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アテネオリンピック・セーリング競技で銅メダルに輝いた、
関 一人・轟 賢二郎ペアのサクセスストーリー

取材協力 :関東自動車工業株式会社 写真提供:舵社(撮影 中島 淳)



 今年開催された第28回アテネオリンピックのセーリング競技、男子470級で銅メダルに輝いた関 一人・轟 賢二郎ペア。日本でヨットに乗る者たちの長年の念願を叶えた、この2人の若者のサクセスストーリーを連載で紹介しています。



 
■ いきなりやって来た役員面接/関 一人選手

 大学の卒業が迫ると、関選手は中学時代に憧れたヨット実業団の名門、関東自動車工業(以後、関自工)への就職を希望しました。しかし、いくらヨットに理解のある会社だとはいえ、オリンピックをめざすことができる選手がいたら1人、2人を採用する程度で、毎年、必ず募集しているというものではありません。すでに、大学の仲間はいろいろな会社を回って就職活動に入っていましたが、その輪のなかに関選手の姿は見られませんでした。彼は関自工のコーチに直談判を試み、その返事をひたすら待っていたのです。

 「ある日、明日来てほしいという旨の電話が関自工から届きました。直談判したコーチから、面接のときには必ず『私は自動車が好きです』とか『自動車に興味があります』といったように、会社の仕事に関心があるように話せとアドバイスされていたのですが、今日の明日ではとても面接で話す内容なんてまとめられません。また、電話を受けた際も、取りあえずあいさつに来いと言われているようなニュアンスにしか感じられませんでした。ところが会社を訪れてみると、いきなり役員面接をすると言われてビックリしてしまい、『なぜ、わが社に入りたいのか』と聞かれても、コーチのアドバイスなどすっかり忘れてしまって、『ヨットがしたいからです。ヨットに乗りたくて、子どもの頃から御社に入ることを決めていました』と、正直な気持ちで返答するのが精一杯でした。役員の方は一瞬、『エッ?』と声を上げましたが、次に『おもしろい!』と言ってくれ、すんなり就職が決まってしまいました。最初から役員面接だと聞いていたら、無理にでも自動車に絡んだ話をしたと思いますが、いま振り返れば、ぎこちない話をするよりもこのほうが自分にとっては良かったような気がします。でも、面接していただいた役員の方が、「なんだ、こいつは!」なんて思わず、本当に助かりました(笑)」

 こうして関選手はオリンピックをめざせる選手として、晴れて関自工に入社することができ、日本屈指の実業団チームのなかで、さらにヨットの腕を磨いていくのでした。



 ■大きな希望で不安を乗り越えた/轟 賢二郎選手

 中学時代に描いた通りの進路を決めた関選手と異なり、大学を出た後に轟選手を待っていたのは試練の日々でした。
 「京都産業大学を出た後、ヨット部がある関西の企業に就職しましたが、その活動は週末に限られ、海外遠征などもしていませんでした。就職した翌年には470級世界選手権があって、ボクには出場権がありましたから、こうした部活の環境には悩んでしまいました」
 大学時代に470級世界選手権で7位に入った轟選手。このときから明確にオリンピックという大きな目標が心に刻まれましたが、いかんせん週末だけの練習では世界を相手にすることができません。いろいろな人に相談したという轟選手でしたが、就職して1年を待たずに会社を去ることになりました。
 「職場の人たちは引き止めましたが、世界選手権のことばかりが頭にあって、気持ちだけが先走っていました」

 轟選手は霞ヶ浦の実家に戻り、自分で買ったレーザー級ヨットで練習を重ねて翌年の470級世界選手権に出場しましたが、急ごしらえのペアで臨んだためパートナーとの息が合わず、思うような成績を上げることができませんでした。
 「まさにヨットの浪人時代でした。世界選手権の後も、アウトドアショップでアルバイトをしながら1人でレーザー級に乗って練習をしていましたが、生活の不安が常に付きまとい、練習環境も中途半端でした」
 どうにかしなければいけないと苛立つこともあったそうですが、世界選手権やオリンピックに出るという目標だけは捨てなかったといいます。そんな熱意が通じたのでしょうか、ある日、関自工に入らないかという願ってもない誘いが舞い込みました。先に入社してオリンピックキャンペーン(次のオリンピック出場を賭けて、4年間のレーススケジュールをこなしていく活動)を展開しようとしていた関選手が、パートナーに選んでくれたのです。
 「もちろん関のことはよく知っていましたが、関自工に入ってどれだけ本気でオリンピックキャンペーンを展開しようとしているのか、この時点では分かりませんでした」

 世界をめざす強い気持ちがあったゆえに、あえて浪人覚悟で就職先を後にした轟選手。だからこそ、どれだけのモチベーションが関選手にあるのかを気にかけましたが、そんな心配は無用でした。なぜなら、関選手にも世界を相手に戦いたいという、轟選手とまったく同じ思いにあふれていたからです。
 「470級のような2人乗りヨットでは、ペアになった相手との技術面での差は練習やレースの経験などを通じて補っていくことができますが、意識の違いまではカバーすることができません。轟となら、レース活動をしていくうえでの目標意識という、勝つためにとても大切な部分を共有できると思いました。とにかく、彼にはヤル気を感じたのです。オリンピックをめざすといっても、ただ出場できて良かった、楽しかったではなく、出場していかに上位を狙うかという共通意識が欲しかったのです」
 こうして再会を果たした2人のその後は、まさに水を得た魚のようにレースで活躍していくのでした。


※今年から、昨年度のWEBマガジンアンドリーの連載がReadingになりました。今後は、毎週水曜日の更新になりますので、よろしくお願いします・
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