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カヌーを通じて人生の宝物を見つけてほしい〜B&G杯全国少年少女カヌー大会に毎年参加している、八千代カヌークラブの指導者、深田泰正さん〜


深田さん注目の人
深田 泰正さん


広島県府中市生まれ、現在39歳。小学5年生でカヌーを始め、高校時代は国体選手として活躍(高2で出場した山梨国体では3位入賞)。関東学院大学へ進学後もインカレなどで活躍。平成4年、広島県八千代町(現:安芸高田市)教育委員会に就職し、アジア大会を迎えた後、八千代B&G海洋センター(現:安芸高田市八千代B&G海洋センター)の運営に従事。平成16年に周辺六町が合併して安芸高田市が誕生してからは、同市教育委員会生涯課へ異動。現在は、ボランティアで地元B&G八千代海洋クラブの指導にあたっている。


 小学5年生のときに、広島県のB&G府中市海洋センターでカヌーを始めた深田泰正さん。中学に入ると将来の国体選手をめざして練習に励み、高校時代には3年間連続して国体出場。大学でもインカレなどで活躍し、地元広島県でアジア大会が開催されることを受け、カヌー競技会場を受け持つ広島県八千代町(現:安芸高田市)教育委員会に就職。

 以後、同町の八千代B&G海洋センター(現:安芸高田市八千代B&G海洋センター)の運営に携わりながら地元の子どもたちにカヌーを指導するようになり、これまでに何人もの国体選手を輩出。B&G杯全国少年少女カヌー大会にも地元の子どもたちを毎年参加させて、常連チームとして知られるようになりました。「子どもたちには、カヌーを通じて人生の宝物を見つけてほしい」と語る、深田さんの活動の日々を追いました。

第1話:カヌーとの縁、地元との縁

話題をつくりたい

安芸高田市八千代B&G海洋センター 八千代町時代に深田さんが運営に携わった、現在の安芸高田市八千代B&G海洋センター(写真:同センターHP)
  広島県府中市で生まれ育った深田泰正さん。小学3年生になると、地元に府中市B&G海洋センターが開設したので、さっそくプールに通って水泳を習うようになりました。
 
 「プールに通って2年ほどが過ぎたある日、“B&G少年の船”(現:B&G体験クルーズ)の案内が海洋センター内に貼られ、参加したいなと思いました。当時は、大阪・沖縄間の航海でした」

 この航海に参加したら、全国のさまざまな友だちと出会える。そのとき、相手に自分をアピールして覚えてもらうためには、何か取り得が必要だと深田さんは考えました。

 「水泳をしている子はたくさんいますが、カヌーをしていたら珍しがられて話の種になると思いました。たまたま兄が海洋クラブでカヌーをしていたので、私も一緒にやることにしました」

 少年の船に乗った際の話題にしたくて、お兄さんと一緒に海洋クラブでカヌーを始めた深田さん。そんな努力の甲斐あって、船の上ではたくさんの友人ができ、カヌーに乗ること自体もしだいに面白くなっていきました。

 「最初はフラフラしながら走っていただけでしたが、練習を重ねて直進できるようになると、今度はより速く走ってみたいと思うようになって、気がついたらカヌーの楽しさにのめり込んでいました。当時の指導者がスラロームの選手だったので、エスキモーロールなどを教えてもらって無我夢中でした」


国体に出たい!

土師ダムスポーツランド・レイクスタディスポーツセンター 広島県で開催されたアジア大会カヌー競技場となった、土師ダムスポーツランド・レイクスタディスポーツセンターの水面。恵まれた環境が整っています
   深田さんが中学に上がると、同じように高校に進んだお兄さんはスラロームからレーシングに転向しました。当時の国体競技ではレーシング種目しかなかったからです。

 「兄もするのなら私もというわけで、中学に入るとすぐにレーシングのカヌーに乗り始めました。兄と同じように、この種目なら国体という大きな目標を見据えることができたからです」

 国体に出たいと練習に励んだ深田さん。中学の3年間でしっかりと基礎を学び、高校に入るやいなや1年生で県の代表を獲得して、鳥取国体に出場。初出場ながら、見事4位入賞を果たしました。

 「高校2年生で出場した山梨国体では3位に入ることができましたが、まさか会場になった精進湖と、この先、B&G全国少年少女カヌー大会の縁で結ばれるとは思いもつきませんでしたね」

 山梨国体が終わった年の冬、深田さんはケガを負って骨折してしまいました。その影響を受けて、翌年の沖縄国体では9位とあまり成績が振るいませんでしたが、スポーツ推薦で関東学院大学に進学してからは旺盛な意欲で競技活動を展開していきました。


カヌーで結ばれた地元との縁

 大学ではインカレなどで活躍した深田さん。4年生の秋を迎えても、競技中心の生活が続きました。

 「同級生たちは、4年生の夏から一斉に就職活動を始めましたが、私の頭の中はカヌー一色のままでした。私はカヌーの選手として大学に迎えていただいた身でしたから、秋に開催される大学生活最後のインカレを終えるまでは、カヌーに専念しようと思っていたのです」

練習に励む学生 取材当日も、広々としたダム湖の水面で地元の高校生や小学生たちが練習に励んでいました
そんな矢先、思わぬところから就職の話が舞い込みました。2年後にアジア大会の開催を控えていた広島県の体育協会からでした。アジア大会のカヌー競技会場が八千代町のダム湖にできるため、地元の教育委員会に就職して施設の運営にあたり、アジア大会を成功させて欲しいというものでした。

 「就職のことなんて、それまで何も考えていなかったので最初は困惑しましたが、周囲から背中を押されて面接に向かいました。私が大学を出たのが平成4年の3月で、その翌年にカヌー競技場となる“土師ダムスポーツランド・レイクスタディスポーツセンター”が完成して、プレ・アジア大会を開催。そしてその次の年にアジア大会が開かれました」

 アジア大会の一連の動きは、まるで深田さんを地元に呼び戻すかのようなタイミングで進んでいきました。地元、広島県との強い縁を感じた深田さんは、八千代町に腰を据えて新たなカヌーの活動を展開していきます。(※続きます)