![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
栗橋町B&G海洋センター(埼玉県):昭和63年(1988年)開設。施設:プール、体育館。開設以来、斉藤町長が掲げた「ひと、みどり、ひかり、輝くまち」の実現に向けた、町民の健康づくり拠点として機能。
斉藤和夫町長:昭和20年(1945年)生まれ、埼玉県栗橋町出身。国鉄職員、栗橋町町議会議員、埼玉県県会議員を経て、平成4年から栗橋町町長。平成18年、初代会長としてB&G関東ブロック連絡協議会の立ち上げに努め、平成22年オープンの「ボートピア栗橋」の開設に尽力。平成18年度からB&G財団評議員。
周囲の声に押されて郷里の首長になった斉藤町長は、さっそく理想の町づくりをめざして「ひと、みどり、ひかり輝くまちづくり」のスローガンを掲げました。
「昔から農業が盛んな栗橋町でしたが、年を追うごとに専業農家の数がどんどん減っていたので、このままでは町の発展にも限界があると、町議会議員のときから感じていました。そこで土地区画整理事業を行い、ベッドタウンとして新たな人口移入を図りました」
斉藤町長が町議会議員になった昭和52年当時、町の人口は1万2,000人ほどでしたが、現在は2万8,000人ほどに倍増しています。人口を増やす計画は成功したわけですが、新しい町づくりに欠かせない施策として考えられたのが、単に人口を増やすだけではない、人に優しい町づくりでした。
「栗橋町は、利根川や中川に囲まれた輪中の里として知られています。ですから、豊かな水や肥沃な緑地を大切にしながら、誰もが健康で生き生きとした暮らしができる、ふるさとの創生を目指しました。『ひと、みどり、ひかり輝くまちづくり』というスローガンには、そんな思いが込められています」
人に優しい町の土台となる事業として力が注がれたのが住民の健康づくりであり、その拠点を担ったのが海洋センターのプールや体育館でした。
「栗橋町のような小さな町で一番大切なのは、住民の健康です。医者にかからない体づくりを推し進めるため、積極的に海洋センターの利用を呼びかけていきました」
町長自らの呼びかけもあって、海洋センターの利用はしだいに増えていき、現在、小中学校の水泳の授業も、一部は海洋センターのプールで行われています。
「あるとき、学校のプールが壊れて使えなくなってしまい、それなら海洋センターのプールを使おうということになったのが、水泳の授業の一部を海洋センターで行うようになったきっかけでした。貴重な施設を譲渡していただいたわけですから、あまねく利用しようと考えました」
利用者で賑わうようになると、斉藤町長は海洋センター職員に働きかけて、あいさつ運動を展開。体育館やプールに来た人同士が声をかけあうようにしていきました。
「あいさつをすることで人の交流が生まれます。海洋センターにやってくる人たちも、お互いに声をかけあうことで親しくなっていきました。ですから、海洋センターで汗を流すこと以外に、人との触れ合いを楽しむという、もう1つの目的を持つ人が増えていきました」
利用者同士の交流が深まるにつれ、海洋センターに行くこと自体がワクワクする小さな遠足のような楽しみを持つようになっていったと語る斉藤町長。体育館やプールの利用実績は年々高まっていき、海洋センター評価においても、現在6年連続して最優良の「特A評価」を受けています。
海洋センター事業の展開に欠かせないのが、指導者の存在です。「特A評価」の受賞は、たくさんの指導者がそろったことによる成果の表れであると、斉藤町長は述べました。
「最初の頃は役場のなかでも反対がありましたが、私は極力、職員を沖縄の指導者養成研修に派遣するように努めてきました。その彼らが役場の各部署にいて、海洋センター事業をさまざまな角度から応援してくれます。『特A評価』を支えているのは、彼らの努力です」
充実した指導者体制のもとで、いま、もっとも力が注がれている事業が「元気アップ教室」と名づけられた、転倒・寝たきり予防プログラムです。
「住民の健康づくりを考えた場合、その最大のテーマになるのが高齢者対策です。体の弱いお年寄りは、高さ1センチの段差でも、つまずいて転びます。ですから、日頃から楽しく運動しながら、なるべく転ばずに済む体づくりに励んでいただきたいと思います」
海洋センターが遠い地区の高齢者に向けて、地域の集会所などでも実施しているという「元気アップ教室」。ハード、ソフト両面において海洋センターが大きな役割を担いながら、人に優しい町づくりが着々と進められています。(※続きます)