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 琵琶湖の北西部に位置する滋賀県高島市新旭町の針江地区では、いまでも井戸や川に湧き出る水を日常生活に利用しています。
 年間を通じて約13度の水温を保ち、「生水」(しょうず)と呼ばれるこの湧水は水路によって各家につながれ、「川端」(かばた)と呼ばれる台所の水場を潤します。

 冬でも温かさを感じ、夏になればビールを冷やし、台所自体をも冷房してくれるこの天然の恵は、遠い昔から現在まで大事に受け継がれ、最近ではエコツアーで外国から見学に訪れる人も現れるようになりました。

 子どもの頃から、水を大切にしないと「かばたろうさん」(河童)に連れていかれてしまうと教えられてきた針江の人々。

 その暮らしぶりや地域の自然について、エコツアーのボランティア組織「針江生水の郷委員会」美濃部武彦会長にお聞きするとともに、連載の後半では、ご自身も「川端」のある家で育ったという高島市の海東英和市長に、この貴重な水文化の足跡や将来の展望などについて語っていただきます。
滋賀県高島市
水田を見学 針江地区の水田を見学する人々。地元では「針江生水の郷委員会」を立ち上げ、地域住民が交代でボランティアの案内役を務めています
第3話:「お互いさま」と「おかげさま」

再発見した故郷の価値

海東市長 高島市 海東英和市長:昭和35年(1960年)、高島市新旭町針江に生まれる。旧新旭町職員、同町議会議員、同町長を経て平成17年(2005年)、市町村合併によって誕生した高島市の初代市長に就任。
同市は「水と緑 人の行き交う高島市」をスローガンに、自然の摂理に沿った政策「環の郷たかしま」づくりを推進。人と自然がともに生き、永続可能な暮らし(サスティナブル・デザイン)の実現を目指している

 高島市の海東英和市長(47歳)も、針江地区にある川端(かばた)を持つ家で育ちました。子どもの頃、夏の暑い盛りに壺池で冷やしたスイカやトマトを食べたことが、いまでも思い出に残っているそうです。

 「壺池に浮かんだ果物や野菜は、透明な湧水のなかで鮮やかな色彩を放っていましたね。また、水遊びも楽しい思い出です。川に入っては小魚を捕まえ、湖に出てはシジミを獲っていたものです。川辺につながれた小舟を勝手に出しては、よく叱られていました(笑)」

 水とともに暮してきた美しい我が故郷の風景は、貴重な文化財産であると考えていた海東市長。市町村合併で高島市になる以前、旧新旭町で町長を務めていた2001年には、写真家の今森光彦氏による川端や野川の写真を多用しながら「自然とともに生きる」という町の冊子(記念誌)を発行。それを手にした住民の多くが、海東市長と同じように我が故郷を大切な宝物であると感じるようになっていきました。

町の記念誌 旧新旭町時代に発行された町の記念誌「自然とともに生きる」(中央)。その後、高島市周辺の美しい自然に平和へのメッセージを託した絵本「ホタルのくる町」(絵・文:葉 祥明)が出版されたほか、「環の郷たかしま」づくりを紹介した冊子も、地元の作家(絵・文:北村美佳)によって制作されています
  「それまで、私たちは原生林などのように人が踏み込まない土地こそが貴重な自然であると思い込んでいた節があります。ところが、記念誌に掲載された今森さんの写真を通じて、人の営みによって守り続けられている身近な里山の姿に大切にすべき自然の価値があり、そこにも多様な生き物が生息しているのだということに気づかされました」

 記念誌に掲載された写真は、壺池で冷やされるスイカやトマトをはじめ、生水(しょうず)が流れる川辺で野菜を洗う主婦や、田に向かう川を小舟で進む農夫、小川や湖畔でたくましく生きる小魚や野鳥の姿などでした。

 「記念誌が発行されると、住民の多くが自分たちの手で滅ぼしかけていた身近な自然の存在価値を見つめるようになっていきました。地域に残る豊かさを再発見したのです。これまで私たちは、井戸は前近代的で水道こそが文化的であると考えがちでしたが、ここで皆、ちょっと立ち止まって考えることができるようになりました」

水につかるスイカ 記念誌「自然とともに生きる」で紹介された夏の壺池。海東市長も、子どもの頃は、このようにして冷やされたスイカやトマトをほおばっていたそうです
 昔から続く独特の水文化を守ることで、自分たちの地域が輝くのではないかと感じ始めた地元の人たち。現在、針江周辺では水道は風呂や水まきに使い、飲料水には井戸を使うといったように、水を使い分ける家が少なくありません。

 


水がつなぐ人々の輪

正傳寺 その昔、水が湧き出るところに人が集まり、集落が形成されていきました。針江地区にある正傳寺には、いまでも美しい清水が湧き出ており、地元の憩いの場になっています
 「暮らしの近代化とは、人々が支えあってつながっていた旧来の仕組みを断ち切ることで進められてきた部分もあると思います。ですから、一度切れそうになったそのつながりを結び直すことで、針江を含む高島市周辺地域の価値が守られるのではないかと思い、現在、高島市では『お互いさま』と『おかげさま』が対流する『環の郷たかしま』というテーマで、まちづくりが進められています」

 旧新旭町の記念誌に込められた、地域の価値を再発見して守り続けるという思いは、市町村合併で同じ市になった周辺地域の人たちにも広まっていきました。「いまも残る田舎の風景は、けっして貧しさを表すものではない。むしろ昔から守り続けられてきた地域ならではの豊かさなのである」と、海東市長は市民に伝え続けました。

水車のある風景
公民館の脇を流れる水路には昔ながらの水車が回っており、川底には美しい梅花藻(ばいかも)が茂っています。
 「若い人の場合、田舎に住んでいると都会から離れているということで不安になったり、自信が持てなくなったりすることもありますが、実は自分たちが暮す地域には都会にはない豊かさがあるのです。地域の暮らしが続いているということは、そこで生きる人々の関係が断ち切られていないことの証であり、いまもなお昔から続く祭りが行われているということは、地域のなかで人と人とがしっかり結ばれていることの証なのです」

 いまでも高島市内にはたくさんの村祭りが存続しており、5月の連休だけでも市内7〜8カ所でなんらかの祭りが開催されました。

美しい水が巡る どこにでもあるような道路脇の溝にも美しい水が流れ、たくさんの梅花藻を育てています。もちろん、空き缶などは浮かんでいません
  「多くの村祭りが存続しているのは、昔ながらの水文化がいまも継承されているおかげです。ここの暮らしは農業で支えられており、農業を営むために水は欠かせません。ですから、私たちは子どもの頃から水を大切にするようしつけられてきました。上流を汚せば下流の人に迷惑がかかりますから、上流で暮す人は下流で暮す人を思いやり、下流で暮す人は上流で暮す人を信頼するという構図が形成されてきたわけです。

 そして、地域を潤す水は住民が総出で守ります。いまでも田に十分な水を送るため、年に何度となく地域の川掃除が行われていますが、昔から続けられてきたこのような共同作業を通じて地域コミュニティが現在も存続しているのです。高島市内の地域すべてに氏神様があって必ず村祭りが開かれていますが、これは水を守る住民同士が『お互いさま』と『おかげさま』の気持ちを伝え合うハレの行事なのです」
※ハレ…儀礼や祭などの「非日常」を意味する。

冬景色 里から琵琶湖に通じる川の冬景色。針江のエコツアーは、身近な自然の豊かさを広く国民に知ってもらおうという主旨で、環境省が選ぶエコツーリズムのモデル地域の1つに選ばれました
  川端のある家では、いまでも壺池を水神様が宿る場所として大切にしています。
 このような水文化は、いまから3年前に始められたエコツアーによって広く紹介されるようになり、環境省が選ぶエコツーリズムのモデル地域の1つにも選ばれました。他のモデル地域は、知床や屋久島など世界遺産にも登録された有名な場所ばかりです。

 川端のエコツアーが選ばれたことは、身近な自然の豊かさを広く国民に知ってもらおうという、新しいエコツアーの概念が生まれたことを意味していました。(※続きます)