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アテネオリンピック・セーリング競技で銅メダルに輝いた、
関 一人・轟 賢二郎ペアのサクセスストーリー

取材協力 :関東自動車工業株式会社 写真提供:舵社(撮影 中島 淳)


 今年開催された第28回アテネオリンピックのセーリング競技、男子470級で銅メダルに輝いた関 一人・轟 賢二郎ペア。日本でヨットに乗る者たちの長年の念願を叶えた、この2人の若者のサクセスストーリーを連載で紹介しています。


 
■目標に向かってマイペースを保った2人

 オリンピックキャンペーンを実らすためには、海外を転戦しながら結果を出していかねばなりません。ペアを組んだ2人を待っていたのは、ヨットをクルマに積んで世界中を走り回り、日本でレースがあるときには飛んで帰るという、移動だけでも疲れてしまいそうな日々でした。

 「最初の頃は確かに疲れましたが、キャンペーンの生活は慣れるしかありません。ボクたちは関自工の金森コーチと3人で行動を共にしていましたが、幸いなことに金森コーチは常にボクたちの考えを尊重してくれました。そんななかでも意見の食い違いは出るもので、転戦の生活を長く続けていると、2人のどちらかが目先のことを気にし始めて、もっと先のことが見えなくなってしまうことも出てきます。これはペアとして一番深刻な事態であって、2人だけなら言い合いになってしまうところなのですが、金森コーチがいてくれたおかげで客観的な意見をもらうことができました」
4年間という長いキャンペーンを展開するうえで、ただがむしゃらにオリンピックという大きな目標をめざすのではなく、中間の目標を立てながらキャンペーンのプロセスそのものを考えていくことが大切だと、関選手は言います。

「1つ1つの課題を明確にしながら大きな目標に向かっていくという点においては、企業の仕事とまったく同じです。ですから、レース内容を反省するというよりも、掲げた目標に対しての結果を分析するという作業の積み重ねになっていきました」
 いつしか、常にマイペースな2人という評判が広がりましたが、そこには、大きな目標のなかに中間目標を定めて1つ1つ消化していくという、彼らなりの方法論があったのだと思います。たとえば2004年の世界選手権は、この大会に参加する日本勢のなかで最上位につけたペアがオリンピックの日本代表になるという大勝負になりましたが、「オリンピックの日本代表になれるかどうかは結果次第。それよりも、この大会をどう戦って世界のなかで何番になれるかが課題でした」と、ここでも2人は中間目標を掲げてマイペースを貫き、他の日本勢の走りを意識することはありませんでした。こうした1つ1つの努力目標の積み重ねが、オリンピックのメダル獲得につながったのではないでしょうか。

 しかし、そんな冷静な2人でも、オリンピックの第7レースで1位を取ったときは、少々緊張したそうです。立ち並ぶヨット強国を後続に従え、大きな日の丸が描かれたセールがフィニッシュラインに向かってトップで入ってきたときは、世界中の報道陣やレース関係者から大きな歓声が上がったそうですから無理もありません。2人はその後のレースでも上位を取りつつ、最終の第11レースでは3位のポジション争いを繰り広げてきたスウェーデンをしっかり抑えてフィニッシュすることができました。



※今年から、昨年度のWEBマガジンアンドリーの連載がReadingになりました。今後は、毎週水曜日の更新になりますので、よろしくお願いします・
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