは、即座に家族を守る決意を固め、商船大学に進学して船長になる夢を捨てて仕事に就きました。こうした事情をよく知るお母さんですから、大西さんが遊びやスポーツの枠を超えて仕事でも海の世界に入っていったら、お父さんがとても心配すると思ったのです。
 しかし、大西さんの気持ちは固まっていましたし、お母さんが思ったほどは、お父さんは心配していなかったそうです。ウインドサーフィンなどの活動を通じて自分自身が海を楽しむお父さんでしたから、海そのものへの理解はあったのです。お父さんが反対した理由は、ひとえに大西さんには普通科の高校へ行ってもらいたい。そして、幅広い選択肢を持って将来の道を決めてもらいたいということでした。
 「毎晩のように涙を流しながら父に理解を求めました。それでも父はなかなか首をたてにはふらず、わたしはがっくり肩をおとしてはまた翌日、また翌日と同じように交渉を続けました。そんな私をみて母は、やりたいことをやらせてやりたいという気持ちと、心配な気持ちの狭間でありながらいつも私を励ましてくれていました。いまとなっては、このときの父とのやりとりが、自分のやる気を確かめ、意思を強くひとつのハードルとしてよい機会になりました」



高校2年で出場したインターハイ(島根)

 大西さんが海洋高校にこだわった理由は、ほかにもありました。中学時代、教室やグラウンドから海を眺めると、そこには漕艇の練習に励む海洋高校ボート部の姿があったのです。
 「海洋クラブに参加できるのは小学6年生までという取り決めがありましたから、中学に上がると海が恋しくて仕方ありませんでした。マリンスポーツの部活なんてありませんし、プールがなかったので水泳部もありませんでしたから、やむなくバレーボール部に入りました。キャプテンをしながら、チームワークで勝利をめざすスポーツはとても楽しく熱中しましたが、実は練習をしながら早く海に戻りたいという気持ちもありました。そのため、漕艇の練習が目に入ると、高校に行ったら自分もしたいと望むようになっていきました。当時、海洋高校ボート部は国体にも出ていて、校舎に「国体出場!」なんて書いた横断幕が張られたりしていましたから、自分も大きな大会に出てみたいと憧れたものです」
 なんとかご両親を説得して京都府立海洋高校に入った大西さんは、さっそくボート部に入部。舵手つきフォアという4人乗りのボート(漕ぎ手4名、コックス(舵手)1名)で練習に励むことになりました。
 「最初は、とにかくボートを漕ぎたい一心でしたが、1年生の初めての試合直前に私は足にケガをしてしまい、漕ぎ手としては試合には出るなと医者から言われてしまいました。そこで、とりあえず舵を握ってみたところ、京都の選抜チームを統括する先生から『お前は、コックス向きだ』と言われてしまいました。漕ぎ手としてがんばっていこうと思っていたので、最初はがっかりしましたが、練習を重ねるうちにコックスの重要性を知るようになっていきました。コックスは舵を受け持ちながら、漕ぎ手の力が最大に発揮できるようにボート全体を把握していかねばなりません。また、備品の管理や練習内容の組み立て、漕手のマッサージやメンタルコントロールなど、やればやるほど奥が深いことが分かりました」
 自分が担う役割の大切さに目覚めた大西さん。コックスを極めようと練習に励み、ほぼ毎週末、宮津から電車にのって4時間かけて滋賀県の琵琶湖まで行き、京都選抜チームの合宿に参加。その甲斐もあって2年生のときは海洋高校としてインターハイ出場、3年生では京都選抜チームに選ばれて国体に出場し、準決勝まで進むことができました。

高校3年で出場した国体(広島)
         出場メンバー

 「このボート生活では、大会の結果よりも同じ選抜チームで上をめざせる仲間と指導に当たってくださった先生方に恵まれたこと、『思い続ければ実現する』という強い考え方を学べたことが、何よりも自分の糧になりました」
 その一方、海洋高校ということで授業でもヨットやスクーバダイビングを経験。一級小型船舶の資格や潜水士の資格取得など、文武ともにどっぷり海につかった3年間となりました。
 「これだけ海の体験を重ねていれば心配ないと思い、担任の先生から卒業後の進路について聞かれたときは、まっさきに『B&G財団に入りたい』と言いました」
 水産関係の仕事に就くか、大学に進学するかが一般的な答えなので、先生は少々戸惑ったそうですが、いろいろ調べてくれたそうです。
 「先生から言われたのは、『B&G財団としては、特に来年度の新人採用は考えていないそうだ。財団のような公共の仕事はいろいろな能力が求められるから、単にヨットやボートの経験があるだけでは説得力がない。どうしても入りたいのなら、大学に進んで人間の幅を広げながらチャンスを待て』といった主旨の言葉でした」
 がっかりして肩を落とした大西さんでしたが、すぐさま先生のアドバイスを受け入れ、大学に行くことを決心。これまでしてきた勉強を軸にもっと海のことを極めようと考え、長崎大学水産学部を選ぶことになりました。



第1話 続く 第3話

バックナンバー
 
戻る


お問い合わせはこちら:infobgf@bgf.or.jp
copyright