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語り:松本富士也さん

■プロフィール
1932年、静岡県沼津市生まれ。早稲田大学ヨット部を経て、社会人2年目の1956年にスナイプ級全日本選手権大会で優勝。以後、国体や全日本実業団選手権大会、スナイプ級世界選手権大会などで活躍するほか、東京オリンピックでは5.5m級日本代表選手として出場。モスクワ、ロサンゼルス両オリンピックではヨット競技日本選手団の監督に就任。その後、(財)日本ヨット協会理事、(財)日本セーリング連盟副会長、(社)江の島ヨットクラブ会長などを歴任し、現在は同ヨットクラブ顧問を務めながら、アクセスディンギーを使ったセーラビリティ事業を展開。今年8月にはB&G江の島海洋クラブを立ち上げる予定。
 今年のB&G体験クルーズではオブザーバーとして乗船していただき、小笠原への道中、参加した子どもたちにヨットのすばらしさについて講演してくださった松本富士也さん。松本さんとヨットの出会いからはじまって、体験クルーズの感想や、現在、松本さんが力を入れているセーラビリティ事業などについて、さまざまな話をお聞きすることができましたので、ここに連載で紹介したいと思います。
 
   

小学校入学の記念写真

 戦前の1932年(昭和7年)、風光明媚な海岸線が広がる静岡県沼津市で、松本さんは生を授かりました。
 「幼い頃の私は体が弱くて泣き虫で、小学校も7年掛かってやっと卒業することができました。病気が長引いたことがあったのです」
 小学生時代は体育が苦手で、どうしても鉄棒の逆上がりができなかったという松本さんでしたが、その代わり本を読むことは大好きだったそうです。
 「戦争で家が焼けてしまったので、旧制中学校に上がる頃からは横浜へ家族で移り住みましたが、そこで私の人生を決めるヨットとの出会いがありました」
 通う学校も変わりましたが、その転校先は横浜市の金沢八景という入江のほとりにあり、近所で下級生の家が貸しヨット屋さんを開いていました。
 「置いてあったのは12フィートのA級ディンギーというヨットで、ある日、そこの息子と友だちだった私の同級生が、一緒に乗ってみようと誘ってくれました。ところが、彼もヨットは初めてだったようで、すぐに沈をしてしまい、横浜の沖でさんざんな目に遭ってしまいました」
 それっきり友だちは乗ろうとしませんでしたが、松本さんは別でした。 「たまたま、別の同級生の兄さんが慶應大学ヨット部のOBでした。聞けば、ヨットの本をたくさん持っているというので、私は本を借りて夢中になって読むようになりました」
 幼い頃から本を読むことは大好きだった松本さんですから、難しいセーリングの理論が書かれていても読破することができました。本を読んで理解したことを海の上で試してみて、それが上手くいったら次の段階にトライする。そんなことの繰り返しによって、松本さんはどんどんヨットが好きになっていきました。
 「ヨットで海に出たら、すべての責任を自分で負わなければなりませんが、その一方、独力で広い海原を自由に走ることができます。そんな魅力にはかないません。とうとう、授業をサボってまで乗るようになっていました」
 A級ディンギーに乗って横浜の海を自由自在に走り回るようになった松本さんには、体が弱くて泣き虫だった頃の面影は微塵もありませんでしたが、松本さんを海に駆り立てたものが、もう1つ別にありました。

松本さんの家族
宮島にて(昭和13年)

 「私の父は遠洋航路の船長で、ブラジルなどに航海していました。そのため、幼稚園に通っていた頃などは、たまに父が帰ってきても、『外国のチョコレートをお土産に持ってきてくれた人』といった感じで、なかなか親である実感が湧かなかったものです。でも、ピリッとした制服だけは幼いながらにもカッコよく映り、物事が理解できるようになるにつれて、『お父さんはカッコいい船長だ』と憧れを抱くようになっていきました」
 知らずのうちに、海で働くお父さんを敬うようになっていった松本さん。それゆえ、ヨットに乗って沈をしても、友だちのように尻込みすることがなかったのだと思います。


 

 
大学ヨット部の仲間と航海へ

 新制高校から早稲田大学に進学した松本さん。ヨット部員募集のチラシを見て迷うことなく入部を決め、ヨット選手として頭角を表していくようになりました。
 「私がヨットにのめり込んだ理由の1つに、セーリングとは道具を使うスポーツであるということが挙げられます。ヨットの仕組みを覚え、風や波のことを知り、セールやシートなどを使いこなすためには、それなりにいろいろな勉強をしなければなりません。言い換えれば、筋力だけでは勝てないスポーツなのだということです」
 友だちの兄さんから本を借りながら独学でセーリングを学んだ松本さんでしたから、ヨットに乗るために勉強するということは、当たり前のように身についていました。
 「幼い頃から本を読むことに慣れていたのが幸いしました。セーリングをするためのさまざまな知恵を身につけることで、人より速く走ることができる、そんなことに気づいて一生懸命に頭を使いながら練習に励んだものです。また、ヨットを効率よく走らせるためには、風や波の動きをいち早く察することが求められます。ですから、自然の変化に対応する感性を磨くことも怠りませんでした。柔道やレスリングのような体力勝負のスポーツでも、オリンピックや世界選手権などで優勝できる選手は皆、普通の人以上に考える能力や感性を持っているものです。パワーにプラスアルファして、人より秀でた部分がなければ大きな大会では勝てないのです。ヨットの場合は、特に道具を使うということもあって、勉強したり感性を磨いたりすることが、他のスポーツに比べてより重要なのです」
 もし、松本さんが子どもの頃から体力に自信があったのなら、ヨットに乗るときも体力や筋力に頼りがちになったかもしれません。しかし、体が弱い半面、読書を得意としながら育った松本さんでしたから、このような発想でヨットに接することができたのだと思います。ちなみに、今年のB&G体験クルーズで子どもたちに講演をした際、松本さんは次のような話をしてくださいました。
スナイプに乗船(大学ヨット部時代)

 「ヨットがすばらしいのは、風の力だけで海を自由に走ることができる点にあるでしょう。しかも、聞こえるのは波の音だけです。静かに走りながら、どこにでも行けるのです。海が穏やかなとき、耳に意識を集めていると風がささやいてくれます。ですから、『ああ、弱い風だけど息はしているな』と感じることができ、しばらくすれば『ちょっと息が強くなってきたから、このまま進んでみよう』とか、『ちょっと左寄りから吹くようになったから、針路を少し変えてみよう』といった具合に、自然と対話をしながら進む道を判断していくことができます。これは、ヨットのようなアウトドアスポーツでなければ体験できない、実に楽しい世界です」
 松本さんは、誰よりも多くの時間を費やしてセーリングの理論や技術を学び、感性に磨きをかけることで、人よりも速く走る喜びを手に入れていきました。思った通りにヨットを操り、人より速く走ることができると、またその上を目指したくなって、さらに練習や勉強に力を注ぎます。
 そんな充実した大学生活がしばらく続きましたが、2年生に進級したある日、思わぬ展開が松本さんを待っていました。


  続く 第2話

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