本文へ 財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団 サイトマップ
HOME B&G財団とは プレスリリース イベント情報 全国のB&G リンク集

海洋センターを活用しながら、地域へ恩返しをしていきたい 〜海洋センター事業を通じてまちづくりに励んできた 埼玉県栗橋町の斉藤和夫 町長〜


注目の人
斉藤 和夫 栗橋町長


栗橋町B&G海洋センター(埼玉県):昭和63年(1988年)開設。施設:プール、体育館。開設以来、斉藤町長が掲げた「ひと、みどり、ひかり、輝くまち」の実現に向けた、町民の健康づくり拠点として機能。

斉藤和夫町長:昭和20年(1945年)生まれ、埼玉県栗橋町出身。国鉄職員、栗橋町町議会議員、埼玉県県会議員を経て、平成4年から栗橋町町長。平成18年、初代会長としてB&G関東ブロック連絡協議会の立ち上げに努め、平成22年オープンの「ボートピア栗橋」の開設に尽力。平成18年度からB&G財団評議員。


 6年連続して「特A評価」を受けている、栗橋町B&G海洋センター(埼玉県)。その事業指導に率先してあたる傍ら、関東ブロック連絡協議会の初代会長として組織づくりに励んできた、斉藤和夫町長。今年3月初旬には、町長による数々の努力に対し、B&G財団の梶田 功会長から感謝状が贈られました。
 「4月以降は、市町合併によって海洋センターの利用対象人口が5倍に広がるので、それに応じた体制が必要になっていきます」と語る斉藤町長。市町合併という大きなターニングポイントを前に、海洋センター事業におけるこれまでの経緯や今後の展望について、いろいろお話しいただきました。

第1話:人に優しい町づくりを目指して

写真:利根川沿いの桜並木
利根川が流れる水の豊かな栗橋町。「大落とし」と呼ばれる水路沿いには全長1.5kmに及ぶ桜並木が続いており、散策エリアとして親しまれています

海峡で楽しんだ冬景色

 利根川沿いに開けた田園のまち、埼玉県栗橋町。斉藤町長は、幼い頃から利根川で遊ぶ日々を過ごしました。

 「夏休みには、毎日のように仲間を誘って川で泳いでいました。プールと違い、川で泳ぐと場所によって流れの度合いや水温の違い、深さの違いなどがありますから、泳ぎながら1つ1つ自然の力、摂理を体感していきましたね」

 このような経験を重ねることで、どこが危ない場所で、どんな行為が危険なのか、知らないうちに学ぶことができたという斉藤町長。川が自分をたくましく育ててくれたと、語ります。

 「中学、高校時代は、サッカーや陸上競技に没頭しました。とにかく走ることが大好きで、駅伝大会にも出ました」

 何につけても行動派の斉藤町長。知らない土地を旅してみたいという好奇心から、就職先は当時の国鉄に決めました。

 「技術系の仕事で就職しましたが、運転士や車掌でなくても全国さまざまなところに行くことができました。職員には、全国で使える鉄道パスがもらえたからです。休みになるたびに弁当代だけを持って列車に乗り、いろいろなところを旅して回りました。一番思い出に残っているのは、青函連絡船ですね。わざわざ真冬に乗り、吹きすさぶデッキで冷たい風雪を存分に楽しみました」

周囲の人のためになりたい

 仕事に励みながら旅を楽しむ日々は、30歳を超えた時点で区切りをつけました。仕事をしながら、ずっと心のなかで温めていたことを実行に移したからでした。

 「私は早いうちに父を亡くし、母子家庭で育ちましたが、隣近所の人たちがいつも私を見守って応援してくれました。周囲の人の支えを肌で感じながら育ったので、いつかはその人たちのためになることを何かしたいと、常々考えていたのです」

 地域の人の役に立ちたいと31歳で町会議員選挙に出馬して、見事に当選。以後、今日まで政治家としての道を歩むようになりました。

写真:栗橋町B&G海洋センターの外観
昭和63年に開設された、栗橋町B&G海洋センター。20年以上にわたって地域の健康づくり拠点として利用されてきました

 「議員になってからは、できるだけ多くの人と会って生の声を聞いて回るように心がけ、それはいまでも続いています。地域の人たちの声をいかに集め、それに沿っていかに地域に奉仕するかが政治家としての私の役割です」

 町会議員として10年ほどの実績を積んだ頃、ぜったいに実現したいと思うプロジェクトが地元で計画されました。海洋センターを誘致しようという話が湧き上がったのです。

 「町の財政はけっして豊かではありませんでしたから、当時は体育館もプールも学校にあるだけで、町民が優先的に使える体育施設なんて夢物語でした。話を聞いて回ると、地域の誰もが施設を誘致して利用したいと言うので、その願いをどうしても叶えたいと思い、私から各町会議員を説得して歩き、陳情のため東京にも足を運びました」

苦渋の決断

写真:海洋センター体育館で卓球をする人々
海洋センター体育館では、さまざまな団体がスポーツ活動に励んでいます

写真:梶田会長から特A表彰を受けた斉藤町長
第1回B&G全国町村長会議で、B&G財団 梶田 功会長(中央)から「特A評価」の表彰を受けた際の斉藤町長(右)。海洋センターの活動は、6年連続「特A評価」を記録しています

 誘致に力を注いだ結果、昭和63年に念願の海洋センターがオープン。プール開きの日を迎えると、皆の勧めを受けて最初に斉藤町長が水に入りました。

 「誰よりも先に入らせてもらって感激しました。子どもの頃に泳いだ流れのある川の水とはすいぶんと異なるプールの水の感触を、いまでもはっきりと覚えています」

 プールや体育館ができたおかげで、町民の健康づくりが、よりいっそう進むと喜んだ斉藤町長。その4年後、海洋センター事業が地域に根づいたことを見届けるようにして、県会議員選挙に出馬。見事に当選を果たしましたが、その2年後、政治家として思わぬ展開が待っていました。

 「当時の栗橋町長が不幸にして病に倒れてしまい、それでも病床から町の人たちにさまざまなメッセージを送り続けていました。そのなかで、どうしても県議会から戻って町政を支えてほしいとの声が、住民のなかから私に寄せられるようになっていきました」

 このとき、斉藤町長は思い悩みました。栗橋町のほか複数の自治体を含む選挙区で戦い、やっと当選した県会議員の職でしたから、任期途中で辞めてしまうと栗橋町以外の選挙区で応援してくれた人たちに申し訳ないと思ったのです。

 「やっとの思いで当選させていただいた県会議員の身の上でしたが、郷土の声を無視するわけにもいきませんでした。辛い決断でしたが、任期の途中で県会議員を辞めさせていただき、地元の人たちに背中を押してもらいながら町長選挙を戦いました」

 苦渋の決断で出馬した町長選挙を、僅差で勝ち抜いた斉藤町長。晴れて郷里の首長になると、理想の町づくりをめざして「ひと、みどり、ひかり輝くまち、づくり」の目標を掲げました。このスローガンには、人材育成や自然との触れ合い、健康づくりの大切さが謳われており、その実現に向けて海洋センターが大きな役割を担うようになっていきました。(※続きます)