 |
参加者の補助をする稲谷くん
☆カヌーピアザ江東☆
|

カヌー運動会で、みごと優勝した稲谷君。カヌーピアザ江東が開催される日には、誰よりも早く会場に入って準備を手伝い、誰よりも遅くまで残って後片付けに励んでいましたから、その経験の積み重ねによって本人も知らないうちにカヌーの腕が上がっていたのでしょう。学校に行こうとすると胃痛や頭痛が出てしまうため、どうしても家にこもりがちな稲谷君でしたが、カヌーピアザ江東へ行くとなれば自然に足が外に向きました。
「カヌーには、自分の力で動かせるところに喜びを感じます。完全には思い通りになりませんが、好きな場所に漕いでいって、疲れたら休んでまた走らせるという、とても自由な世界を感じます。自分の力で動かせるという意味では自転車もそうですが、陸と水の上では事情がだいぶ異なりますよね。水の上では風に流され、波をかぶってしまうこともあるわけで、カヌーに乗っていると、そんなもどかしさも楽しさの1つです。ボクは物事を物理的、論理的に考えるタイプなので、カヌーに乗っているときも『流れがこうだから、こう漕いでみよう』と計算しながら漕ぐことを楽しみにしていますが、なかなか自然はボクの思い通りにはさせてくれません。水の上では、すべてを物理的に解決することができないのです。ですから、思い通りに進めなくても、自然の中にいるのだから仕方がないと思って、けっしてイライラすることはありません。むしろ、『あまり無理をしないで流れに身を任せよう』と気持ちを切り替えて、風や波に逆らわずに漕ぐことができるんです。そんな自然の懐の深さを感じられるのも、カヌーの大きな魅力だと思います」
5月から始まったカヌーピアザ江東は、9月のカヌー運動会をもって終了することになりました。せっかく好きになって毎週通った教室でしたが、これから来年の春まで待たねばなりません。周囲は、ふたたび稲谷君が家にこもりがちになることを懸念しましたが、それは要らぬ心配でした。すでにかなり腕を上げていた稲谷君でしたから、教室以外でも十分にカヌーを楽しむことができたのです。
「今度、B&G東京海洋センターで利根川下りを企画するけど、よかったら来ないか?」
10月に入ると、さっそくB&G財団の坂倉課長から声が掛かりました。カヌー運動会での活躍を見て、もう稲谷君には川を下るだけの実力があると読んでくれたのでした。
この企画は、利根川を10キロほどカヌーで下った後、川辺でバーベキューを楽しむというもので、15人ほどの親子が参加。「本当の川で長い距離を漕ぐ内容だったので、とてもワクワクしました」という稲谷君も、初めての川下りを存分に楽しみました。
そんな楽しそうな表情の稲谷君を見た坂倉課長は、2週間後、今度はキャンプを張りながら1泊2日の日程で栃木県の那珂川を下る企画に誘ってくれました。
「利根川のときは、初心者向けに半日の日程で緩やかな水面を選びましたが、那珂川の場合は上級者向けに十分な距離を取って流れの厳しい場所もありました」と、坂倉課長。
そのため参加者は大人ばかりでしたが、稲谷君は躊躇することなく喜んで参加しました。
「川原にテントを張って夜を過ごしましたが、1人だったらとてもこんなことはできなかったと思います。テントの張り方や火の起こし方、ナベ料理の作り方など、キャンプの知恵を大人の人たちからいろいろ教わったことがとても楽しく、カヌーを通じてアウトドア活動そのものが好きになりました」
キムチナベをつまんでから、最後にうどんを入れて食べたことをよく覚えているという稲谷君。気がつけば、大人ばかりの輪の中に自然に入りこんで存分にキャンプを楽しんでいました。
「那珂川の川下りのときは、大人の参加者ばかりだったので、しっかりついていけるかどうか気になりましたが、本人は喜んで出掛けていきました。そして、キャンプのときに大人の方々といろいろな話をしたそうで、それがとても耕一にとって良い体験になったようです」と、お母さんは言います。
参加者は皆、稲谷君が不登校で悩んでいることを知っていました。それを敢えて胸の内にしまい込まず、キャンプの焚き火を囲んで各人がそれぞれに素直な気持ちで不登校について話し合ってくれたのでした。
 |
カヌーピアザ江東の活動風景
|
「不登校と言うと、白い目で見られるか、『学校だけが人生じゃないよね』などと言って少し持ち上げてられてしまう場合が多いものです。しかし、那珂川のキャンプでは『学校に行かなくて何ができる!』といった辛らつな意見から、『好きなことを見つけて、それに打ち込めばいい』という意見まで、それぞれにはっきり言ってくださり、耕一にしてみれば、それが親身に感じられたようでした。家や学校とはまるで異なる状況の中で、自分自身をしっかり考えることができたことと思います。いっしょにカヌーに乗って苦労を共にした人たちの意見ですから、説得力があったのではないでしょうか。家に帰るなり、『楽しかった!』と声をあげて報告してくれました」
お母さんは、そのときの稲谷君の様子を見て、とにかくほっとしたそうです。将来への期待はただちに実感することはできなかったものの、いろいろな人と接して楽しんでいる姿に安心感を覚えたのです。
その後、稲谷君は地元葛飾区のイベントを通じて知ったカヌーの団体にも足を運び、冬の間は防寒ウエアを着込んでカヌーポロ競技の練習に参加。「大人ばかりのクラブだったので、最初は少し緊張しました」ということでしたが、ここでも不登校ということで特別扱いされることはなく、思う存分カヌーをエンジョイ。そして春がやってくると、いよいよカヌーピアザ江東が再び開講されることになりました。
前年同様、誰よりも早く会場となる江東区の親水公園に出向いた稲谷君。そこには、坂倉課長をはじめとするB&G東京海洋センター・スタッフたちの見慣れた笑顔がありました。
|