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語り:日本ライフセービング協会理事長 小峯 力さん

■プロフィール
1963年、横浜生まれ。日本体育大学、同大学院体育学研究科修了。1986年、オーストラリアで日本人初のライフセービング・イグザミナー(検定官)資格を取得。帰国後、国内でライフセービングの普及に努める。日本ライフセービング協会理事長、流通経済大学社会学部助教授、B&G財団評議員。

 ライフセーバーと聞いて、私たちは鍛えられたエキスパートの世界を連想しがちですが、「より多くの人が、ライフセービング・フィロソフィー(哲学)の視点で家族や地域社会を考えてみることが大切です」と、小峯さんは語ります。救急救命というキーワードから、どんなことが身のまわりの世界で見えてくるのでしょうか? 日常時や災害時など、いろいろな角度から小峯さんに語っていただきました。



  阪神淡路大震災では6,000名近い人の命が失われましたが、救急救命をしっかり受けていたら、この半数以上が救われたのではないかと考えられます。前回でお話したように、いざというとき本当に頼れるバイ・スタンダーは誰でしょうか? すなわち家族でできる救急救命法が広く浸透していたら、このときの人的被害度は大きく異なっていたと思います。
 地震などの自然災害が発生した場合、郊外に比べて都会では建物の崩壊などによって交通網が遮断されてしまう危険性が増大します。それは何を意味するかと言えば、救急車の到来が遅れる、あるいは期待できないといった事情が発生しやすいということです。ましてや都会では人口が多いですから、たとえ救急車が可動できたとしても順番を待つようになるかもしれません。その間、傷を負った家族を目の前にしてどうしたらいいのでしょう。一度、家族の皆さんで考えてみたらよいと思います。止血の処置1つとっても、それを施された人には安堵感が生まれ、がんばる勇気も湧いてきます。やる、やらない、できる、できないでは大違いなのです。

 阪神淡路大震災では、壁の崩壊や家具の倒壊などによる圧死が多かったのですが、こうした事例を教訓に、家族みんなで寝る場所を再検討してみるといったことも、自分たちでできる危機管理です。都会では交通網が遮断されてしまう危険性が高いことを先ほど述べましたが、これは水道や電気、ガスといった生活インフラすべてに当てはまります。ですから、都会の人たちこそアウトドアライフの知恵が必要なのです。少なくとも、いざというときには行政などの公的機関が助けてくれるなどと思っていたら大きな間違いです。救急車の例を取り上げても分かるように、大災害が起きたら公的機関だって思うように動けなくなるのです。
 昨年の末に、東京で直下型地震が起きたら何千の人が亡くなり、何万もの人が負傷するといったシミュレーションが公表されましたが、これはどんなことを物語っているのでしょうか。このような大地震が起きたとき、あなたは公的機関が一度に何万という人を助けられると思いますか? 冷静に考えてみれば、このシミュレーションには大地震が起きたら公的機関もあまり頼れなくなってしまうという、警告の意味が含まれているのです。




 大災害が起きたら公的機関はあまり頼れないということを、役所もはっきり言うべきだと私は思います。そうすることで、多くの人に自らを守る危機管理意識が芽生えるからであり、そのうえで教育機関がしっかりとフォローすべきだと考えます。よく、学校や職場で避難訓練をしていますが、それならもう少し専門的な教育をプラスアルファしていただきたいと思います。
 「家の人が急に倒れて呼吸困難に陥ってしまったら、どうしますか?」と質問すると、きまって多くの人から「救急車を呼ぶ」、「近所に助けを求める」といった答えが返ってきます。ところが、同じ質問を英国の小学生にすれば、「大きな声で助けを呼ぶのと同時に、呼吸ができるように気道を確保する」と答えます。つまり彼らは、幼い頃から身近な人を守るために必要な、事前に手を打つという危機管理教育を受けているのです。第1、2話で述べたように、救急車が来るまでの処置で倒れた人の今後がかなり決まってしまうのです。

 英国の例でも分かるように、救急蘇生法とは教えさえすれば小学生でも覚えられます。遊んでいて倒れた友だちを助けてあげるぐらいの知恵は、ぜったい子供たちに与えておくべきでしょう。青少年に向けた救急救命の教育、これは英国のようにいち早く広めるべきだと思います。ぜひ、全国のB&G地域海洋センターでも力を入れていただきたいですね。と言いますか、私たちライフセービングに携わる者とB&G地域海洋センターとの連携は、今後とても大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。
 高齢者向けの「転倒・寝たきり予防プログラム」にしても、健康づくりという当初の意味に加えて、いざというときのための体力づくりというライフセービング的な志向を取り入れていただけたら、もっと大きな展開になっていくのではないかと考えています。


 いま、心臓に電気ショックを与えて脈の振れを整えるAED(自動対外式除細動器)の普及が始まっており、おそらく近い将来には学校や駅、オフィスビルなどで消火器のように数多く設置されていくことと思います。
 しかし、普及するのはよいとしても、私としては懸念がないわけではありません。それは、AEDの役割を誤解する人が出てきてしまうのではないかという心配が残されているからです。AEDは、胸にパットを貼ってスイッチを押すと、電気が流れて心臓に刺激を与えるという簡単な仕組みですが、それで脈が整ったからといって安心はできません。その後、人工呼吸と心臓マッサージを併用する必要も出てくるからです。

 第2話で、人間は死んでも蘇ると思っている子供が多いことを話しましたが、その原因として考えられているのがロボットやテレビゲームの影響です。ゲームのなかで主人公が倒れても、リセットボタン1つでゲームはリプレイすることができますし、壊れたロボットも修理すれば動くようになります。いずれにしても、そのような場面に命の尊厳とかヒューマニズムは見当たりません。しかしながら、スイッチで動くということではAEDも同じです。それゆえに、倒れた人を見てもAEDのパットを貼ってスイッチを入れれば息を吹き返すと思い込んでしまう、そんな子供が出てきてしまうことを私はとても心配しているのです。人工呼吸や心臓マッサージを心得た人だからこそAEDのスイッチを入れることができる、そんな教育をしていかないと、スイッチ1つで人間が蘇ると信じてしまう子供がますます増えていくような気がしてなりません。AEDの操作方法とともにヒューマニズムも伝えていかねばならないのです。

 現在、慶應義塾では、BLS(Basic Life Support)教育が始まり、塾生全体が心肺蘇生法を身につけていくという計画になっています。これは単に技術だけではなく生命の尊厳を学んでもらうという意味も含まれています。ヒューマニズムがなければ人命救助もままなりません。セルフレスキュー、ライフセービングなどと構えずに、まずはそのフィロソフィー(哲学)から入るべきなのです。

 「豊かになれる者から、先に豊かになれと」というケ小平の先富論に従って、中国は急ピッチで経済発展を遂げましたが、ここにきてその勢いの激しさから貧富の差の問題が出てきたり、バブル経済の崩壊を懸念したりする声が出ています。
 これは、多くの人がケ小平の言葉の続きを忘れているからではないでしょうか。すなわち彼は、「豊かになった人は、貧しき人たちを助けなければならない」とも語っていたのです。「できる者から先に豊かになれ」とは実践論ですが、「貧しき者を助けろ」という続きの言葉はヒューマニズムのなにものでもありません。つまり、救急救命と同じように実践とヒューマニズムが両輪になっていないと、世の中は上手く回っていかないということの証なのです。

 さて、日本はどうでしょか。「勝ち組企業、負け組企業」などという言葉があるように、相手を蹴落とすような激しい経済競争が繰り広げられていますが、もうとっくに先富論の時代は去っているのではないでしょうか。ライフセービング・フィロソフィーでわが国の将来を考えてみると、バブル経済の崩壊という痛い経験をもとに、これからはヒューマニズムをベースにした共同扶養をめざす社会が求められているような気がしてなりません。


第3話 END  

お知らせ:来週は、アテネオリンピックメダリストの北島康介、中村礼子両選手が所属する日本体育大学水泳部監督の小早川ゆり教授が登場します!お楽しみに!!

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