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B&G YASU海洋クラブ:高知県香南市から旧国体施設の指定管理委託を受けているNPO法人YASU海の駅クラブを拠点に、平成18年に誕生。現在10名のメンバーがOPヨットやカヌーの練習に励んでおり、四国ブロック内の交流を深めるキャンプ活動も盛ん。
B&G YASU海洋クラブ代表 丸岡 克典さん:昭和28年(1953年)高知市生まれ。3歳で香南市夜須町に転居。高知工業高校卒業後、自動車修理会社勤務を経てマルオカモータース入社。夜須町青年団団長(20歳)、夜須町商工会青年部長(34歳)、夜須小学校PTA会長、NPO法人YASU海の駅クラブ理事長などを務める。
眼前に太平洋が広がる香南市夜須町で育った丸岡克典さん。幼いときから家の近くの浜で海遊びに興じ、中学生の頃にはサーフボードを自作して波乗りを楽しみました。
その後、丸岡さんは地元の高校を出て自動車の販売・整備を手がける家業に入り、20歳で青年団の団長を務めるなど、積極的に地域の社会活動に参画。34歳(昭和62年)のときには、地元商工会議所の青年部長としてアメリカのマリンリゾート事情を調べる視察旅行に参加しました。
「視察が実施されたのは、当時、夜須町(香南市に合併する以前の町)が国や県と協力して、浜辺を再開発するマリンタウン計画を立ち上げたからです。そのなかにマリーナをつくる案も含まれていました」
アメリカのマリンリゾートを見学しながら、丸岡さんたち視察団は魚市場とショッピングモールが一体化したフィッシャーマンズワーフや、ボードウォーク(ウッドデッキの散策路)などに注目。その結果、夜須町の浜にもレストランやショッピングモール、ボードウォークと海水浴場を合体させた「ヤ・シィパーク」という海辺の公園施設が第3セクターによって整備されました。
ところが、この計画に含まれていたマリーナをつくる案は、その後のバブル崩壊による経済事情の混迷や、計画地にサンゴの生息地があって環境保全の問題が出たことなどから見送られてしまいました。我が町にマリーナができるかも知れない。そんな期待もあって当時、丸岡さんは家の近くの浜でディンギーの練習を始めていました。ですから、マリーナ構想が消えて肩を落としてしまいましたが、中学生の頃には自作のボードでサーフィンを楽しんだほどの海好きです。せっかく覚えたディンギーなので、仲間を集めて乗り続けました。
すると、十数年後に大きな転機が訪れました。平成14年に国体が高知県で開催されることになり、夜須町でセーリング競技が実施されることになったのです。当時、県内には国体を開催するだけの大きなマリーナがなく、丸岡さんたちが続けていたディンギー活動の実績が買われて夜須町の浜が選ばれたのでした。
もっとも、国体のような大きな大会となれば、丸岡さんたちが普段行っている浜からの出航では大会運営がたいへんです。サンゴの保全問題もあってマリーナをつくることはできないにしろ、スロープ(斜路)をつくる必要はありました。「ここで、十数年前のアメリカの視察が役立ちました。いろいろなリゾート基地を見て歩き、ヨットの施設は大きくなればなるほど維持管理がたいへんになることを知っていたからです。
ですからスロープといっても、ある程度の大きさのものを1本つくってもらい、それに仮設のスロープを加えて国体を行い、大会が終わったら仮設スロープを撤去し、残ったスロープで地域のヨット活動を支えていくことを考えました。これなら、維持管理もそうたいへんではありません」
このほか、国体に向けてスロープから国道を挟んで陸側の空き地に艇庫兼事務所と、全都道府県のチームが艇やクルマを置くことができるだけの駐車スペースを整備。このいたってシンプルな施設で無事国体を終えることができ、その後の維持管理は丸岡さんたちがつくったNPO法人YASU海の駅クラブが、香南市から指定管理委託を受けて行うことになりました。 (※続きます)