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<神津定剛(こうづさだよし)>
1933年、長野県佐久市長土呂出身
神戸商船大学卒業 現在、兵庫県神戸市に在住
『血液型』AB型
『家族』妻と息子二人
『趣味』登山(スポーツは何でも好き)
『生活信条』「努力と我慢」 『好きな言葉』「青春の詩」(青春)
『初乗船』「めきしこ丸」(ケープタウン経由世界一周)
『思い出の船』「さんとす丸」(南米航路移民船)
『寄港した国』約90ヶ国
【B&G財団職員からのメッセージ】
●神津キャプテンお世話になりました。
神津キャプテンは、海のない長野県の出身で海にあこがれてキャプテンになられたとお聞きしたことを覚えております。キャプテンの口調は、いつもとても温厚でとてもスケールの大きな方だなあという印象が在ります。これは、大きな海をステージとして仕事をされているるからだと思っている。
私たちBG財団は、主に青少年の方々に航海を体験していただき海の素晴らしさを感じていただく事業を展開している。その事業でキャプテンは、研修カリキュラムを考えながら大きな船を操り、参加者一人一人にたいして細かな心配りを忘れず、すべての人に海を大好きにさせてくれるという大変な仕事を担っている。
航海では、台風に遭遇すると自然の大きな力の前では、人間の力の無さを感じるとともに、お互いを助け合う友情が芽生える。そのような貴重な体験をたくさんの人に与えるとき、海のないところに生まれて海に対する夢や希望を持っている神津キャプテンならではといつも感じております。
長い航海の中においても忙しい合間に年賀状をいただくたびに細かな心配りをいつも感じております。本当に長い間有り難うございました。【大島康雄】
●船長、長い航海ご苦労様でした。
船長の人生は、航海そのものだと私は思っています。船長と何度か航海を共にさせていただきましたが、私にとっては楽しい思い出ばかりです。
しかし船旅は、良い思い出と、つらい思い出が背中合わせだと私は思います。良い思い出では楽しい夢となり、つらい思い出は人生の教訓となるような気がします。
船長が船に初めて乗船された頃は、まだまだ船の性能もあまり良くなく、大変な時代だったと思います。しかし、同僚の乗組員と人生を語り、同僚と歌い、つらい航海を乗り切ってこられたことと思います。今でも「憧れのハワイ航路」のような歌を耳にされたら、走馬灯のように若い頃の自分が蘇ってこられると思います。
船長にとってこれからの人生、海と陸の違いはありますが古き良き時代の思い出を大切にしていただき、これからの第二の人生、今までのように名船長で頑張ってください。
神津船長本当にご苦労様でした。また、ありがとうございました。心からお礼申しあげます。またお会いできる日を楽しみにしております。【谷川博文】
●神津キャプテン長い間本当にお疲れ様でした。名物「おやじ」がいなくなるのは寂しい限りです。体験航海担当中は、雨雲を避けるために船をUターンさせてもらったり、星座を見せるために360°回転させてもらったり、キャプテンに無理難題ばかりお願いしました事を昨日のことの様に感じられます。なかでもブリッジでキャプテンと食べた「ソーメン」の味は一生の思い出です。
現在私は沖縄に赴任し、ホテルの担当をしておりますが、ここでも坂元調理長(元三井のおやっさん)と野中さんに応援を頼む事が出来、つくづく船の乗組員の皆様とは縁があるんだなと感じております。
キャプテンの最後の航海に乗船出来なかった事は心残りですが、陸に上がった「たぬき(?)」にお会いできる日を楽しみにしております。終わりになりましたが、キャプテンの第2の航海が順風満帆であることを祈念いたします。【古山 透】
●神津キャプテンお疲れ様でした。キャプテンとは、オーストラリアの航海でご一緒させていただきました。湾岸戦争が始まり、反日感情の高まる中でオーストラリアに向け出航しました。赤道祭の際に「フセイン」として駆り出され、職員・船のスタッフ・団員にお受けしたことが昨日のように思い出されます。
キャプテンは、私の顔を見ると、いつも何か言いたげにニコニコ笑っている顔が印象に残っています。
陸にあがったら、今迄の多忙な日々とは逆にのんびりお過ごしください。いつまでもお元気で!!【村井光一】
●神津キャプテン、お疲れ様でした。B&G体験航海では、本当に何回もお世話になりました。
私は、直接お話しさせていただいたことはないのですが、ちょっと小柄なお体にいつもニコニコと優しそうな笑みを浮かべて、私たちを見守っていてくださったような気がします。しかしその陰では、私たちがいつも快適に航海が出来るようにいろいろと工夫し配慮をしてくださっていました。かなり切り詰めたスケジュールの中であれやこれやと日程をこなしていく我々は、航海中はいろいろお願いすることが多く、キャプテンにしてみれば苦労が多いクルーズだったと思います。
しかし、私はこれまで乗組員のいやな顔は一度も見たことがありません。それどころか、こちらの準備作業まで手伝っていただいていたのが常でした。私が財団に入った始めのうちは、体験航海では「行事」担当をずっとやっていました。「行事」担当はイベントの計画、準備が大変で、船の上でいろいろ行うのは陸の上でやるのとは違って限られた中でやりくりしなければならないので、いつも船側の厄介になっていました。洋上運動会、赤道祭り、星座教室、クラブ活動、分散研修と、みんな楽しくやることができました。
これまで無事に航海が重ねられてきたのも、ひとえにその時々のキャプテンをはじめとした乗組員の皆さんのお陰です。どうも、ありがとうございました。
そして、私たちだけでなく、これまで長い間たくさんの方のクルーズを見守ってきてくださった神津キャプテンに、お疲れ様でしたと申し上げたいと思います。【仲田 有】
●B&G「少年の船」等(現在は海外体験クルーズの名称)で神津キャプテンとご一緒させていただいた機会は、何回かあるかと思うが、いつもにこやかな顔で子供たちや我々スタッフと接してくれた事を覚えている。
世界の国々を何ヶ月もかけて船旅をしているからであろうか、キャプテンの顔は穏やかな海のような大らかさと暖かさを感じた。
今度は、ご家族で世界一周の船旅をゆっくりされてはいかがでしょうか。
長い間、お疲れ様でした。そして子供たちと我々に海の雄大さ、船旅の素晴らしさを教えてくださりありがとうございました。【中村宏】
●キャプテンとは、4回も一緒に航海をさせていただきました。キャプテンの話術には人を引き込む不思議な魅力があり、キャプテンズトークでしていただいた、ご自分が船長を目指した時の話には、子供たちが目を輝かせながら聞いていたことをとても印象深く覚えています。
僕は自分の子供に「優しい男が強い男だぞ」と言って聞かせています。これはキャプテンと一緒にいる時に僕が感じた印象そのままなのです。頂戴しました本「船長」は、子供が大きくなったら読ませたいと思っており、パーティーの席で一緒に撮っていただいた「写真」と一緒に自慢したいと思っています。
船を降りられてもお身体を大切に、いつまでも強く優しいキャプテンでいてください。本当にありがとうございました。【田中芳比呂】
●私が初めて神津キャプテンにお会いしたのは、平成5年の国内「少年の船」が最初でした。その時の率直な印象は、「どっしりして、重厚な、シルバーグレイ。まるで熊さんのよう(笑)」でした。
船内研修の一つである「船長講話」では、よくご自分がなぜ船乗りになったのかをお話されていました。その話の中で家出をしたというくだりがあるのですが、そのときは「温和な顔の下は屈強な精神の持ち主なんだなぁ」と大変驚いたことを今でも懐かしく思います。
現在は陸に上がられて「陸に上がった何とやら」かな?と少し不謹慎ですが、そんなふうに考えております。また何かの機会に、あのにこやかな笑顔を拝見できればと願っております。大変にお世話になりました。【東條剛之】